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創作エッセイ

作者: ムルモーマ

 自分が創作を始めたきっかけは、端的に言ってしまえば広大なネットの海の中でも自分に刺さるものが余り無かったから、という事に尽きる。

 好きなものを好きに書いて適当に垂れ流す。そうして無垢に純粋に積み上げた黒歴史は、今となっては殆どを自ら削除して、もうどこにも残っていない。

 ただ、黒歴史を積み上げなければ良い物は作り上げられない。凡才ならば必ず通るであろうその一番目の壁はとても高く、しかしそれを意識せずに乗り越えられたのは幸いなのだろう。

 思い出すと今でも嫌な気持ちになるが。


 自分好みな創作物を日課のように毎日探し、そして自分自身も作る。僅かに締まり切っていない蛇口から僅かに滴り落ちるようにしか降って来ない甘美な一滴を待ちながらも、その一滴を自らも作り出す身に成り果てた。

 一次創作と同等程の文量で二次創作も行っていた。少なくとも読める文章が書けるようになってからは多少ながらも評価や感想を貰えるようになり始める。そうしてモチベーションが上がって行けば、同様に執筆意欲という光属性のものから、承認欲求から他者への不満と言った闇属性のものまで様々なものも加速していく。

 自家発電で完結、満足出来るような創作者も早々居ない。ある時跳ねるように高い評価を受けてしまえば、それに愉悦を感じてしまえば、それは地獄の始まりでもある。

 他者からの評価や感想に左右される凡才は、思ったような評価が得られない事に対してどうしようもない葛藤を覚える。自分好みではないし、そう優れた文体でもない小説が自分の作品の桁倍以上に評価を受けている事に黒く粘ついた感情を抱く。

 一次創作でも二次創作でも、創作を辞める人は少なくない。いや、辞めない人の方が少ないだろう。評価を受けている連載がありながらも忽然と消える人が居れば、就職などの転機に従って自然消滅する人から、様々な要因でモチベーションを失っていきネットの海から姿を消していく人まで幾多の人を見て来た。

 そうして未完のままぶつ切りに続きが読めなくなった作品は、今でもお気に入り群に数多くが残っている。

 自分は創作を始めてもう十年以上が経っている。何故今でも続いているのかと考えれば結局のところ、自分の中の創作意欲は創作を続けていれば面するであろう第二の壁よりも強かったのだろうと思う。

 ある時読んだ小説に憧れを抱いて、そのように強い感情を抱ける小説を書きたくなった。その夢はそう強くは叶えられておらず、今でも自分の創作の根底に根付いている。

 魅力的なゲームを遊べば、小説、漫画を読み、映画を観れば二次創作をしたくなる。もしを書きたくなる程の感情をそのままにはしておけなかったし、はたまた魅力的なキャラクターが溌剌と生きている様を脳内だけに留めておくのは勿体無さ過ぎた。


 そして、そんな人間がコミケに足を運ぶのは必然だっただろう。自分が大学生だった時に初めて行った冬のコミケ。目的としては、あるゲームのマスコットキャラクターのぬいぐるみが十年以上振りに発売される事を知ったから。

 それだけを目的に高速バスに乗って行列に数時間並び、無事購入した後。次いでに色々と眺めていった結果、気付かない内に深淵に入り込んでしまし、そこからは逃げるように退散した。

 その後、社会人になって都内に引っ越した。コミケや他のイベントに足を運びやすくなり、時が経つに連れてお金の余裕も多少は出て来る。

 コミティアに行ってみようと思ったのは、そんな余裕が出来てからだった。

 何度かコミケに足を運び、寄稿での参加も経験する内に人込みの中を歩くのにも慣れて来る。そうして目的を果たした後にも色々とぶらついてみれば、二次創作ではないコンテンツにも面白いものが多い事に気付く。その結果、目的に費やした金額よりもそのオリジナルのエッセイやニッチ過ぎるレビュー等に費やした金額の方がもしかすると多かったかもしれないと言う事も同じ位に大きな理由である。

