シンゴ(1)
見慣れた天井だ。
まともに掃除もしていないので、埃が蜘蛛の巣のように天井からぶら下がっている。薄汚い、という言葉で形容するに相応しい光景だ。
櫻田シンゴはダイニングの椅子に深く腰掛け、ぼんやりと天井を眺めていた。
照明としての機能を忘れてしまったかのように、ただ天井にぶら下がっているだけの蛍光灯。物心ついた頃から、この蛍光灯が煌々と輝いているのを見たことはなかったように思う。
シンゴの住む部屋は、太陽が地上に目映い光を届ける昼間でさえも、夕闇に包まれているかのように薄暗かった。
前に食べ物を口に入れたのは、丸三日前になる。それも、決してまともな食べ物ではない。
外に出たときに忌々しいカラス達が何処から見つけてきたのか、パンをついばんでいるのを偶然見つけ、群がるカラスを追い払って横取りした、薄汚いパンだ。
それを妹のアサカと分け合った。
三口で全てなくなってしまう程の量しかなかったが、これでもう少し生き延びることが出来ると思うと、カラスの真っ黒な翼も、貧しく飢えた者を救うために降り立った天使の白い翼のように見えるのだった。
シンゴは十八歳の少年だ。妹のアサカは、まだ十歳の少女。
十歳と言えば、成長期が訪れ徐々に女性らしい体つきになっていく頃だが、アサカはほとんど満足に食べられずに育ったせいであろう、身長も低く、未だに小学校低学年のような幼い体型だった。
本当は、その下にカズキという弟がいた。アサカの一つ下の、やんちゃ盛りの可愛い少年だった。
しかし、今この家にはシンゴとアサカの二人しかいない。
両親は、三人を育てるため、毎日必死で働いていた。しかし二人が必死で働いても、家族全員が毎日三食、腹一杯まで食べられることはなかった。そんなことはもはや夢でしかないと思わざるをえない状況だった。子供達にひもじい思いはして欲しくないと、シンゴの両親はまさに身を削りながら三人を育てていたのだ。
そんな生活の中で、先に音をあげたのは母親の方だった。
母親は先の見えない真っ暗な人生を歩むことに疲れてしまったのか、ほとんどインクの出ない掠れた油性ペンでたった一言、「もうつかれました。ごめんなさい。お母さんをゆるしてください。」と窓に書き残して、この世を去った。母親はマンションの十一階にある自宅のベランダから飛び降り、地面に叩き付けられてその生を終えた。
静寂に包まれた真夜中、誰にも気付かれないまま、母親は突然いなくなってしまった。
最後に残された母親の言葉は、今も窓に刻み付けられている。その文字は生前の母を体現しているかのようだと、シンゴは思うのだった。
父親は、そんな風にして突然訪れた母親の死によって自我を失った。
仕事に赴くこともぱったりとなくなり、毎日を暗い部屋の中でぼんやりと過ごしていた。
そしてある日、夜明けと共にカズキを連れて夜逃げの如く静かに家を出て行ってしまった。
きっとカズキを連れて、あの世へ旅立ったのだろうと、シンゴは悟った。
シンゴは絶望を感じずにはいられなかった。それと共に彼の中に沸き立つのは、両親に対する憎しみと怒りだった。
裏切りの如くこの世に自分達を残したまま去っていった、両親。何故、自分達だけ逃げることが出来るのか。
今まで育ててもらった感謝などという感情はシンゴの中から消え失せた。
幼いアサカは、家族の消失という残酷な事実ゆえに声と感情を失った。彼女の可愛らしい声も笑顔も全て、両親に奪われた。両親は全ての苦しみをシンゴに押し付けて、現実から逃げ出したのだ。彼には、そうとしか思えなかった。
シンゴにとって、アサカだけが何よりの救いだった。彼女が生きてくれている、声も感情も失ってしまったが、彼女の心臓が鼓動を打ち、肺が酸素を取り込んでいる。その事実だけで、シンゴは何とか生きていられたのだ。彼女が生きていくには、自分の存在が必要なのだ。アサカの存在こそがすなわち、シンゴの存在意義なのだ。
「アサカ、兄ちゃん食べ物探してくるから、ちゃんと待ってるんだぞ」
シンゴは部屋の片隅でぼんやりと窓の外を眺めているアサカに声をかけた。
彼女の見つめる先には、残酷な程に爽やかに晴れ渡った青い空と白い雲が浮かんでいた。短い秋の訪れを感じさせる、高い空だ。
シンゴの声に反応したアサカは、ゆっくりと頷いた。力のない動作だ。
「暗くなる前には帰るから」と告げて、シンゴは家を出た。
家を出るときは必ず厳重に施錠した。空き巣に入られても泥棒が喜ぶものは何一つとしてありはしないが、アサカがいる。暴漢に上がり込まれたら、きっと彼女は抵抗することさえ出来ないだろう。
そんな事態が起こらないと言い切ることは出来ないほど、治安は乱れていた。シンゴの住む地域のみならず、日本中がそうであった。
違う種類の二つの鍵でドアに鍵をかけると、鉄製の鎖でドアノブをがんじがらめにして南京錠をかける。
家の中にいるアサカが中からチェーンをかけてくれればいいのだが、彼女は定位置である部屋の片隅から滅多に動かないし、それを忘れてしまうことがあるに違いない。
念のため。この時代、世界で行動するうえでは、それを心がけるに越したことはない。
一繋ぎにした三種類の鍵を首からぶら下げ、更に服の裏に縫い付けたポケットの中に鍵を入れると、シンゴはようやくドアの前から歩き始めた。何事も起こらないまま、またこの場所に帰ってこられるようにと祈りながら。
食料の調達は、シンゴのような者には難しいことであり、それでいて当然ながら非常に重要なことであった。
毎朝八時に、政府がなけなしの予算から捻出した最低限の食糧が配られてはいる。しかし、配給が得られる条件は決して寛容なものではないのだ。
配給の対象条件は、戸籍登録のされた家族三名以上が同世帯で生活しており、そのうち過半数が失業しているか、五十歳以上であるか、もしくは何らかの身体的要因等により労働を行うことが出来ないか、そのいずれかを満たしていることであった。その他にも、例外的なケースにおいてはさらにいくつかの条件が付け加えられることもある。
もちろん、その条件を満たしていることを証明するために必要とされる膨大な量の書類を揃え、複雑で厳正な申請を経なければならない。
そのため、配給を受け取る資格を有する者は極わずかである。
配給によって得られる食糧の量は決して満足のいくものではない。それでも、シンゴのように配給を得られず、日々生死をかけて生きる飢えた人々にとっては羨ましい限りであった。
配給を得られない人々は、様々な手段を行使して食糧を得ていた。
物乞いのように路上でひたすらに何か食べ物を恵んでもらうのを待つ者、物々交換などで人々と交渉して食糧を得る者、奴隷のように働いて恵みを得る者など。
人々は皆、独自の処世術を身に付けて毎日を必死に生き延びているのだ。
もちろん、平和的な方法でなく、暴力的な方法で食糧を得る者も決して少なくはなかった。特に若い少年達はグループや派閥を組み、それらの集団の中で協力しながら生活の糧を得ていた。