プロローグ
この小説の時代背景など。
堅苦しい説明になっていますが……ここを耐えて本編に入っていただければ幸いです。
世間は病んでいた。
特にこの日本という社会においてその現実は、非常に深刻な問題となっていた。
長引く世界的不況が引き金となり、大手会社の倒産が相次いだ。あらゆる会社の上層部は皆が皆、頭を抱えていた。
一般の市民層も、経済破綻ゆえに日常生活を営むことに精一杯で、汗水垂らして懸命に働いても、会社を潤す利益は雀の涙。娯楽を楽しむような余裕はなく、様々な娯楽施設が閉鎖を余儀なくされた。
かつて、休日はたくさんの家族連れや若者達で溢れかえり、活気に満ちていた有名な巨大アミューズメントパークや巨大ショッピングモールなどは、その繁栄や虚しく、今やただの廃墟と化していた。
経済的問題の影響は、様々な方面に現れた。
文化的活動は廃れ果て、CDやDVD、漫画などというものも、世間から姿を消し始めていた。そんな中で利益を得られるはずのないミュージシャンや俳優たちは、善意と熱意のみで世間に活気をもたらそうとボランティアのような形で、全国各地で活動を行うしかなかった。そうでない文化人達は、己の理想を諦めた。そして、一般人に立ち並び、同様に毎日を苦労して過ごしていた。
世間はかつてないほど、病んでいた。
戦後の復興はまるで夢幻のように霞んでいた。全国民がこつこつと働き、奇跡的な復興と発展を全世界に見せつけた日本の姿は、もはやこの時代においては一片も見られない。
その戦後復興の後、豊かになった人々は裕福で何一つ苦労することなく日々の生活を送っていた。そんな満たされた環境で育ってきた今の労働者層は、この壊滅的な経済状況に絶望以外を見出だせず、若者達は皆、諦めてしまった。膝を付き、為す術もなく途方にくれるだけで、希望の活路を見つけるために足掻くことさえしない。
そうして、生きることを諦める者達があとを絶たなかった。
老若男女、日本に生きる多くの人々の中で、これからの人生に希望を抱く者はほんの一握りであった。
近所の誰々さんが自殺した、次は隣の一家が心中した、私ももう死んでしまおうか。そんな風に自殺というものが苦しみから解放される最後の手段として認識され、誰もが頭の片隅で死を考えていた。
そして、一人、また一人と自殺者が時の流れと比例しているかのように死んでいくのだった。
ニュース番組や新聞などのマスメディアは、毎日自殺者のリストを報道した。しかし、それは氷山の一角に過ぎなかった。
報道される自殺者の数は、約一万人にものぼったが、ある研究家は毎日五万人が死を選択していると述べた。毎日ドーム一個分を埋める数の人々が、この世から消えていっているのだ。
そんな日本の状態を悲観した世界の国々は、日本という国を破綻国家とし、日本の復興計画を半ば放棄する決定を下した。
最初は各国が日本を救おうと援助をしたが、それはことごとく予想に反した結果を生み出し、失敗の連続に終わった。
資金の援助をしても、何の経済効果も生まれなかった。
若者の多くが醜い現実から逃れるために麻薬や覚醒剤を求め、略奪や強盗の類いの犯罪が数多く発生し、負の循環を生み出すだけとなった。
そんな絶望の時代だった。