第74話 サクラエ教官の作戦
「少し昔話をしよう。かつてここヴァルサルデ正教会に1人の神官がいた。最終的には枢機卿まで出世したが、それでも彼は疑問を持っていた。本当に神という存在はいるのだろか。いたとしても教義通り人と相対する事が可能な存在なのか。
その神官はやがて正教会を二分する内部抗争に巻き込まれた。神の栄光を地上にもたらす為には権力が必要であり、その為に治療魔法や回復魔法を制限するのはやむを得ないとする神権派。そして神の救いをもたらす事こそが教会の使命であり、治療魔法や回復魔法を広く施していくべきだとする福音派。
彼はその人望から福音派に担ぎ上げられた。だが福音派は神権派に危険視され、異端という名目で吊された。福音派の多くの神官が異端尋問という名で処刑されようとする中、それでも彼は多くの者を彼の御業、いわゆる魔法で逃がす事に成功した。それら逃走に成功した福音派の神官のおかげで教会外の各国に一般的な治療魔法や回復魔法が伝わった訳だ。
彼自身は異端尋問を受けた上で反逆の罪を被せられ消えた。だが彼は今でも各地で敬愛され、崇拝されている。正教会中央組織でこそ異端者とされているが、地方によっては聖人扱いされている処も多い。
そんな彼を崇拝しているとある地方の教会で、私は聖遺物扱いされている彼の日記を発見した。興味を持った私は頼んで日記の全てを読ませて貰った。そこには彼の信仰と当時の正教会に対する疑問が記されていた。そして私はその疑問を引き継がせて貰った。神は存在するのか、人間と相対する事が可能な存在なのか。
この場の事も伝承もそれで知った訳だ。無論後に他の資料や魔法能力で確認もしたがね」
なるほど。それでサクラエ教官はここの事を知っていた訳か。理解はしたが微妙に何か予感がする。本来自分が関係した件以上の大事に巻き込まれている予感が。
「それで疑問は解決したかな。異端者を継ぐ者よ」
明らかにサクラエ教官とは別の声がした。まずい、気配も魔力も感知できなかった。教官並みの魔法だ。いや、正教会の場合は魔法では無く御業か。
姿を現したのは金色の刺繍があちこちに施された豪奢な白い祭服姿の背の高い男だった。外見年齢は40代後半くらい。薄い茶色の髪に白の冠をかぶっている。
「私は異端者ではない。異端者とは正統と見做されない教えを持った内部の者の事だ。私は正教会を名乗る組織に属した覚えは無い」
「この大陸に生くる者は全て正教会の民なのだよ」
「それは正教会を名乗る者共の傲慢だ」
本来の目的だった私の全くあずかり知らぬところで話が進んでしまっている。どういう展開だ全く。ただ責任者出てこいとは言えない。多分教官とこの白服が当面の責任者だ。しかも2人とも明らかに私より強い。
「それで大司教不在の今、正教会の代表格は貴殿という訳か、アカツカ枢機卿」
「確かに私、アカツカはヴァルサルデ正教会枢機卿団の首座を務めさせて頂いている。当教会の責任者であり代表と言ってもいいだろう。貴殿は?」
「カンナミ・オヌキ・サクラエ・ゴウト。こっちはアンフィーサ・レナルド・フルイチだ」
「特級冒険者のカンナミか。名前は聞いた事がある。それでこの聖なる御室へどのような用件でなのかな。大いなる神に代わって伺わせて貰おう」
この辺の台詞は約束動作のようだ。
「用件は簡単、イルワミナで発生した事件について捜査する為だ。故に問おう。黒き司祭団の長アンドレラ・ゴーヒラ司教に対し、ここにいるアンフィーサ君を拉致あるいは殺害せよと命じたのは貴殿か」
おっと、今度はいきなり今回の用件に踏み込んだ。この辺の呼吸というかやりあいが私にはよくわからない。
「誰が命じたかは些細な事。大いなる神がアンフィーサ殿を迎え入れると決定されただけ。彼女の持つ新しき魔法の知識は神の元でこそ扱われるべきだろう」
