第72話 特別授業・座学編
「さて、そういった前提の上でアンフィーサ君にもう一度尋ねるとしよう。縦波と横波はわかるな。孤立波は?」
私は頷く。
「良かった。説明の手間が省ける。横波はともかく縦波を説明するのは難しい。せめて目で見えるように出来ればいいのだが」
「何ならそういう学習用の実験装置がありますけれど」
ついそう言ってしまう。
「どんな装置だね」
話が横にそれたが仕方ない。図を描いて説明する。扉のように左右に自由に振れる板を多数並べたものに、長いバネをつけた代物だ。高校の物理実験室にあった装置なのだが、これなら縦波を目で見る事が出来る。
「なるほど、また一ついい事を聞いた。この件が終わったら作成するとしよう。それでは話の続きだ」
サクラエ教官はA4程度の紙を取り出して、離れた2カ所にペンで印をつける。
「この2点を移動する際の最短ルートについて考える。普通に考えればこの点とこの点を結ぶ直線が最短ルートとなる。しかしこの紙を曲げてくっつければ隣同士だ。そこまではいいな」
頷いてそして気付く。これって、まさかワープの説明では……
「つまり空間を曲げて近づける訳ですか」
「その通りだ。だが実際に試してみたところ、私の魔力では2離以上の場所を隣接させるのは困難だった。どうやら空間を歪ませるのにも限界があるようだ。そこで考えた。こんな感じだ」
先程の紙を今度は小さく折り曲げる。
「1回目はこれくらい曲げてここまで進み、2回目はこっちを曲げてここまで進む。これを繰り返せば実質ほんの少しずつの移動で目的地にたどりつける。これなら空間を歪ませるのも最小限で済む。違うか」
教官の言わんとしていることに私は気付いてしまった。思わず口に出してしまう。
「その連続的に歪ませる状態が波と同じという訳なのでしょうか」
教官は大きく頷いた。
「そうだ。目的地に向けて空間を曲げる形の孤立波を出し、曲がった空間を短絡しながら波の速度で進む。今回は空間を横波方向に歪めて移動する。これが私の作った遠隔移動魔法だ」
おかしい。異世界で悪役令嬢ならどう考えてもハイファンタジーだろう。なのに何故SFが入ってくるのだ。
文句をつけたいのを必死にこらえる。冗談みたいだがこれが今の私の現実なのだ。耐えて受け入れろ、私。
「つまり孤立波を出して、その波と同時に移動していく。それが教官の移動魔法なのですね」
「ああ。空間の波は光と等速らしい。だからこの魔法では光速は越えられない。だが私達が生存可能なこの場所を移動するには充分だろう。この大陸内程度なら何処でも瞬き程度の時間で移動できる。つまりアルキデス教国ヴァルサルデ中央教会であろうと余裕で日帰りが出来る。以上が本日の座学その1だ」
随分内容が濃かった。まさかこの世界でSFに突入するとは。しかもワープですら光速を越えられないなんて微妙にリアルではある。
それでも移動魔法は使えるとかなり便利だ。ここは頭を下げておこう。
「その遠隔移動魔法は、私も使えるでしょうか」
「今日中に実際に使って移動する予定だ。実際に使えばアンフィーサ君なら理解できるだろう。その上で分からない事があれば聞いてくれ」
よし、遠隔移動魔法、ゲット予定だぜ。
「それでその2はどんな内容でしょうか」
私は尋ねる。
「ギルドと神の使い方だ」
おっと、SFが混じったと思ったら神なんて単語が出て来た。何でもありだな。
「ギルドにある誓いの水晶玉があるだろう。あれは罪を犯した者が手を乗せると赤く発光する。他にも嘘を言っているかどうかを判断する等の使い方があるのだがな。
ここで犯罪者と判定されるようになると後々冒険者ギルドを使用する事が出来なくなり不便な事になる。だから他人を襲撃する等の場合は犯罪者にならないよう、事前に申告をしなければならない。
例えば今のアンフィーサ君だ。自らに罪はないのに教会に狙われている。だから自衛のために教会をぶっ潰しに行くなんて場合だな」
おい、つまり私は教会をぶっ潰しに行くことになる訳か。ちょっと待ってくれ。
「私は潰すまでは考えていないのですが」
「言葉のあやだ。気にするな」
非常に気になるのだが、何せ相手は超級冒険者。だから黙っておく。