 一次創作限定のコミケ。そんな認識で大した目当ても無しに行った。人の規模も一次創作限定と言うのならばそこまで多く無いのだろうと踏んでいたが、訪れてみれば当然コミケには及ばないものの想像より遥かに多い人数規模。

 入場証でもあるカタログを買って行列へと向かえば、ある程度早く来たと言うのに青海展示棟から夢の大橋の端にまで続くその行列は、もう既に一つが完成していた。

 カタログを眺めている間も人が並んで行く様は途切れる事は無く、最終的にそれは四つ以上出来ていた。

 一次創作だけでもこれだけの人が集まるのか、と結構驚いていた。

 開場を告げる拍手の後にゆっくりと列が会場へと入っていく。カタログを見せながら入場した後は、そのカタログを読み込んでの自分の興味のありそうな分野やスペースを気ままに流れて行くだけ。

 立ち読みを許していても、作者の目の前で買わずに去っていくという挙動までをしたくない、という気持ちもあって、傍目から見て面白そうなものでも立ち寄って見るまではせず、通り様に遠目で眺めるという不審者のようなムーヴを何度か行ってから一気に買いに行く。それを何回かしていたらあっという間に一万円以上が飛んでいた。

 リアルに密接したコンテンツ、原作と言うものを介さずに一から創作された、作者の色がそのまま出ている漫画や小説。だからこそか、興味の無いジャンルが少ない。

 危機感を覚えた頃には背負うリュックも確かに重さを主張しつつあった。これ以上の浪費は歯止めが効かなくなりそうだ……長く居座るのは程々にして、初めてのコミティアはそれで終わった。

 それからも数回参加し、そのコミティアでも小説を寄稿する事も経験した後にコロナがやって来た。コミケもコミティアもその他の人が沢山集まるイベントは全てが中止、延期になり、自分の身の回りにも変化が出た。仕事はリモートワークになり、その煽りを受けて閉店する店舗がぽつぽつと見られていた。

 フォローしている作家がリアルでのその盛り上がる機会を失った事によってモチベーションを若干失っている光景から、自分が新しく参加、寄稿したアンソロの行先がどうなるのかも分からなくなった事まで。

 そして夏にコミティアが支援を要請すると瞬く間に目標金額を達成し、また秋の終わりに久しく開催する事が決定されて今に至る。


 物事を趣味にする、そんな宣言じみた開始というものはそれが何に関わらずともきっと無いだろう。

 好きだから続けていた。好きだから趣味になっていた。趣味にするのではなく、趣味になっていたというのが普通だろう。

 ただ、それでも創作という趣味は、それが好きであっても行う事が消費ではなく文字通り創作と言う自ら何かを生み出す行為である以上、使うエネルギーが桁違いだ。そして創り上げたその結果自体は、人に差異はあれどそう強いエネルギーには、余りならない。

 だからこそ、創作を趣味にしている人は外部からのエネルギー供給を求める。それは他者の創作物を漁る事から、自分の創作物に反応を貰う事や、界隈に属して気の合う仲間と会話を交わしたりと。

 その中でも創作物を物理的な本にして頒布、売り出すという行為は、自分の創り出したものが重量のある形となって手元に存在させ、更にそれが自作を興味を抱いてくれた他者の手に渡る様を間近で見る事が出来ると言う事であって、それはもう前述が風力や水力、火力程のエネルギー量であるとしての核融合程のエネルギーを生み出せる事は理解に難くない。

 コミケ、コミティアの理念も、そのような交流、発展の場としての役割としての部分が強く、本等を出す側として参加しなくとも、その場に居るだけでそのような莫大なエネルギーを感じ取れる。

 コロナが沈静化するのを待つのではなく、コロナと共に生きていくと言った形に社会がシフトしつつあるのに連れて、そのような大人数のイベントも少しながら元の形を取り戻していく。

 そのようなエネルギーが生み出される場所が喪われずに済んだ事は、まだコミティアに関しては数度しか訪れた事の無い身である自分にとても喜ばしい事だった。

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