04 悪夢の始まり
こんこん、とノックの音でわたしは目が醒めた。
それでもふかふかのふとんの誘惑からは逃れられずぐずぐずしているうちに誰かが部屋の中に入って来たのがわかった。きっとメイドのアニーだろう。あれ、だけどアニーは「お給金が払えないなら出て行きます」とそう言ってヴェルファ家から出て行ってしまったんじゃなかったかしら。
じゃあ、この人は誰なのだろう。それにしても全然足音がしない――そんなふうにぼんやり考えているうちに「リーリエさま」と呼びかけるひんやりとした声が聞こえた。
「むにゃ……」
「おはようございます、リーリエ・ヴェルファ様」
もう一度呼びかけられて渋々目を開くと、そこは見覚えのない部屋で、ベッドの横には見知らぬ女性が立っていた。メイドらしいのは着ている黒のドレスとエプロンでわかるのだが、誰なのかまったく見当もつかない。
ヴェルファ邸にはもうメイドはひとりもいないというのに。
「……あの、どなた、でしょうか」
「レベッカでございます、リーリエ様」
「レベッカさん」
「敬称は不要でございます、レベッカとお呼びください」
レベッカは表情ひとつ変えずに言いながら、カーテンを開いた。朝日が部屋の中に入って来る。置いてある調度品といい、ひとつひとつが見るからに高級そうで質もよさそうだった。すべて売り払ったら幾らになるだろう、なんてことを考えてしまった自分をわたしは恥じた。
そしてようやく自らの境遇を思い出したのだった。
「サイラス様は……」
王宮に出仕しております、との回答に安堵の息を洩らした。
昨夜、わたしはサイラス・エルドラン卿によって誘拐された。
この表現が適切かどうかは定かではないが、剣を突きつけられプロポーズまがいの言葉をかけられて、彼が有する王都の屋敷に連れて来られたのである。これを誘拐と呼ばずして何と言うのか疑問だ。
サイラスが言うには、わたしは当分のあいだ此処で過ごさねばならないらしい。
くわしい話は翌日に、ということで説き伏せられ与えられた部屋で過ごしたわけだが――存外居心地が良くてぐっすり眠れてしまった。すべてふかふかおふとんのせいである。
ヴェルファ家には話を通しておくというサイラス様の言葉には不安しかおぼえなかったが、いまのわたしに出来ることは何もない。ひとまずいまは彼を刺激するような行動に出ることは憚られた。
「リーリエさま、朝食はお部屋でお召し上がりになられますか」
「そう……ね、部屋まで運んでもらってもいいかしら」
戸惑いながら応じると、レベッカは静かに部屋を出て行ってしまった。
ドアが閉じるぱたんという音を除いて物音ひとつ立てない。不思議な子だな、と思っているとすぐに食事を持って戻って来た。焼き立てのパンに、卵とベーコン、それにサラダという理想的な朝食を前にリーリエはつばを飲み込んだ。
実家ではまだ幼い妹を優先して食べさせていたので朝食はいつも食欲がないと言って抜いてしまうのが常だった。おかげさまでリーリエは身体つきが全体的に薄く、女性として魅力的な肉感的な部分がほとんどない。
落ち着き払いながらも、久しぶりに食べる朝食を噛みしめるように味わっているといままで黙っていたレベッカが「旦那さまからの言伝です」と口を開いた。
『昼に一度戻るので一緒に食事をしましょう、リーリエ』
けして声真似をしているわけではないのに、レベッカが一言一句たがわずに言ったので……リーリエは背筋がぞくっと寒くなったのだった。