いわゆるジャイアニズムという奴だな。人のものは俺のものという。神の名のもとのジャイアニズムだ。
「その場にイルワミナ王国の第二王子がいて、そのままでは彼も害される寸前だった。また他国国民に対し他国内で発生したこの事案は明らかに第16条の協約に反するものだ。先程の貴殿の言が確かなら本件の責任を負うべき者は神の代理者である貴殿。よって貴殿を協約違反の責任者として無力化状態にした上でのイルワミナ本国への拘引を要求したい」
おっと、つまりお前を逮捕して連れて行く権利があるぞと言っている訳か。これは間違いなく相手、枢機卿は飲まないだろう。
どういうつもりだ、サクラエ教官。全く状況がわからない私は彼に任せるしか無いのだけれど。
「ここは聖地ヴァルサルデの最聖なる場所。故に神の下に我が述べる事は全て神の弁であり、人間界の理を受けない。何なら各所にある宝玉で確かめればよろしかろう。貴殿の言い分が証明されない事と断言しよう」
あ、サクラエ教官の表情が変わった。明らかに嗤った。これは私にも相手の枢機卿にもわかるように表情を見せたに違いない。
「枢機卿猊下のおっしゃるようにしよう。確かに仰る通り、ここは聖別された場所のようだ。他の場所にある宝玉の力が通用せぬ程に。
だが現在、私はこのような物を持ち歩いている。確認して頂ければ幸いだ」
サクラエ教官は懐から水晶玉を出す。あの自製したという誓いの水晶玉だ。
この瞬間、私は教官の嗤いの意味を、そして教官がここへ来た意味を理解した。
『ある一定の魔法や儀式で神の目の届かない結界を作ることが出来る』
『そういった場所に神の目を届かせる場合。誓いの水晶玉を届かせたい範囲に存在させる必要がある。こっそり持ち込むなりしてな』
此処へ来る前の教官の説明だ。そしてこうも言った。
『申告以外の誓いの水晶玉の使い方は後程実践してみせよう』
ここは聖別された場所と教官は言った。それはつまり神の目の届かない結界という事だろう。この枢機卿はその事を知っていた。だからあっさり自らの口で私に対する事件を起こした事を認めた。
だが実は教官は懐に誓いの水晶玉を入れていた。つまり枢機卿が協約に反したと認めた台詞に対して『神の目を届かせ』てしまったのだ。
故に協約を結んだ相手が誓いの水晶玉に協約違反を訴えた場合、教会及び枢機卿には神の審判が下される。それを防ぐ方法は……
「これは古からの本来の方法で制作した誓いの水晶玉だ。教会では神の宝玉とも言うそうだな。それでは先程の……」
教官がわざとらしくそんな説明をしている途中だった。
瞬間、強大な魔力がぶつかり合った。御前試合の時の超級魔法以上の魔力だ。
強大さに眩暈がしそうだが状況は何とか把握できる。枢機卿が攻撃魔法をしかけ、サクラエ教官がそれを純粋魔力で弾き返したのだ。
「客人に対していきなり攻撃魔法を仕掛けるとは、正教会の常識は理解できない」
「貴殿は単なる侵入者だろう」
「はて、正規に名乗らせて頂いた筈だ」
サクラエ教官は嗤いを浮かべたまま続ける。
「だがこちらの目的は済んだ。それではこの場は失礼させていただこう」
同時に覚えのある強大な魔力反応。遠隔移動魔法だ。
あっという間に場所は移り変わる。今度は質素ながら品のある一室だ。私が知らない場所だが外の景色に見覚えがある。カワルマタの街とセンガンジー山だ。
「さて、教会の責任者に罪を自白させる事に成功した。それでは仕上げと行こう」
サクラエ教官の言った事は既に私も理解している。だが疑問が一つ。
「それでこちらは何処なのでしょうか」
「イルワミナ王国王宮の巡検使室だ。私は名目上は巡検使長も兼ねている。故に王室にもこういった部屋がある訳だ。何かと便利なので時々こうやって勝手に使用している」
なんだって!