「他にも復讐をしたいが相手が権力者や無法者で法の支配が届かない場合等にも申告は使われる。この申告をした場合、相手を傷つけたり最悪死亡させたりしても犯罪者となる事はない。
つまりこれから中央教会に文句を言いに行く為にはギルドで誓いの水晶に申告をする事が必要な訳だ。申告の口上はだいたいこんな感じだな。
『私は中央教会の私に対する今回の事案を不正と認めます。故に必要な範囲で必要な行為をします』
要は誰が誰に不正な行為を働いたかがわかればいい。それで中央教会及びその関係者に何を行っても、誓いの水晶玉に犯罪と記録される事はなくなる」
うーん、ちょっと待てよ。
「私に対する行為で教会の命令者に犯罪の記録が残るという事はないのでしょうか」
「誓いの水晶玉はそこまで詳細に事案を見ている訳ではない。あの水晶で犯歴が残るのは実行者だけだ。それも他からの命令によって行った行為は犯罪と認めない。あとは正当防衛とか緊急避難の場合などもだな」
微妙にこの世界の単語ではない言葉が混じった気がする。だがここは気にしないでおこう。話が進まなくなる。
「つまり自らの意志で直接実行した者以外は犯罪と見做さない訳ですね」
「そういう事だ。そうでもないと兵士や衛士は全員犯罪者になってしまう。だから今回のような場合は犯罪ではないと申告しておく必要がある」
なるほど。御都合主義のような気もするが理解はした。ついでに少し気になった事を聞いてみる。
「さっき言った神の使い方とは何でしょうか」
「誓いの水晶玉の事だ。魔法でもその他の学問でもその理屈を説明できない存在。私はそれを現時点で神または神の遺物と呼ぶ。誓いの水晶玉はその中で最も一般的なものだ。これを通した判定こそが神の判断と見做される。少なくともこの世界では。
その為冒険者ギルドや国の機関等で嘘や犯罪者を発見するのに使用したりする。更には約束事、個人同士から商契約、国どうしの協約もこの水晶玉を使用し神の下で誓う訳だ。破った場合には神の審判が下される。これは当然知っているな」
私は頷く。この辺の知識はこの世界では常識だ。
「この誓いの水晶玉での誓約は基本的に全ての場所、全ての空間での物事に通用すると言われている。だが実はそうではない。ある一定の魔法や儀式で神の目の届かない結界を作ることが出来る。また最寄りの誓いの水晶玉からおおよそ50離以上離れた場所で起こった事も認知できない。
そういった場所に神の目を届かせる場合。誓いの水晶玉を届かせたい範囲に存在させる必要がある。こっそり持ち込むなりしてな」
「それは知りませんでした」
正直にそう言わせてもらう。
「ああ、一般には知られていない知識だ」
教官は頷き、更に続ける。
「あと、冒険者ギルドにある誓いの水晶玉や国や領主の機関にある誓いの水晶玉と、教会にある神の宝玉。これらは形こそ微妙に違えど本質的に同じものだ。使用者と使用方法が異なるだけで、実は全く同じ機能を持っている」
なるほど。でもそれには疑問が残る。
「教会で神の宝玉に願う、あるいは罪を告白するのとギルド等で水晶玉に誓うのが同じという事でしょうか。でもそれなら教会が神の恩寵を与かり、神の英知と救いを唯一直接伝える場所として神の宝玉を頂いているという名目はどうなるのでしょうか」
私の中のおっさんは21世紀日本の人間なので宗教など信じてはいない。だがこの世界に神あるいはそれに相当する存在は存在すると教官は言う。なら教会という組織は何なのだろうか。
教官はつまらなそうな顔で口を開く。
「今の教会は単なる遺構だ。今の中央教会に神はいない。かつて聖女なり勇者なりがいて、神が直接それらの者に教えを下された時代、その教えを遍く伝える為の組織。それが中央教会をはじめとする教会だった。だが神の不在の期間が長過ぎた。おかげで中央教会の中枢は既にその本質から外れてしまっている。既得権益としての権力を守るだけのただの遺構であり遺骸だ。
ただ既得権益として治療士や回復士の育成を握っているだけでない。信仰という不確かなもので今もなお愚民を引き付けている。その力は今でも無視できない。しかしそれは今の教会、少なくとも中央教会が神の恩寵を受けているという事ではない」
「理解しました」
私にとっても大変わかりやすい考え方だ。だから私は頷いた。




