ワタル(4)
昨日、シンゴのマンションを尋ね、飯田カヨという人物に出会い、彼女から聞いたこと、その帰り道で何者かに襲われたということを、ワタルは順序立ててシュウジに伝えた。
シュウジはただ、静かに耳を傾けていた。時折、相槌を打ち、それによってワタルの話をより整理されたものにした。
年下の人間の話を聞くことに慣れているからだろう。シュウジはまさに聞き上手だった。シュウジに話すことによって、ワタル自身も頭の中を整理することが出来た。これも、シュウジの才能なのだろう。ワタルは改めて、彼のリーダーとしての資質を認識した。彼は誰かの上に立つべくして、そこに君臨しているのだ。
「どう思う? シュウジさん、何か知らない?」
ワタルが一通り話し終えてから尋ねると、シュウジは少しだけ顔をしかめた。
「シンゴがいなくなったことについては、俺は何も分からないけどな。ただ、そのお前に絡んできた奴らは気になるな」
「ちょっと待ってくれよ。それじゃあ、シンゴのことは気にならないってことなのか?」
ワタルは相変わらず、シンゴのことに関して感情的になり過ぎている。シュウジは少しうんざりしたようだった。「あのなぁ……」と溜め息混じりに呟いた。
「お前、あいつが誰かに連れてかれたとか言ったな?」
ワタルは頷いた。
シュウジはそのすっきりとした顔に、あからさまに不快感を滲ませていた。ワタルを黙らせるために、わざとそんな顔をしているのだろう。
「その、飯田だったか? その人は、シンゴがどんな風に車に乗っていったって言ったんだ?」
「そこまでは……聞いてない」
シュウジが深く息を吐き出した。「だからお前は詰めが甘いっていつも言ってるんだよ」と、愚痴を溢すように言う。その言葉にワタルは少し憤りを感じたが、言い返すことが出来なかった。
「話を聞く限りでは、シンゴはその車に同意の上で乗り込んだんだろ。そうじゃなけりゃ、廊下でもめてたっていう相手の奴等は、そこからそのまま強引に連れていくはずだろ。けど、そうじゃない。冷静になった上で、あいつとアサカちゃんは車に乗ったんだ」
「でも、どうしてそうする必要があったんだ? グループを出ていった直後だ。タイミングが良すぎるよ」
シュウジの表情には、不快感が更に色濃く浮かんでいる。ワタルの発言が気にくわないのだろう。しかしだからと言って、無下にすることなく、シュウジはワタルを納得させようとして言葉を重ねた。
「そんなこと知らねぇよ。シンゴがそうすることにしたんだ。あいつも馬鹿じゃない。考えた末の行動だろ。俺達がどうこう言っても仕方ない」
「でも……シュウジさんは、シンゴが心配じゃないのかよ? いなくなったのに」
「だから、どうこう言っても仕方ねぇって言ってるだろうが。お前こそ、シンゴのことが信用出来ねぇのか」
シュウジが語気を強めて一喝した。周りの仲間達に不穏な空気を悟られぬようにするため、抑えた声で。しかしその静かな威圧感は、ワタルを黙らせるのには十分なものだった。
「そういう訳じゃないよ。ただ俺は、シンゴが心配で……」
ワタルはシュウジから視線を逸らし、後ろめたそうに呟いた。また、シュウジの口から大きな溜め息が漏れた。
「お前、分かってるのか?」
シュウジは、眉間に皺を寄せて言い放った。
「シンゴはもう、俺達のグループの人間じゃない。今やただの他人でしかないんだぞ」
その言葉は、ワタルの胸に深く突き刺さった。
「そんな風に言うなよ。ずっと一緒にいたのに」
ワタルは唇を噛み締め、やっとの思いでそう言った。どうせ、また言い込められるのだと分かりながらも、反論せずにはいられなかった。シンゴは今でも、ワタルにとってかけがえのない仲間だ。シュウジにとってもそうであると、ワタルは信じたかった。
「お前、何も分かってないんだな」
「何をだよ」
「俺達は生き延びるために結託してるんだ。遊びじゃない。だから、利害ってもんがあるんだよ。無駄なことをしても仕方ない。無駄な人間は切り捨てなきゃならない。仲間だとか、そんなもんは副産物でしかないんだ」
何も言えず、ワタルはただ俯いてシュウジの言葉を聞いていた。
そんなことは分かってると言いたかったが、そう言えば、自分の発言に矛盾が生まれる。そこを突かれるのは分かっていた。
