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シンゴ(12)

「最近、おかしな夢を見るんだ」

 シンゴは町田の研究室にいた。

 様々な資料と、得体の知れない実験装置や薬品が並べられた雑多な部屋には場違いなソファー。

 麻生は、二人の会話を聞いているのか、そうでないのか分からない。ただいつもと同じ飄々とした振る舞いで、町田の部屋にある様々なものを物色している。

「ちょっと、それ、触らないでよ」

 町田が時折、麻生の行動を制止する。その度に麻生はにやりと笑って両手をあげて、触る意思がないことを示す。

 そうしていると、町田もシンゴの話に耳を傾ける気があるのか疑わしくなる。

 麻生の行動を横目で監視しながら、「どんな夢なの?」と町田がシンゴに尋ねた。

 一つため息を吐き出して、心を落ち着かせる。

「小さな女の子が……出てくる」

「それって、アサカちゃん?」

 そう言われたシンゴは、どきりとした。

「いや……違うと思う。よく分からないけど」

 一瞬の動揺を見透かされないよう、シンゴは努めたが、町田が見逃しはしなかった。それを口に出すことはなかったが。

 で? と、町田が続きを促す。

「ここ二週間ぐらい、毎日同じ夢なんだ」

 町田は口を閉ざしたままだ。ちゃんと聞いているから早く続きを話せと、無言で促す。

「女の子が、じっと俺を見てるんだ。俺はそのうち、妙に気持ちが落ち着かなくなってきて、それで……」

 シンゴが口ごもった。彼の視線は何処を見つめるでもなく、忙しなくあちらこちらを泳ぎ回っている。明らかに動揺が見てとれる。

「それで、どうなるの?」

 町田が静かな鋭さを潜ませた口調で尋ねた。

 その瞬間、シンゴの様子が変わった。僅かに表情が歪み、膝の上で組んでいた両手に力がこもる。視線も、豪奢な絨毯が敷かれた床に向けられたままだ。

 ――おかしい。

 町田はその様子から、妙な違和感を覚えた。町田の中にある、研究者としての勘が遠くから警鐘を鳴らす。

 シンゴは頭を抱えてぼそぼそと呟くように「分からない」と答えた。

「いつもそこで目が覚めるんだ。自分と女の子が最後にどうなるのかは、覚えてない。もしかしたら何か起きてるのかもしれないけど、思い出せない……」

 そう、と町田は静かに呟いた。

「今日はアサカちゃん一緒じゃないのね」

「神沢さんのところに預けさせてもらってる」

「どうして?」

 そう言って、町田は立ち上がった。その問いに対するシンゴからの答えはないが、別段それを気にするような素振りはない。答えなど期待していないと言わんばかりだ。

「麻生、煙草ちょうだい」

 本棚の前で、分厚い図鑑のような本をパラパラと捲って遊んでいる麻生に町田が言う。

「あれ、煙草は辞めたんじゃないの?」

「うるさいわね。考え事するときは吸うのよ。今切らしてんの」

 考え事ねぇ、と麻生は意味深に呟いた。

 麻生が胸ポケットから煙草を取り出す。町田は差し出された煙草を半ば引ったくるようにして受け取り、麻生が差し出したライターでその先に火を点した。

 妖艶な身体に紫煙を纏いながら、身を翻してシンゴの方へ向き直る。

 シンゴは相変わらずの様子だ。それを見た町田は、ため息を煙に隠した。

「その夢が気になって仕方ないから、麻生に頼んで私のとこに来たってわけ?」

 シンゴは小さく頷いた。

 横目で麻生を見ると、その表情には相変わらずの腹立たしい笑顔があるだけだった。

 こいつの前世はきっと小賢しい狐だ。町田は彼を心の中で蔑み、小さく舌打ちをした。

「ってことは、それが薬のせいかってことが聞きたいのね?」

「ま、そう思うのも仕方ないだろう」

 何処か罰が悪そうにして、黙ったままのシンゴに助け船を出すように、麻生が言った。

「M135は精神に影響を及ぼすものだからな。それが夢という精神世界に変化を与えてもおかしくはないでしょう、町田所長」

「だから、そういう風に嫌味言うんじゃないわよ」

 煙草をくわえたまま、苛立ちを露にして町田が言う。

「まぁ確かに麻生が言う通りだわね。実際、似たような症例も報告されてるわ」

「じゃあ、あの夢はやっぱり薬のせいなのか?」

 町田のその言葉を聞いて顔を上げたシンゴの表情は、何かからの解放を喜んでいるようだった。

「そうとも言えるわ」

 シンゴがほっと胸を撫で下ろす一方で、町田は煙を吐き出しながら、その様子を余りにも冷ややかな瞳で見つめている。

 その突き刺すような視線に、シンゴが気付いた。ソファーに向き合って座る二人の視線が、空で結び付いた。その途端に、シンゴの表情が再び曇る。

