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とある少年Aの話  作者: 青葉
5/10

とある夫の話

 優香は、白石優香は殺されるような人じゃなかった!



 ……すみません、気持ちが昂って。いえ、もう大丈夫です。



 はい、子供たちは実家に預かってもらっています。母親が亡くなって心細いと思うので。


 お茶も出せなくてすみません。そういったものはすべて妻がやっていたので、私にはさっぱり……。




 私と優香は九年前、知人の紹介で出会い、結婚しました。子供は上が小二で、下が五歳です。……二人とも母親がいなくなったショックで塞ぎ込んでいます。私もまだ少し不安定なので今は実家を頼っています。


 いえ、大丈夫です。気持ちの整理も段々ついてきたので。……話せるうちに、世間がこの事件を忘れないうちに、優香について話しておきたいんです。何でも聞いてください。



 家での様子ですか。

 ……良妻賢母という言葉がよく似合う人です。今の時代にこういうことを言うのもですが、妻として母として求められることを完璧にこなしていたと思います。家事だったり、子供たちの教育だったり。何でもそつなくこなす、とても聡明な人でした。


 教育方針としては、子供たちには「人を思いやることが大切だ」とよく聞かせていました。「仲間外れにせず、ひとりぼっちをつくらない。みんなで仲良くすることが大切だ」と口酸っぱく言っていましたね。そのおかげで娘も息子も、他者を思いやれる優しい子に育ってくれたと思います。



 はい、教師というのもあって、自分の子に対しても教育熱心でした。でも、勉強を無理強いしていたわけではありません。多少強引なところはありましたが、それでも子供たちが楽しく学べるよう工夫を凝らしていました。


 ……そうですね、上の子がなかなか九九を覚えられなかったときも、かけ算のゲームを作ったり一緒にテストをしたりして根気強く練習に付き合っていました。国語教師でしたが、英語教育にも熱心でした。


 いつも子供のことを第一に考える、母親の鑑のような人です。



 ……優香の、……妻の学校での様子はよく知りません。ですが、家では今話した通り立派な母親でした。きっと学校でも生徒思いの良い教師だったに違いありません。そんな優香が、どうして……。

 誰かから恨みを買うような人ではありません。私が断言します。



 ……はい、井上君の話はよく聞いていました。おとなしい子だと聞いていたので、まさか、こんなこと、……すみません。大丈夫です。


 優香と井上君の関係ですか。……担任とその生徒、ということしか。いつも一人でいる子ということは聞いていました。優香は熱心に相談に乗っていたそうです。



 優香が井上君を気にかけていた理由、ですか。それは井上君がいつも一人でいたからではないのですか? 孤立している生徒がいたら、担任として心配でしょう。


 ……それに、過去にも似たような生徒がいたらしいので。



 優香が教員になって初めて担任をしたクラスに、いつも一人でいる子がいたそうです。彼はちょっと変わった感じの子で、口数が少なく、みんなと距離を置いている子でした。心配した優香は何度も声をかけていたのですが、その度に大丈夫だと答えていたそうです。


 ……でも、その子は結局、夏休みの終わりに、線路に身を投げました。遺書には「やっぱり一人は寂しかった」と書かれていたそうです。……その生徒と井上君が重なったのかもしれません。



 優香にとってこの出来事は相当つらかったのだと思います。「大丈夫」の言葉を信じ込んで、生徒の苦しみに気づけなかったことが、優香の心にトラウマを植え付けました。酷く思い詰めて体調を崩し、一時期は心療内科に通うほどだったと義母から聞いています。


 だから、いつも一人でいる井上君への指導にも熱が入っていたのでしょう。彼があの生徒のように自ら命を絶つ前に、SOSに気づくために。




 ……彼は、……井上君は、快楽殺人鬼なのでしょうか。それとも優香を恨んでいたのでしょうか。私には理解できません。優香は、クラスに馴染めない井上君の唯一の味方だったと思います。そんな人を、どうして手にかけたのか。私には全く理解ができないのです。


 ……どちらにせよ、私は彼を許しません。理由が何であれ、あの悪魔が私たちの幸せを奪っていった事実は変わらないので。



 今日お話したこと、しっかり記事にしてください。


 ……私は、絶対に彼を許さない。




 7/18・被害者夫

 ×××××




 自分が壊れていくようだった。

 大事にしていたものを奪われ、相手が思うように型取られて、自分でも何が何だかわからなくなった。



 最近よく眠れなくなった。いつも通りの時間に布団に入っているはずなのに、アイツのことを思い出すと、目が冴えてしまって寝付けない。意識を落とせそうになる度に、アイツの甘ったるい声が耳元で聞こえてくる。


 疲れているのだろうか。気力が湧かず、身体中の血液が凝固してしまったかのように体が重い。

 寝不足からくる頭痛も加わって、頭がうまく働かず、今まで以上に人と話さなくなった。友人からのメールにも何日も返信していない。


 不調は体だけではなかった。暗く悲しい気分が一日中続いたり、急にイライラして怒りをぶつけたくなったりと、以前からはありえないほど気分の浮き沈みが激しくなった。


 慢性的な体調不良に心身を蝕まれ、日に日に悪化していく自分の体に、ついてくのがやっとだった。



 そんな中でも、アイツとの接触は避けられない。



 自分のことを理解してもらえないのは悲しく、自分勝手な解釈に振り回されるのはつらい。でも、「そういう人もいる」と割り切ってしまえば、少しは体が軽くなった。


 でも今回は違う。


 小さな子供に言い聞かせるような声で、毎日、毎日、毎日、毎日、同じことを繰り返される。気が狂いそうだった。アイツの言葉が聞こえないよう、耳を塞いでしまいたかった。



 得体の知れない何かが腹の底で渦を巻き、今にも吐き出してしまいそうになるのを、必死に理性で抑えた。


 アイツと会うのがつらい。アイツと話したくない。でも、アイツはそれを許さない。



 もう疲れた。どうでもよくなった。

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