♰04 頑なな謎の女。
「竜王様」
私は驚きを隠しきれないまま笑みを作る。
「頑なな女」
竜王様はそう言いながら、店内を見回す。
どうやらお忍びで来たようで、マントのフードを被っていたがそれを外した。
頑なって……私のことよね?
いきなりそんなこと言われる?
「そして、謎な女だ」
私に星空が煌めくような瞳を向けてきた。
久しぶりの瞳に、ごくりと息を飲んでしまう。
「あれからアンダース王国の見習い錬金術師のシティアを調べさせたんだが、何も掴めなかった」
私を調べたと言い、コツンコツンと歩み寄ってきた竜王様。
ああ、近付かないでほしい。
また唇を重ねたくなるのだから。
私は設けたカウンターの中に入って、なんとか彼との間に壁を作った。
小さすぎるけれども。
「だが、代わりにシティアという作家がいると知った」
トン、とカウンターの上に、立てられたのは、私の本だ。
「珍しいよな? 普通、作家はファミリーネームもつけて、ペンネームを名乗るのに……ただのシティア。君と同じ、ただのシティア」
私は固まったまま、自分の本を見つめる。あまり竜王様の目を見ていたくないからだ。
「君の荷物と所持金では、こんな家を買えるはずがない。しかし、君は一括で買い取ったそうだな」
私ってば、監視でもされていたのだろうか。
一瞬だけ過ったが、やっぱり竜王様からなるべく遠くを選ぶべきだった。
「この作家は、我が王国の若い女性陣にも人気だそうだ。だが、君のいたアンダース王国の方が人気らしい。しかし、作家シティアの素性は、一切不明。年齢もどこの出身かも、はっきりと紹介されていない、謎な女。君と共通している」
謎な女、か。
大金の出所が印税であり、私が作家シティアと疑われている。
「出版社に探りを入れたが、よほど大事な作家なのだろう。少しも素性に辿り着ける情報を得られなかった」
ありがとう、出版社! ありがとう、編集者!
またネタが見付かったら、原稿をそちらに送ります!
出版社がこんなにも守秘義務が固いとは驚きだが、心の底から感謝をした。
しかし、竜王様の中では、私と作家シティアは同一人物だと睨んでいるらしい。
「君がもしも、恋愛作家のシティアならば……」
トントン、と指先で私の本を叩く。
「理解が出来ない」
つい、竜王様の顔を見てしまった。
不機嫌な表情だ。
目を細めて、眉を寄せて、私を怪訝そうに見つめている。
「まだ全てを読んだわけではないが、どれも真実の愛を見付けるいい話じゃないか」
よ、読んだ!?
私の本を! 私が書いた物語を! 私の願いを込めた話を!
この人がっ……!
「そんな君が何故、オレとの運命を否定する?」
「買わないなら帰ってください!」
私は顔を伏せて、声だけを張り上げた。
「ここは錬金術師シティアの店です! 仕事中なんです! 利用しないなら帰ってください!」
「……」
絶対に恋愛作家シティアとは名乗るものか。
この人だけには。
この人だけには知られたくない。
竜王様の手が伸びてきたことがわかって、ビクッと震えた。
でも怖かったからじゃない。
あまりにも優しすぎる手つきで、私の顔を上げさせた。
「また泣くのか?」
辛そうな表情をしている。
「どうして……運命を信じない? こんなにも惹かれ合っているのに」
壊れてしまわないように、両手で私の頬を包み、引き寄せた。
「っ、互いに知りもしないのにっ」
「なら教えてくれ。君も知ってくれ。この一ヶ月、どれだけ君に会いたかったか……わかるか?」
「……失望、したんじゃ……」
「恋しかった」
また唇を重ねそうになったが、なんとか理性で押し退ける。
「まだ君を知らないのに、失望は早すぎる。そうだろ?」
私の唇は諦めて、私の額に唇を重ねた竜王様は言う。
「口付けだって、早すぎます」
「ふっ……それが運命だ」
笑みの息が、額に吹きかかる。
「教えてくれ。君は何者だ?」
少し身を引いた竜王様が、私を見つめて問う。
真剣な眼差し。
私は見つめ返してから、目を閉じた。
開いたあと、私は名乗る。
「私は錬金術師シティアです。竜王様」
「……」
竜王様は、私の頬から手を放した。
「本当に頑なな女。ノーテと呼べと言っているだろう」
頑なって、そこのことを言っていたのか。
竜王様呼びを、直さないから。
「これを買う」
商品として陳列していた疲労回復の薬を手にした竜王様。
一瞬、呆けてしまったけれど、私は会計をする。
「釣りは要らない」
そう言って金貨を一枚置いた。
いや、多すぎますが。
でも竜王様だし、金貨以外を持ち歩いてそうにもなかった。
そこで、カランカランとまたベルが鳴る。
私と竜王様が見てみると、幼い少年が一人。
