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ツヨシ(3)

 何処から家の中に侵入するか、すでに目星はつけていた。

 恐らく風呂場であろう小窓が、少し高いところにではあるが取り付けられている。俺の華奢な体ならすり抜けられるだろうし、そんな体の割りにはずば抜けている(自分で言うのもなんだが)身体能力を持ってすれば、難なく手が届く場所に窓はある。しかも、外から見たところ、窓ははめ込み型ではないし、鍵も複雑な型ではないようだった。運が良ければ鍵は開いているかもしれない。風呂場の窓の鍵は施錠を忘れがちなもので、俺達のような人間からすれば、便利な出入り口であると言ったところか。

 とにかく、実際に窓に手をかけてみないことには何も分からない。仕事が上手くいくもいかないも、まずはそこからだ。まだツキはきっと俺の方にある。そう信じよう。


 弾みを付けて地面を強く蹴り、俺は体を目一杯伸ばした。するとやはり、簡単に右手が窓の枠にかかった。

 そしてぶら下がった状態のまま、俺は靴を脱いだ。壁に足をつかなければ、窓の中に体を滑り込ませることは出来ない。その際、足跡が壁に残らないようにするためだ。片手で器用に靴を脱ぐと、それをズボンの中に押し込んだ。

 壁に足を付けて体重を支える。これだけで、腕への負担が驚くほど少なくなった。左手と両足で何とか体を支えつつ、右手で窓を開ける。

 やはり、俺の狙い通りだ。窓は開いている。抜かったな、町田さん。二戦目も俺の勝ちだ。

 窓がカラカラと音を乾いた音を立てようとするのを抑え、俺はゆっくりと静かに窓を開いた。

 まさに、冒険への旅立ち。その扉を俺は今開いたのだ。

 ――もう、後戻りは出来ない。俺はごくりと息を呑んだ。

 こうして他人の家に勝手に上がり込むとき、俺は無意識の間に匂いを嗅いでしまう。家庭の匂いというのを、俺は知らないからだろうか、どんな家も何だか温かいよう感じ、知らず知らずに落ち着いてしまう。安らいでしまう。

 そして、瞳を閉じると更に考えてしまうのだ。今自分がいる家では、どんな家族がどんな風に過ごしているのだろうと。そして、自分が今空き巣として勝手に上がり込んだせいで、その家族は一体どうなってしまうのだろうと。

 そんなことを思わず考えてしまう自分は、何だかんだで相当なお人好しなのかもしれない。馬鹿馬鹿しいな。そんなお人好しが空き巣なんか出来るもんか。中途半端な気持ちで仕事をしたって、ろくなことはない。今は冷徹になりきるしかない。自分が生き延びるためだ。この仕事に、自分の命が懸かってるんだ。命懸けなんだ。油断するな。余計なことは、考えるな。


 風呂場に取り付けられた小さな窓を何とかすり抜け、ついに町田邸の内側に入り込んだ。

 窓の内側の真下はちょうど湯船になっており、少し着地に苦労するはめになった。まぁどうということはないのだが。

 予想通りではあるのだが、風呂場を見ただけでも町田家の裕福な暮らしを窺うことが出来た。十分に足を伸ばせるであろう大きな湯船に、品の良い匂いが壁に取り付けられたラックに置いてある石鹸から漂っている。何処の国の文字かも分からない難解な言語が印字されたボトルからも、同様の匂いがする。

 何処か女性的な匂いがするが、まさかあの親父臭そうな町田氏がこれらを使用しているというのか? いや、まさか。いい年して、こんなものを使うはずがない。

 ――まさか、だって?

 じゃあ、これは一体誰が使っているんだ? この家には町田氏しかいないんじゃないのか? 他の誰かがこの家から出てくるのを、俺は見たことがない。三日連続で一睡もせずに張り込んでいたことだってある。しかも一度じゃない。合計すると、一週間は二十四時間体制で見張っていたのだ。様々な曜日、時間帯で複数回張り込みを繰り返した。それにも拘らず、俺はこの家に住む町田氏以外の誰かの存在を見逃していたというのか?

 途端に、再び汗が滲み出してきた。風呂場にこもっていた湿気を含んだ空気が俺の体にまとわりついてくる。嫌な感じがする。気持ちが悪い。

 一体、誰が……?

