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シンゴ(2)

 シンゴはもはや空腹を感じることがない程にまで飢えていた。ただ漠然と、何か食べなければと思うだけであった。

 恐らく、これが人間の本能というものなのだろう。理性的で合理的な精神とは関係なく、肉体は本能に従って欲求を満たそうとする。謙虚な精神とは相反して傲慢な肉体は、貪欲にひたすらに生きようとする。飢えというものがその傲慢さゆえにもたらされるのならば、肉体とは本当に厄介なものだと思わずにはいられない。

 先程からずっと歩いているはずなのだが、そういった感覚がない。ふわふわと宙を漂う浮遊霊にでもなったようだ。

 もしかすると自分だけが気付いていないだけで、本当はすでに死んでしまっているのかもしれない。シンゴは深い霧が立ち込めているかのよう朦朧とした頭の中で、ふとそんなことを真剣に考えた。

そんなシンゴを現に引き戻したのは、彼を呼ぶ仲間の声だった。

「シンゴ、大丈夫か?」

 シンゴが何とかして辿り着いたのは、寂れた公園だった。そこに集まっていた若者の何人かがシンゴの姿を見つけて駆け寄ってくる。

 シンゴも、このグループの一員なのである。十代から二十代前半くらいの彼らは、寧ろ何処かのグループに属していなければ生きていきえないのである。一人でいるのもいいかもしれないが、何処かのグループの者達に襲われ、身包みはがされてしまうのが関の山である。

 シンゴは仲間の声を聞きながら、一歩足を進めた。しかしその瞬間、大きくバランスを崩してよろめいた。まるで頭がその重量を増したようだ。

 危うくそのまま倒れてしまいそうだったが、シンゴのすぐ近くまで来ていた少年が間一髪のところで彼を受け止めたので助かった。

「大丈夫か」

「あぁ……ありがとう、ワタル」

 上下左右がでたらめに入り乱れているような感覚の中で、シンゴは柴田ワタルの肩を支えにして何とか体勢を立て直した。

 あぁ、まだ生きているのか。ワタルと肩を組んで、自分がまだ浮遊霊になってはいないことをシンゴは再認識した。嘲笑にも似たため息が彼の口から漏れ出した。

 シンゴはワタルに支えられながら十数人が集まっている公園の中心部まで辿り着いた。古い鉄製のベンチに倒れこむように腰掛ける。

「誰か、シンゴに食べ物やってくれないか」

 ワタルはベンチの脇に立って、公園にいる者全てにその声が聞こえるよう、大きな声で言った。

「シンゴ」

 この集団の中で恐らく最年長であろう青年が、ワタルの呼び声と共に立ち上がり、二人の元へやってきた。

 ゆっくりと歩み寄る。そして、ベンチの前で立ち止まると俯いて座るシンゴと視線を合わせるため、彼はベンチの前にしゃがみこんでシンゴの顔を覗き込んだ。

「お前、ここに来たら食べ物がもらえると思ってないか?」

 崩れかかった砂山のように力なく座るシンゴに向かって、青年は凄んでそう言った。

 シンゴは、その言葉を聞いて反射的に目の前にある彼の顔を見た。

「シュウジさん」

 ワタルはシンゴを庇おうとしたのだろう、咄嗟にシュウジの腕を掴んで引き寄せた。しかし、彼はシンゴから目を離そうとはしない。

「シンゴ、分かってんだろ」

 シンゴも俯いたまま動こうとしない。シュウジの声が彼の耳に届いていたとしても、決して心には届いていないだろう。

「俺達はお前にタダ飯食わせるために走り回ってるわけじゃないんだよ。お前が大変なのはもちろん知ってる。だけど、お前だけじゃないんだよ、大変なのは!」

 徐々に語気が強くなっていくシュウジを抑えようと、ワタルは何度も彼の腕を揺すり、名前を呼んだ。

「甘えてんなよ!」

 シュウジはついに声を荒げて、シンゴを怒鳴りつけた。

「みんな自分が生きてくのに必死なんだ。それを支え合うために集まってるだけだ。基本的に食糧の調達は各自でやるのが俺達のルールだろ。調達してきた食糧を分け合うのは、本当にどうにもなんない時だけだ。お前、ここ一週間何処で何してたんだ!」

 ほら、言ってみろよ、と恐喝のように怒声をあげるシュウジを、ワタルはもう止めることが出来ない。年上の凄みに負けてしまったのだ。ただ、腕にしがみついているしか出来なかった。

 黙ったまま俯いているシンゴが、もごもごと口を動かした。

「聞こえねーよ」

 シュウジは今にもシンゴの胸ぐらに掴みかかりそうな勢いだ。それだけは避けなければ。ワタルはそう思い、シュウジの腕を掴んだままの手に一層力を入れた。

「家で……寝てた」

 やばい。ワタルは咄嗟に身構えたが、心配はいらなかった。シュウジはまだじっとしている。

「アサカちゃんは」

「アサカは……ずっと家にいる。外には出たがらないから」

「それで、お前もずっと家にいるのか」

 いつの間にか、シュウジの声色は穏やかなものに変わっていた。

 シンゴはこくりと頷いた。

 大きな溜息がシュウジの口から漏れ出した。それから彼は、シンゴに向かって静かに呟いた。

「シンゴ……お前、もうここに来るな」

「シュウジさん! 何言ってんすか!」

 ワタルはシュウジの言葉を聞いて、腕を思い切り引っ張りあげた。突然加わった強い力に従って、シュウジは頭上から糸で引き上げられるように、ふらりと立ち上がった。

「ワタル、邪魔するな」

「でも、そんなこと! 何でなんすか。シンゴは俺達の仲間でしょう!」

「うるせぇな、黙ってろ」

 シュウジはワタルにそう吐き捨てると、強く掴まれた腕を振りほどいた。しかし、ワタルは引き下がらない。

「黙らないっすよ」

「いいから黙ってろ!」

 威圧感。やはり最年長だ。シュウジが凄むとワタルは何も言えなくなった。ワタルは思わず後ずさりした。

 一方のシンゴはシュウジの怒声を耳にしても、俯いたままでいた。声が聞こえているのかどうかも分からなくなるほど、彼は無反応だった。

「シンゴ、お前をずっとここにいさせるわけにはいかない。俺達はお前のために食糧を集めてるわけじゃないんだ。お前、ここ最近全然ここに食糧持って来れてないだろう。ギブ・アンド・テイクとは言うが……シンゴについてはその関係が成り立ってない」

 淡々と語るシュウジの脇で、ワタルは拳を固く握り、唇を噛み締めているしか出来なかった。幾分か柔らかい口調で言葉を繋いでいたシュウジだったが、その雰囲気は決して優しくはなかった。子供を厳しく諭す父親のようだとも言おうか。聞いているかどうかも分からないシンゴの様子を見て、その雰囲気は更に厳しくなった。

「俺を見ろ、シンゴ」

 シュウジが低い声で言った。さすがにその声に反応したシンゴは、ゆっくりと彼の顔を見上げた。その瞳に光はなく、深い暗闇をたたえていた。

「もう二度とここに来るな。分かったな」

 シュウジがそう言ったのを聞いたワタルは、いてもたってもいられなくなった。ワタルはシュウジの肩を鷲掴みにして、自分の方に向かせるようにシュウジの体を回転させた。

「シュウジさん! そんなこと言わないでくださいよ! シンゴは……」

「こいつはもう、駄目なんだよ」

 揉み合う様にしている二人を、シンゴはただ見つめていることしか出来ずにいた。

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