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シンゴ(17)

 シンゴはただ黙って、それを聞いていた。

 拘置所を思わせる冷たい部屋の中に、ただただ麻生の声が響いていた。

「お前に殴られた男にも話を聞いた」

 その時、俯き加減でだらしなくベッドに腰掛けているシンゴの身体が、ピクリと弾んだ。

「確かに、アサカにぶつかったような気もするらしい。が、倒れる程強くぶつかった覚えはない、と言っていた。しかし、振り返ると、アサカが倒れていた」

「強くぶつかったに決まってる」

 その声には静かな怒りがこめられていた。音もなく、青く燃え上がる炎のような怒り。

 俯いて前髪がかかっているせいで、麻生からシンゴの表情は窺えない。しかし、想像は出来た。怒りに狂う修羅のように猛るシンゴの表情が。

「アサカが倒れる瞬間を見ていた奴も、そこまで強くぶつかってはなかったと言っている」

「そんなわけねーだろ!」

 沸点を迎えた怒りが、麻生にぶつけられた。

 ガタン、と大きな音を立てて、勢いよくベッドから立ち上がったシンゴが鉄格子の向こう、麻生の目の前にいた。

「落ち着いて聞けっつったろ」

 あくまで冷静な物腰で、麻生が言う。頭に血を昇らせたままの馬鹿に、何を言っても無駄だ。こっちまで怒り任せになれば、こいつは益々崩壊していくに違いない。そう、察していた。

 鉄格子を握りしめているシンゴの手には、かなりの力が入っているのが一目見ただけでも分かる。武者震いのように、小刻みに震えている。

「アサカに会わせろ。アサカに聞けば分かる。きっと、強くぶつかられたんだ。それなのに、周りの奴らがグルになって、俺を貶めようとしてるんだ!」

 鉄格子がガシャガシャとがさつな音を立てる。開くはずのない鉄格子を、シンゴが力一杯揺さぶっているためだ。

「落ち着け」

 麻生が冷徹とも言える声色で言い放った。しかし、シンゴの耳には届いていない。

「何でだよ! 何でいつも俺ばっかりこんな目に遭わなきゃならないんだよ! 何もしてないじゃないか! 俺は、アサカを守りたいだけなのに! アサカは、俺が……」

 鉄格子に手をかけたまま、シンゴはずるずると泣き崩れていった。

 孤独にむせび泣く一匹狼の遠吠えのようだった。

 悲しい叫びが、麻生の頭を侵食していく。


 ――何で俺ばっかり……

 ――何で、俺はいつだって頑張ってきたのに……

 ――何で……何で……


 麻生は、きつく瞳を閉じた。本当は、両手で耳を塞いでしまいたかった。容赦なく耳に届くシンゴの叫びを遮るために。

 しかし、そうして瞳を閉じれば、心さえも閉ざすことが出来た。いつの間にか、その術を身に付けていた。

 麻生は、鉄格子の向こうにいるシンゴに手を伸ばした。猛獣が住む檻に手を入れるような感覚だった。噛み付かれるかもしれないと、麻生は本気で思った。でも、それでも構わないと思っていた。

 鉄格子にすがりつくシンゴの頭に、そっと手のひらを載せる。

「シンゴ、聞け」

 うわ言のように嗚咽を垂れ流しているシンゴの胸に届くように、麻生は声を低くして言う。

「アサカに、会いたいんだろう」

 反応はない。シンゴはただ、雄叫びのような泣き声を漏らすだけだ。

「あいつに会いたいなら、しっかりしろ。今みたいなお前に、アサカは任せられない。だから、落ち着け」

「頼むから、逃げないでくれ。あいつには、お前しかいないんだ。お前が逃げたら……頼む。しっかりしろ。守ってやってくれ」

 麻生の声は、少し上ずっていた。何かを堪えながら、シンゴに言葉を託しているようだった。

 ――届いた。

 檻に入れられたシンゴが、ゆっくりと顔を上げる。その顔は、涙と鼻水で濡れている。

 シンゴは真っ赤に充血した目で、麻生を見た。

「アサカに……会わせてくれ。俺が……守るから。どんなに苦しくても、守るから」

 震えた声で、シンゴはそう言った。




 数日後、シンゴの精神状態が安定し、いくつかの検査を終えたところで、シンゴはようやく特別処置室から解放された。

 上層部では、櫻田シンゴの処分が検討されていた。しかし、それは町田の尽力によって見送りとなった。

 そしてシンゴは、『一度、精神不安定状態、錯乱状態に陥った臨床試験対象者への対応のための最重要サンプル』として、再びベースで管理されることとなった。当然ながら、監視も以前より強化され、麻生以外の人間もそれにあたるようになった。しかしベースへの信頼の維持のため、監視グループのリーダーは依然、麻生が務めることになった。

 そうして、完全に今まで通りとは言えずとも、再び平穏な日々が取り戻された。

 アサカとシンゴの再会も、無事済んだ。

 一週間近くも側を離れていたためだろう。アサカの顔を見た瞬間、シンゴは彼女に泣きついた。

 その様子は半ば異常とも言えたので、それを側で見守っていた麻生は一瞬肝を冷やしたが、杞憂に終わった。ひとしきり泣き明かすと、シンゴは再び笑顔を取り戻してアサカの手をひいて歩き出した。


 平和、だった。

 検査と実験ばかりの毎日だったが、それはもはやシンゴが待ち望んでいた日常の光景であり、そこにアサカがいるだけで十分だったのだ。

 アサカの顔に笑みが溢れることは、相変わらずなかった。シンゴと再会を果たした時でさえ、その凍てついた表情を溶かすことはなかった。生きた人形の美しさをたたえたまま、涙を流すシンゴに身を委ねているだけだった。

 それでも構わない。

 彼女が、側にいるなら。

 彼女を守り抜くことが、自分の存在意義。

 シンゴはそう思い、己の立脚点を確固たるものにしたのだ。


 いつしか、夢を見ることもなくなっていた。

 あの少女がシンゴの前に現れることは、なくなった。

 許されたのだと、シンゴは思った。

 自分がアサカを守り抜くという決意を固めたから、夢の中の少女は自分を許したのだと。

 シンゴは晴れやかな気持ちで、毎日を過ごしていた。


 麻生も、町田の研究室に通う日々を終えると、改めて謹慎処分を受けた。丁度、シンゴが特別処置室から出た頃だ。

 謹慎だというのに、麻生は足繁くシンゴの元に現れた。その度に、シンゴは麻生を諭して自室に帰すのだった。「お前が心配なだけなのに」と、麻生が不平を漏らしても、シンゴは聞く耳を持たなかった。

 そんなシンゴの真摯な行動を、町田は笑いながら評価した。「あんた達、本当に兄弟みたいね」と、何処か憂いのある表情でシンゴに言うのだった。




 平穏が彼等を包み込み、誰もがそれぞれに満たされた日々を送っていた。

 シンゴも、アサカも。麻生も、町田も。


 そうして、シンゴとアサカがベースでの生活を始めてから、一年の歳月が流れた。シンゴが新薬M135の服用を始めて一年が過ぎたということだった。

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