白いドアの向こうにはエクィノ様がいて、私ににこやかに手を振っていた。
きっと側近だから、竜王様についてきたのだろう。
そして邪魔が入らないように外で見張り。
しかし、幼い少年がやってきたので、通してあげた。ってところだろう。
竜王様はフードを深く被り直した。
「いらっしゃいませ」
「店長さん、これ買い取ってくれ」
手が汚れたままの少年は、薬草をカウンターの上に置いた。
買い取りが目的で、来店か。
いや、私は別に買い取りはやるつもりはなかったのだけれど。
「これは……迷宮の地の方に生えている薬草ですね? あなたが取ってきたのですか?」
「当たり前だろう! 盗んだって疑うのか?」
ハンチング帽の下の少年の顔は、むすっとした。
「いいえ。ただ……危険なところだから、心配で」
少年の格好を観察する。
人族の少年。サスペンダーに七分丈のズボンとチェック柄のワイシャツ姿。
特に貧乏そうには見えないが、危険を冒してまでお金を得たい理由はなんだろう。
「欲しかった薬草なので、ぜひ買い取らせていただきます。銀貨一枚と銅貨三枚でどうですか?」
「! よし、売った!」
もうちょっと値上げを要求するかと思ったが、十分満足する値段のようで、少年は嬉しそうに手を差し出した。
「はい。でも、どうして、私の店に売りに来てくれたのですか?」
「今日新しい錬金術師の店が開くって聞いて。オレ、この薬草が価値あるって知ってたから取りにいったんだ」
「物知りなんですね」
「子どもが小遣い稼ぎするなら、これくらいしかないからな!」
「そのお金で何か買いたいものがあるの?」
「へへっ! それは秘密だ!」
お金を乗せたら、大事そうに握り締める少年は、にかっとはにかんだ。
「また買ってくれよな!!」
「危険なところにはあまり行かないでください」
「大丈夫!! オレは足早いし、魔物に出くわさないルート知ってるんだ!」
それは、ぜひとも買いたい情報だ。
次来た時に、買い取らせてもらえるだろうか。
「またな!」と少年は、元気よく店を飛び出した。
私も、いい買い物をしたな。
これ欲しかったんだ。より効果的な塗り薬が作れる。
「オレには笑みを向けてくれないのに、薬草には向けるのか」
「……向けたことありますよね?」
ずっといた竜王様が口を開いたかと思えば、変なことを言い出した。
「緊張した作り笑いしか見ていないが?」
腕を組んだ竜王様のフードの下に隠れた瞳は、不機嫌な色を放っている。
確かに、言われてみれば、作り笑いだった。
だって、竜王様だ。緊張もする。
「また来る」
竜王様は白いドアの方へと歩き出そうとしたが、くるっと踵を返して戻ってきた。
そして間入れることなく、私の唇を奪う。
「この一月、また触れるのを焦がれるほど待っていた。お預けはなしだ」
二度くらい唇に触れると、離れた竜王様はもう機嫌を直していた。
深く息を吐く。ほっとしたような息が、私の吹きかかる。
名残惜しそうに、私の真っ赤な髪を掬い、さらりとゆっくりと手放す。
「……次、会う時はノーテと呼べ。シティア」
そっと囁く。濃厚な甘い囁きで、私の名を口にした。
竜王様は、やっと店から去る。
「……っ」
結局、唇に触れてしまった。
私はカウンターの中で蹲る。
顔は熱を帯びていた。
私だって、彼のことを考えない日はなかったのだ。隙あれば、私は考えていた。
夜空のようなあの瞳。唇の感触。胸の奥の熱さ。
そして、失望の言葉。
焦がれては、傷ついていた。
「……なんで」
こんなにも、熱くなるのだろう。
胸の奥を中心に、顔まで、火照る。
私の本なんて読んでほしくなかった。
知ってほしいなんて思わない。
ただ、もう、失望してほしくない。
運命の番じゃなかった。
ただそれだけでいい。私の全てを知ってから、失望されては。
もう立ち直れない。
でも、なんで、私はそんなことで傷ついてしまうのだろう。
どうして近付くと、唇に触れずにはいられなくなるのだろうか。
引力のように、吸い寄せられるように。
惹かれている。どうしようもなく、惹かれている。
だから、どうしても、知りたくない。
もう彼のことを知りたくないのだ。
後戻りが出来なくなるのが、怖い。
心がズタボロになるのが、怖いんだ。
深く知り合う前に、浅いうちに――。
カランカラン。
ベルの鳴る音が響き渡り、私は飛び上がった。
カウンターの隅に頭をぶつけてしまう。
「いひゃっ! いえ、いらっしゃいませ!」
頭を押さえつつ、私はお客さんを笑顔で出迎えた。
「あー……大丈夫?」
ぶつけた頭を、お客さんは気にしてくれる。
恥ずかしいが、大丈夫と微笑む。
「若いね、びっくりした」
