アサカ(5)
「成る程。じゃあ麻生は、自分の姿をアサカちゃんに重ねてたのか」
「ええ、多分そうだと思うわ。彼の中で、兄に殺されそうになったっていう記憶は、強いトラウマになってたはずだしね。でも、殺したのは幻影の中の兄ではなく、シンゴ君だった……。麻生があんなにシンゴ君を気に入ってたのも、お兄さんのことが意識の中にあったからでしょうね。兄に対する償い、かしら。シンゴ君に兄を重ね、自分自身をアサカちゃんに重ね……そして再び、麻生は兄を殺してしまった」
神沢はその真実に限りなく近いと思われるその推測を耳にして、言葉を見失った。目元を押さえ、暴れだす感情を必死に堪える。「……なんて……残酷な」ようやく出た言葉は、そんな薄っぺらいものだった。それで精一杯だった。
「でも、そう考えると辻褄が合うわ。妥当な考えだと思うけど?」
「あぁ、妥当なことに間違いはない。でも……現実っていうのはとことん冷酷なんだな。神様は……もう誰も救ってくれないのかな」
神沢は自嘲的に笑いながら呟いた。瞳が充血している。疲れのせいか、こらえた涙のせいか。
「神様?」と、町田が鼻で笑ってから言った。
「あんた、神様なんていないってこと、知らなかったの?」
もはや、笑うしかないじゃないか。そう言わんばかりに、町田はけらけらと笑った。狂ったピエロのように笑う町田は、余りにも悲しみを背負い込んでいた。悲しみの道化だ。
そして突然、コンセントが抜けた機械のように町田は動かなくなった。笑うことを止めた町田は、今度は不気味な程静かになった。深呼吸をする息の音だけが聞こえる。息を吐き出しきると、彼女は震える声で呟いた。
「ほんと、馬鹿みたいよね。神様なんていないんだから、祈ったって仕方ないのに、分かってるのに、私、今も祈ってるのよ。麻生が、戻ってくるようにって……」
俯いた町田の目は、瞼や睫毛が少し動く度にキラキラと不規則な光を反射させている。それが涙のせいであることを、神沢はもちろん気付いていた。
しかし、負けん気の強い彼女が他人に涙を見せることは、許しがたいことであるはずだ。神沢は何も言わずに、その輝きを見つめていた。
「確かに、神様に祈っても仕方ないのかもしれないな。でも、だからって祈ることが全て無駄になるわけじゃない」
「どういうこと?」
「神様はいないから、祈りは届かない。でも、麻生はいるだろ? この世に存在してる。だから、麻生に祈ってればいいんだよ」
「何よ、その理屈」と、町田はくすりと笑った。神沢自身も、我ながら馬鹿馬鹿しいことを言っているとは思った。けれど、気を紛らわすには丁度いいだろう。現にこうして、町田は笑った。それだけで良かった。彼女にとって涙は、世界一似合わないアクセサリーだ。
「麻生は、いつか帰ってくる。ここには帰ってこなくても、僕達のところには絶対また来てくれるさ。あいつ、意外と情に厚いし」
「そうね」
町田は普段の表情を取り戻していた。強気そうに見える彼女だが、本当は人一倍繊細な心の持ち主なのだ。それを彼女は負けん気で懸命に隠している。それに気付いているのは、おそらく麻生と神沢ぐらいの者だろう。町田の心の支えになりうるのは、本当に彼等しかいない。彼等がいなければ、町田はものの見事に倒れてしまうだろう。
「ところで、あんたも何か気付いたことあったんじゃないの?」
「え?」
「シンゴ君が何でアサカちゃんを殺そうとしたのかって話してる時だったかしら。あんた、何か思い付いたみたいだったじゃない」
町田にそう言われて、神沢はようやく思い出した。「あぁ、そうだった」と、神沢は手を打った。
「これは、僕の推測でしかないんだけど……余りにもスピリチュアルな話になりそうだから、ユウコは嫌がるかもな」
「別にいいわよ。何でもいいから話してみなさいよ」
神沢は、シンゴがアサカを殺そうとした理由の推測を語り始めた。
アサカは、シンゴが自分を守ろうとしただけだと言っていた。それはどういうことなのか。明らかに彼女を殺そうとしていたのに、それは何かの間違いだとでも言うのか。
「シンゴ君は、アサカちゃんを殺そうとした。けれど、それは何らかの衝動によるものではなくて、ちゃんとした理由の下で彼は行動したんだ」
「その理由ってのが問題なのね」
「死ぬということは、存在がなくなるということだ。存在がなくなれば、傷付けられることはなくなる」
神沢がそう言うと、町田ははっと目を見開いた。
「まさか……アサカちゃんを守るって……」
「そういうことじゃないかと、僕は思うよ」
「そんな馬鹿みたいじゃない……殺すことが、守ることになるなんて、おかしいでしょ」
「確かにそうだ。常人なら、そういう考えには至らなかった。彼は常人ではなかった」
神沢の言葉を耳にした瞬間、電流が走ったように町田の肩がピクリと動いた。そして、鋭い視線が神沢の目に突き刺さった。
「何が言いたいの」と、町田が声を低くして尋ねた。
「すごい薬を作ったねという賞賛の言葉を」
神沢の声はわざと明るく調整されているようだった。
「嫌味は私の専売特許よ?」
「じゃあストレートに言おうか?」そう言って神沢はにやりと笑った。そして、すっと息を吸い込む音が聞こえ、そして次に神沢の口から出た言葉は弾丸のようになり、町田に襲いかかった。
「君が開発した薬は、最悪だ。精神崩壊を招くドラッグと、何ら変わらない!」
町田は思わずはっと息を飲んだ。何か言い返さなければ。そう思えば思うほど、言葉に詰まる。神沢の言葉が大きな手になって、喉元を締め付けているようだ。
「違うわ。M135は世界を救うのよ」
何とか、言うことが出来た。その声は自分でも驚くほど震えていた。
「ユウコ、お前はとんでもないものを作ってしまったかも知れないんだ。これでようやく分かっただろ」
神沢は町田に歩み寄ろうとした。何とか説得しようとしたのだ。
これ以上、被害者を増やしてはいけない。負の連鎖はおそらく何処までも続いていく。その連鎖を断ち切る為には、薬の研究を中断しなくてはならない。対象者達の薬の服用をやめさせなければならない。
それには、言うまでもなく町田の力が必要だ。そんな考えが、神沢の中に芽生えていた。