「シンゴの行方を追いたいなら、お前も俺のグループから抜けるんだな。俺は止めたりしない。勝手にするんだな」
シュウジの態度は、終始冷徹であるようにワタルには思えた。しかし、そうでなければ、数十人をまとめあげることなど出来ない。それも分かっているから、ワタルは何も言い返せない。何も出来ない。そんな自分が悔しかった。
「俺だって、別にシンゴのことが心配じゃないってわけじゃないんだよ。ただ、俺にはこのグループの皆を守る責任があるんだ。きついこと言ったが、分かってくれ」
「あぁ、分かってるよ。シュウジさんと俺じゃ、背負ってるものの大きさがまるで違う……俺みたいに無責任なことは言えないよな」
大人なシュウジとは対照的に、何処までも子供。嫌気がさす。
「シンゴのことについては、俺が勝手にやるよ。グループに迷惑がかかるようなことは、絶対にしないから」
「絶対、だぞ?」
「約束する」
ワタルは、拳をシュウジの鼻先に突き出した。その目には、覚悟が見えた。それを見たシュウジは己の拳を、ワタルの拳にぶつけた。大切な約束をするときにこうするのが、いつの間にかグループでのしきたりのようになっていた。
「ところで、お前のことを追ってきたって連中のこと、もうちょっと詳しく教えろよ」
シュウジはしゃがみ込んだかと思うと、そのままあぐらをかいた。砂がつくだとか、服が汚れるだとか、そんな細かいことを彼は一切気にしない。いや、彼だけではない。シュウジやワタルのように、グループに所属して生計を立てている男達は、細かいことなど気にしない。そんなことをいちいち気にしていては、とても生き延びることなど出来ないのだから。
「詳しくって言ったって……何も分からないんだよ。だからシュウジさんに聞いてるんだ」
「お前、どんだけ俺頼みだよ。もっと自立してくれよな」
シュウジは苦笑した。やんちゃそうで、愛嬌のある不揃いな歯並びが目につく。
「なんか気付いたこととかないのか? 些細なことでもいい。何かしらあるだろ。まさか、ただ追われただけじゃないだろ」
そう言われて、ワタルは改めて、頭の中で昨日の夜の記憶を蘇らせてみた。
「そう言えば、何か違和感があったんだよ」
「どんな違和感か、説明できるか?」
「何て言うか、追いはぎとかに慣れてない感じだった。隙だらけで。だから俺も最初は返り討ちにしてやろうと思ったんだ。だけど、上手くいかなかった。行くとこ行くとこに誰かが現れて、姿をくらませる暇がなかった。妙に連携が出来てて……でも、一人一人は隙だらけなんだもんよ。困ったよ」
思い出しただけでも、気が重くなる。無駄に体力を使わされたような気がして、本当に腹立たしかった。
シュウジはなるほど、と呟くと、他に何かないかと尋ねた。
「あと……なんかやけにしつこく追い回されたよ。終始そんなんだから、ほんとに面倒だった。で、一人を捕まえて色々質問したんだけど、誰かに命令されてやったから、何も知らないっつって……うざい奴だったから、聞き出す前に逃がしちゃったよ」
「誰かに、ってのは、そいつ言わなかったんだな?」
ワタルが頷く。
「そいつに見覚えもなかったのか?」
「んー……そうだな。見たことない顔だった」
「相手はお前のことを知ってたのか? お前が、俺のグループの人間だとか、そういうこと」
そう言えば、それはどうだったんだろうか。今まで気にせずにいたが、俺を狙っての行動だったのか否かで、今後の動きに大きな違いが出る。また、詰めが甘いと言われることを承知で、ワタルは言った。
「それは分からない。ただ、上の人間に命令されたって言ってたから、どんな理由で俺を襲ったのかは分からない」
案の定、シュウジは溜め息をついた。何となく、申し訳ない気持ちになる。
「お前を狙ったのは、ただの偶然だったのか、それともそういう計画だったのか…それはまぁさておき、グループの他の連中が狙われるとなると、一大事だ。一応皆に警告しておくか」
そう言いながらシュウジは立ち上がり、ズボンについた砂を手の平でパンパンと叩き落とした。
「あぁ、そうだな」
「おーい、皆集合だぁ」と、シュウジがよく通る声で公園内にいる人間に呼びかけると、えさの時間を待ちかねていた動物園の動物のように、皆がぞろぞろとシュウジの周りに集まり始めた。
二十人近くが、シュウジのたった一言で、統率を持って行動する。この光景は、圧巻だ。