「ねぇ、夢ってどういうものか知ってる?」

 シンゴには、その質問の意味も、その意図も理解出来なかった。彼の頭上にはクエスチョンマークで点灯している。

「知らないようなら教えてあげるわ。夢っていうのはね、意識的に、もしくは無意識的に抑圧された自身の願望を満たすためのものだという説があるわ」

 町田が何を言わんとしているのか、シンゴは未だに察することが出来ず、彼女の話にただ耳を傾けているしかない。

「人間っていうのは、欲望を満たさなければならない。でないと、そのフラストレーションがみるみる大きくなってしまうからね。それは精神衛生上、非常に良くないと言えるわ。だから、自発的に脳がその欲望を満たそうとするの。理性と現実世界の定理に干渉されない夢の中なら、どんな欲望も満たされるでしょ?」

「じゃあ、夢を見ることはいいってことか?」

「まぁ、普通ならそうね。でも、あなたの場合はどうかしら?」

 意味ありげな町田の視線が、シンゴに向けられる。何かを語らんとするその視線は、シンゴの心臓を鷲掴みにするかのようだ。どういうことか尋ねると、町田は再び語り出した。

「ずっと同じ夢を見てるんでしょう? ということは、本来発散されるはずの欲望が、未だに満たされてないってことよ」

 鷲掴みにされた心臓が、そのまま握り潰されたようだった。言葉を発することが出来ない。

「欲望が達成されないというのは、さっきも言ったけど、精神衛生上良くないこと。まして、そういったことが何度も繰り返されてみなさい。余計にフラストレーションが溜まる一方よ。あなたの精神世界は今、そういうフラストレーションの渦の中にあるのよ」

 分かる? とでも言うように、町田はシンゴに煙草を持った手を差し向けた。

「じゃあ、どうすれば……」

 シンゴは助けを乞うような弱々しい口振りで尋ねた。その表情には悲壮感が漂っている。

「一番いいのは、無意識下にある欲望を引っ張り出して、それを達成させることね。たかが夢の話ではあるけれど、今のあなたは明らかに欲求不満の状態にあり、それが現実世界におけるあなたの精神状態をも揺さぶるのは明白よ」

 そう言うと町田は煙草の火を灰皿の上で揉み消した。そして、背中をソファーに預けるとシンゴの頭上あたりを見つめながら何やら思案した。

「まぁ、そうね……無意識下の欲望を引っ張り出すなら、催眠療法とかが効果的かしら」

「催眠……?」

 シンゴが町田の言葉を訝しげに繰り返す。

 何となく胡散臭いイメージがあり、信用することが出来ない。シンゴがそう思っているのが分かったのか、町田は不敵な笑みを浮かべた。

「神沢に相談してみることね。彼は精神世界のスペシャリストだから、催眠療法ぐらいならかじってるはずよ。アサカちゃんを迎えに行くついでに見てもらったら?」

 ソファーに座る町田の白衣の裾からは、肉感的な脚が顔を出している。

 麻生が少し離れた場所から、その脚をいやらしい目付きで見ていた。町田はそれに気付いていて、敢えてそれを見せつけているように思える程、堂々としていた。

 シンゴはしばらく黙って思案した後に、そうだな、と小さく返事をした。

「何なら、今から神沢に連絡してあげましょうか?」

「いや、いい。自分で言う」

 そう、と町田は柔らかな、それでいてその奥に棘を隠したような笑みで答えた。

 彼女は見るものを屈服させるような雰囲気を持っている。そして、決してそれをひけらかしたりはしない。それが彼女の強さなのだろう。

「私でよければ、また相談に乗るわよ。一介の化学者でしかないけど、私にしか言えないこともあるでしょ。まぁ報告書を見れば済むんだけどね。あなた達がどんな状態にあり、どんなことを感じているのかを知るのは、私の研究にとって大切なことだから、直接聞けるに越したことはないわ」

「分かった。そうする」

 町田が微笑む。シンゴはその笑顔に妙に安心させられた。シンゴも、町田は頼りになる存在であると認識し始めたのだろう。

「あ、麻生」

 麻生は話が終わったものだと思い、町田の背後で背骨をバキバキと鳴らしながら伸びをしていた。

「あんた、ちょっと残っていきなさい」

 有無を言わさぬ鋭い目で、町田が麻生を金縛りにした。

「何で」

 麻生がうんざりするような顔で不平を言ったが、町田がきつく睨みつけながら「いいから」と言うと、それ以上は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。

「じゃあ、俺は行くよ。麻生、頑張れよ」

 シンゴはそう言って二人に別れを告げ、町田の研究室を去った。

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