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アサカ(12)

 カナコについて知るうる全ての情報を、神沢はアサカに伝えた。

 神沢はそうすることを躊躇ったが、アサカの目がそうはさせなかった。彼女の目は、全てを知ることを望んでいるように見えた。そして、そうしないことでは納得しないと、必死に訴えているようでもあった。

 アサカは、強い精神の持ち主だ。時折、十歳の少女とは思えないようなことがある。そう、町田に似ている。凛とした強さを秘めた瞳。あの町田も、少女時代にはこのような神秘的な瞳をしていたのだろうか。神沢はそんなことを思った。

 果たしてアサカはカナコにまつわる話を全て理解したのだろうか。そんな疑いを持ちはしたが、それは一瞬で消え失せた。

 アサカの瞳は、全てを理解していなければ現れることがないであろう、憂いに満ちた表情を浮かべていた。自身の身の上と、カナコの生い立ちを比較することで、その悲惨さと悲しみを悟ったのだろうか。

「カナコさん、お兄ちゃんのこと、大事に思ってくれてたんだね」

 その言葉に、神沢ははっとした。アサカの気丈さに、驚きを隠せなかったのだ。

 ついさっき、自身に危害を加えようとした人物に対し、そのような感情を抱けるとは。カナコの感情や思想は、決してまともとは言えない。それにも関わらず、そんな言葉を口に出来る彼女のたくましさに、神沢は尊敬の念さえ覚えた。もう、言葉が出ない。神沢は自分が情けなく思えた。

 ――十歳の少女に諭されるとは。

 思わず自嘲した。

 ふと顔をあげ、アサカを見ると、彼女は目に涙を浮かべていた。そんな彼女を胸が締め付けられるような思いで見つめていると、「ねぇ、神沢さん」と、小さな声でアサカが言った。

「私がいるから……いけないのかな」

 苦しげな表情を浮かべ、アサカは声を絞り出した。

 誰もがアサカを責める。麻生も、カナコも。シンゴが死んだのは、お前のせいだ。お前のせいで。

 そんな憎しみに満ちた言葉を、ここ数週間の間に、何度となく浴びせられてきた。そんな言葉に、ひ弱な彼女が打ち勝てるはずがない。

「そんなことはないよ」

 まただ。自分はどうしてこんなことしか言えないのだろう。こんな安っぽい言葉で、彼女の心に巣食う闇を取り払うことなど出来るはずがない。少女一人救ってやることの出来ない自分が、恨めしい。神沢は強く下唇を噛んだ。いっそ、自分などこのまま舌を噛み切ってしまうべきなのではないかとさえ思った。

 そして、そう思うと同時に、神沢の中ではあるものの存在が浮かんだ。

 ――M135を服用していれば、彼女はこんな苦しみを味わうこともないんじゃないだろうか。

 町田の笑みが脳裏に浮かぶ。そして、頭の中で彼女が告げる。

 ――「あなたは自分の仕事だけを忠実にこなしていけばいいのよ」

 神沢は頭を振った。何とか、それだけに止めたのだ。本当は、もっと激しく頭を振り乱し、体中を掻き毟りたい衝動に駆られていた。そうでもしなければ、自身の中にある邪念を振り払えないと思ったのだ。

 アサカが、そんな神沢を不安げな、恐れを抱いた面持ちで見つめていた。咄嗟に、神沢は彼女に謝罪した。上手く笑顔を作れない自分に、更に苛立ちを感じる。アサカを救えず、不安にさせることしか出来ないのかと思うと、いてもたってもいられなくなった。

 絶対に彼女を救わなければならないのだと、神沢はそんな思いに駆られた。そんな感情が湧き立つと同時に、神沢はアサカの細い肩を強く掴んだ。アサカが悲鳴に似た短い叫び声をあげた。その声に驚き、神沢は思わずアサカの肩からさっと手を離した。慌てたように両手を広げてひらひらとして、彼女に謝る。

 互いに落ち着いた頃合いを見計らって、神沢は深呼吸をして、アサカに告げた。

「アサカちゃん。君は、絶対に僕が守ってみせる。何も心配しなくていい」

 アサカは、きょとんとした顔をしたかと思うと、すぐにその表情を曇らせた。眉をひそめ、何処か悲しげな顔をしている。

「お兄ちゃんじゃないのに?」

 伏し目がちにアサカは言う。

 ――傲慢だった。

 その言葉を聞いた神沢は、即座にそう思った。

 そう、やはりアサカにとってシンゴという存在はまさにかけがえのないものだったのだ。シンゴはアサカがこの世に生を受けた瞬間から、彼女の側を離れず、生涯彼女を守り続けてきた。そんな彼の代わりにアサカを守ろうなど、ただの驕りでしかない。アサカにとって、自分を守ってくれるのはシンゴしかいないのに。

