アサカ(8)
カナコが、アサカの瞳の奥をじっと見つめていた。華のように微笑みながら、獲物を見定める肉食動物のように目をぎらつかせて。
そんな彼女の表情を見るうち、アサカの中にあった疑念と違和感が火花を散らすような激しさをもって、その形を明らかになっていった。
――カナコは、シンゴの死を知っているのだろうか。
頭の中に引っかかっていたのは、そのことだった。
恐らく、知っているのだろう。その上で、彼女はアサカに言い寄ってきているに違いない。
更にカナコは不思議なことに、今まで一切シンゴのことを口にしていない。違和感の原因はそれだ。不思議というよりも、それはもはや不気味だった。
これらの事実に隠されている、カナコの真意とは一体なんなのか。ただの親切心からだと思うことは、何故か出来ない。自分の感覚のようなものが、激しく警鐘を打ち鳴らしているようだ。それが響いて、指先がびりびりと微かに震えている。
「じゃ、私着替えとか部屋から持ってくるね。アサカちゃん、中で待ってて」
アサカが押し黙っていたためか、しばらくするとカナコは独断を下してしまった。
快活な口調でそう言うと、カナコは廊下を軽やかな足取りで走って行った。その背中には、何か異様なものが感じられて仕方ない。
どうしよう。彼女は一体部屋に来て何をしようというのか。それに、彼女がそう言い出したことで確信が得られた。カナコは、シンゴの死を知っている。もし、シンゴがいれば、一緒に寝ようなどと言い出すはずがない。
何かを企んでいるのだろうか。だとしたら、自分はどうなってしまうんだろう。
アサカは突如として不安感に駆られ、その身を震わせた。足元から頭の先まで、冷たい蛇がすごい速さで這い上がっていくようだった。
とりあえず部屋に入ることにする。一歩ドアの方に歩み寄ると、膝が震えていることが分かった。
どうしよう。妙に身の危険を感じる。今まで、カナコに対してこんなにも恐怖を感じたことはなかった。以前会った彼女と、今日の彼女は同一人物でありながらも、まるで別人のようだ。その違いをはっきりと言葉にすることは難しいが、明らかに雰囲気が違う。その差異に、背筋が凍りそうになる。
万が一、何かあったとき、自分はどうすることが出来るのだろう。何が出来るだろうか。
少し考えてみたが、自分には何も出来そうにない。抵抗したとしても、たかが知れている。自分が今まで、いかにシンゴに守られてきたのかを身を持って実感した。――私は、お兄ちゃんがいなければ、何も出来ない。そう思って、しばらくアサカは途方に暮れた。
そんなことを考えているうちに、ドアがノックされる音が聞こえた。びくっとアサカの身体が飛び跳ねた。カナコがやって来たのだと、ドアを開かなくてもはっきりと分かる。心臓がドクドクと騒ぎ立てている。
「ごめん、アサカちゃん、ドア開けてくれない? 両手塞がっちゃってるの」
ドアの向こうから、カナコが声をかけてくる。待たせてはいけないと思い、ドアノブを急いで引っ掴む。
ドアの隙間から、カナコが愛らしい笑顔を覗かせている。
「ありがと。ごめんね」
見ると、彼女は着替えだけでなく、何冊かの本を抱えていた。見るからに難しそうな気がして、アサカはすぐにその本から目を逸らした。
カナコは相変わらず、アサカに対して何かと気を遣ってくれた。お菓子を用意したり、お茶を淹れたりと、少し遠慮したくなるような雰囲気さえあった。
そして彼女は、さっきまでと同様にアサカの反応を気にする様子もなく、ひたすらに話していた。
一人になってからのアサカはろくに眠れない日々が続いており、睡眠が不規則だった。全く眠れない日があるかと思えば、驚くほど眠り続けてしまう日もあった。そして、今日に限って、異様な眠気がアサカを襲っていた。瞼が重く、退屈なカナコの話が子守唄のように感じられ、うとうとしてしまっていた。
「あ、アサカちゃん、もう眠い? ごめんね。話しすぎちゃったかな」
カナコが申し訳なさそうに言う。余りにもカナコが申し訳なさそうにするものだから、アサカは思わず眠いのを堪えて、首を横に振ってしまった。「本当に大丈夫?」と念を押されると、今度は首を縦に動かす。
「無理しないでね。アサカちゃんは成長期なんだから、しっかり眠らなくちゃね」
優しい口調でそう言うカナコは、菩薩のように穏やかな微笑みを浮かべていた。しかし、目は笑っていない。アサカにはそれがはっきりと分かりつつあった。