やってきたのは、金髪の好青年。人族だろう。
肩に剣をかけているから、きっと冒険者。
右手で左手首を押さえている。
「怪我ですか?」
「そうなんだ、新しい錬金術の店だって聞いたから、来てみた。ちょっと手持ちが心許ないから、開店セールしていると期待したんだけれど……」
治癒師の治療を受けるより、錬金術の道具の方が安く済む。
「ちょっと傷を見せてください」
「あ、うん」
「……あら、毒も少し入ってますよ」
「え? そうなの!? 参ったな……」
少し紫色が混じった傷口は、獣に噛まれた跡がある。
どうやら、魔物に噛まれて少量の毒までもらったらしい。
「毒消しも買えるかな……」
「毒消し効果のある傷の塗り薬ならあります。これくらいの毒なら大丈夫でしょう。開店セールの値段でどうぞ」
本当は開店セールはしてないのだけれど、困っているようなので、私は毒消し草も入れておいた塗り薬を出した。
「ほんと!? 助かる! 恩に着るよ!! 絶対稼いだらまた利用する!!」
この子も元気だな、と感心してしまう。
いや、今の私よりも、年上だけれども。
「シティアだよね、店の名前が”シティアの錬金術屋”って書いてあった」
「はい、シティアです。冒険者さんですよね?」
「うん、カエストって言うんだ。よろしく」
「よろしくお願いいたします。どうぞ、ご贔屓に」
握手をしておく。それからお金を支払ってもらったので、傷口に薬を塗ってあげた。
「ありがとう!」
そう元気な笑顔で、カエストさんは店をあとにする。
その日のお客さんは、それだけ。
まぁ、そんなものだろう。新しく店を開店したと知ってきてくれた客がいてくれただけでも助かった。
この王国では、もう珍しい錬金術師だものね。
それに若いと驚かれる歳だ。信用を少しずつ得なくちゃ。
しかし、それが中々難しい。
三週間が経つ。
早速、閑古鳥が鳴く。
買い取りを求めに来る少年ストくんだけが出入りしてきた。
んー。いい薬草を持ってくれるのはいいけれど、作ったものを売らないと稼ぎにならない。
唸っていたら、とある男性が客として入店してくれた。
「いらっしゃいませ!」
笑顔で明るく出迎えたけれど、見たことのない種族の男性だと首を傾げる。
首の後ろから、ワシのような翼が生えている黒髪の男性。
そんな種族がいただろうか。
男性は私に反応することなく、陳列した道具を見た。
それで気付く。男性の首の後から生えていたわけではない。
なんと、後ろに犬が張り付いていたのだ。
子犬みたいに小さな犬は毛が短くて、でも腰にワシのような翼が生えていた。
これは知っている種族だ。
翼の生えた犬。ピナだ。
とても希少な風魔法の生き物。
羽根が欲しいと思った。いやだって、貴重な素材となる。
でも頼めないよなぁ。希少なペットの羽根をくださいなんて。
犬をずっと見ていたら、つぶらな瞳が見つめ返してくれた。
ちっちゃな尻尾まで、振ってくれている。
私は笑顔になってしまう。
可愛い生き物には、どうにも顔を緩ませずにはいられない。
「品はこれだけ?」
男性が問う。
「何をご所望ですか? 私に作れるものならば、お作りします」
「”停止の時計”」
「……それは、高価なものですね」
停止の時計。
対象の時間を一時的に止める道具だ。
「金ならある。問題は作れるのか、作れないのか、だ」
「……」
私はしっかりと考えた。
錬金術の書にレシピは書いてあったし、私なら作れる。
けれども、材料を集めるのに時間がかかるだろう。
迷宮の地に足を踏み入れなければならない。
「作ることは可能ですが、時間がかかります。材料の採取と作製に……三日ほどかかります」
「本当に?」
感心した風に男性客は驚く。
「自分で採取するつもりなんだ?」
「えっと、はい」
「他の錬金術師には、材料を集めて来いって言われたよ」
そう言って、笑った。
「でも迷宮の地にお客様を行かせるわけにはいきませんよ」
かと言って、私も危険を冒すのは気が乗らない。
しかし、信用を得るにはいい機会だ。
作りたいし! 停止の時計!
そっちの気持ちの方が強かった。
「じゃあ、任せる。三日後に完成品を取りに来る。名前は?」
「シティアです。錬金術師のシティア。お客様のお名前は?」
「僕はアルミス。よろしく頼むよ、錬金術師シティア」
アルミスさんを見送ってから、私はガッツポーズをする。
するとタイミングよく、ストくんがやってきた。
「ストくん、よかった! ちょうど君に会いたかったの!」
「なんで? 薬草が足りない?」
「ううん、案内として雇うから、魔物に出くわさないルートを教えて!」
私は準備をしながら、そうストくんに頼んだ。
20211124