 いや、きっと俺の思い過ごしだ。石鹸の匂いだって、至って普通じゃないか。普段、あまり嗅ぎなれていないうえに、緊張しているからそんな風に思ってしまうだけだ。何も気にすることはない。気にするな。

 風呂場を出て、脱衣所を経由し、俺は廊下に辿り着いた。ここに至るまで、物音は一切たてていない。自分の呼吸音さえも、最小限に止めている。心臓の音がやけに大きい気がして、俺の気持ちを不安にさせた。心臓の音が周りに聞こえるはずがないと、俺はそう感じるたびに自分に言い聞かせていた。

 とりあえずは家の中の間取りを確認しよう。何を盗るかを考えるのはそれからだ。早まってハズレを引くようなことがあってはならない。長居はするべきではないが、ここは仕方ない。というより、絶対にそうするべきだ。町田氏が帰ってくるまでに、ここを出ればいいのだから。その時、俺が入り込んだという痕跡を残さなければ、何の問題もない。大丈夫だ。俺はきっとやりきれる。


 台所、寝室、リビング、書斎……。何処もかしこも手入れが行き届いており、とても住み心地が良さそうな空間ばかりだ。俺にしてみれば、まるでおとぎの国のようにさえ感じた。この世のものとは思えない。こんな世界が、まだ残っているなんて。

 俺の住んでいる場所と、この空間を比較すると、俺が住んでいる世界の方が、まさにこの世のものとは思えないと言うべきものなのだが。

 ――本当に、違う世界に迷い込んだみたいだ。俺の冒険は、夢の世界に行くことだったんだっけ? こんなところで命を懸けるなんて、余りにも場違いなものだったんじゃないか?

 何だか自分が馬鹿馬鹿しく思えた。自分が、というより、世間の連中が馬鹿みたいに思えた。

 一方は命懸けで毎日を過ごし、もう一方は命など懸けることもなくのうのうと暮らしている。世間では、そいつらの方が偉い。偉いから、そうして安全に暮らしていられる。命を懸けることも知らない奴らが、どうして威張ってられるんだ? 本当の苦しさを、何一つ分かっていないのに。どうして俺たちが、底辺にいなければならない? そんなの、おかしいだろ。偉いって何だよ。強いってことなのか?

 ……考えるのにも疲れてきた。というか、考えても無駄だ。俺は俺だ。それは変えられないし、変える必要もないだろう。俺はこいつらとは違う場所で強くなって、のし上がっていってやるんだ。

 俺は再びリビングに戻ると、あろうことかソファーに腰掛けた。われながら肝が据わっている。空き巣に入って、そこでくつろぐ奴なんてそうそういない。きっと俺ぐらいだ。

 多分俺は、そうして、そう思うことで他の奴と差を作りたかったんだ。俺だけの何かが欲しかった。俺が俺であり、そして他の奴とは違うという確固たる証拠となるものが自分の中に欲しかったんだ。

 ソファーに腰掛けた途端、一気に緊張感がほぐれた。瞬間、深い溜め息が出た。灰の奥底からまるで湧き水が湧き出るみたいに自然と。

 空き巣の仕事をするのは久しぶりだったからだろうか。何だか、面白くない。急に興醒めした。何だか、自分の存在価値みたいなものを見せつけられたような気がして。

 俺は俺だ。それは間違いない。けれど、そうある意味は何処にあるんだ? 生きてても、しょうがないんじゃないか? 俺に生きる意味なんてあるのか?

 ずっと、意地だけで生きてきたようなもんだ。兄貴に殺されかけて、その時は死にたくないと思った。このまま終わらされるなんて、絶対に嫌だと思った。そう思ったから、今日まで生きてきた。けど、今日までの生活に、何の意味があったんだろう。

 ――兄貴は、俺がこんな風に思うようになるのを知っていたから、俺を殺そうとしたんだろうか――。兄貴は、俺を、――。

 その時、ふわりと、柔らかな匂いがした。

 次の瞬間、後頭部に、ちょうどたんこぶが出来ているところだ。そこに、痛みを感じた。何か硬いものが宛がわれている。

 しまったと気付いたときには、すでに遅かった。拳銃が、俺の頭に突き付けられているのだと、俺はようやく気付いたのだった。

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