 自分の言葉に、神沢は後悔した。しかし、引き下がる気になれるはずもなかった。

「これからは、僕がアサカちゃんを守る。僕がシンゴ君の代わりになる」

 僅かながら、声が震えている気がした。

「どうして、そんなに私を守りたいの? 私、皆にいらないって言われてるのに」

 アサカは表情を歪めながら言った。身を縮こまらせて、俯き加減になっている彼女の姿は余りにも痛々しい。

「君を守りたい。君は大切な人間なんだ」

 そうは言うものの、神沢自身も何故ここまでアサカに固執にするのかは分からなかった。けれど、アサカのことを放っておくことは、やはり出来ない。アサカが秘めている神秘性や強さは、彼女と対峙するものを魅了する。それが失われてしまう、非情な誰かに奪われてしまうのが惜しいように思われるのだ。もしも、自分にアサカを守れるだけの力があるのならば。彼女がそうすることを許してくれるのならば。

「私、ここにいていいの?」

 胸が痛むのを、確かに感じた。アサカの全ての思いが伝わってきたようだった。その胸の痛み以上に、アサカは苦しみを背負っていると考えると、心身が震える。

「あぁ、いてもいいんだ。いなくちゃ駄目だ」

「私に、何が出来るの?」

「え? それは……」

「私、薬飲んでないし、病気でもないから、ここにはいれないんじゃないの?」

 確かにアサカの言う通りだ。

 彼女は、M135の臨床試験対象者ではない。それにも拘らず、アサカをいつまでもベースに居住させるのは難しいと考えられる。

 アサカが対象者として候補に挙がっていたのは確かだが、彼女に新薬を飲ませる訳にはいかない。他の者達と同様に崩壊することがないとは言い切れないからだ。シンゴと同様、アサカにも強い精神力が備わっているに違いない。そうなると、やはり精神崩壊のリスクは高くなるのではないだろうか。

 彼女の凛とした強さがM135によって損なわれるのは、どうしても避けたい事態であると神沢は考えていた。

「そうだ」と、神沢が突然声を上げたのでアサカは驚いて椅子から飛び上がった。

「薬を飲んでいるふりをしていればいいんだよ!」

 アサカは意味が分からないという風に、小首を傾げた。

「君はこれから、僕の独自の研究に関する重要な試験材料になる。もちろん、それは嘘だ。まぁその研究の内容は僕が後から考えて、適当にでっち上げよう。そうして、いつも僕の監視下に置いておくための口実を作るんだ」

「また……騙すの?」

 アサカの表情は非常に苦しそうだった。胸元に小さな手をあてがっている。

 ――彼女にはまだ、心がある。その仕草を目にした神沢は、そう感じて心なしかほっとした。

「仕方ないんだ。そうしないと、君は生き残れない。ベースを出れば、ここ以上に危険が溢れてる。そんな中に君を放り出すことは出来ないよ。君は生きてなくちゃならない。君は、ここにいなければならないんだ」

 何処となく脅しじみた台詞で、神沢は自分を呪いたくなるような罪悪感に駆られた。しかし、その感情に負ければ、アサカが――。奥歯を噛み締め、弱い自分を叱咤する。

 アサカの表情は、なかなか晴れない。心を覆い尽くしている影が、彼女の中でどんどん増幅しているのだろう。その影の正体は、疑問だ。自分は生きていていいのか。ここにいていいのか。その答えを、アサカはまだ自分で見つけていない。それを自分自身の中で見つけないことには、彼女の中にある影もまた、消えることはないのだろう。

 しかし、その疑問の答えを幼いアサカが独力で見つけられるとは思えなかった。その疑問を突き詰めていけば、自己の存在理由という、余りにも哲学的な疑問へと変容していく。アサカはまだ、思春期も迎えていない、たった十歳の女の子だ。その答えを見つけるには、精神的な成長と、時間、更に他者との接触が必要だと、神沢は考えた。

「納得……出来ないんだね」

 神沢がそんな考えを胸に隠しつつ、アサカに尋ねた。すると、アサカは眉を寄せて神沢の目をじっと見つめると、瞼を閉じて頷いた。

「ゆっくり考えて、答えを見つければいいよ。焦らなくていい。とにかく今は、ここにいなさい。答えが出たら、その時は好きにすればいい。その時は、僕も何も言わないから」

 ね、と神沢は再度アサカに念を押すようにして、彼女の瞳を見つめながら言った。アサカはもう、頷くしかないといったように、力なく頷いた。そして、「分かった」と小さく言うと、神沢を呼んだ。

「私を守って」

 神沢は頷くだけでは物足りない、彼女の気持ちに応える証明にはならないと感じ、アサカの手を強く握り締めた。

神沢ロリコンwww

許してやってくださいw

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