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目覚め3

 アンは扉の前で一つ深呼吸をした。しかし、先程から震える手を止めることは出来ない。

 ノックを二回繰り返すと、中からどうぞという声が聞こえた。


「アン様」

「……どうしたの、ソフィア。お母さんを名前で呼ぶなんて。おかしな子ね。何日も眠っていたせいで寝ぼけているのかしら」


 アンは手にした花束を、テーブルにおかれた花瓶へと挿した。


「そうだ、水を取り替えるのを忘れていたわ。少し待っていて。すぐに取り替えてくるから」


 アンは慌てた様子で花瓶を持ち、ドアノブへと手をかけた。


「待って、いかないでください」


 自分を呼び止める声に、アンの手が止まった。ドアを開き、わずかな隙間からアンは入念に外の様子を伺った。

 周りに人影がないことを確認すると、ゆっくりと扉を締め、鍵をかけた。

 花瓶をテーブルに戻し、ベッドへと近寄るアン。すがるような目で見つめる少女の傍らに立ち、深々と頭を下げた。


「クーデリカ様。よくぞご無事で」

「やっぱり……私がクーデリカだと言うことが最初から分かっていましたね」

「勿論です。いくら姿が似ていても、娘の顔を見間違えたりはしません」

「なら何故、ごまかすような嘘をついたの。それにソフィアは。彼女は今、どこにいるの!」

「嘘をついたのは村長や医師、周りの目をごまかすためです。貴方には、しばらくの間ソフィアを演じて頂かなければならない。今、扉を開けて確認しましたが、あたりに人目も聞き耳を立てている人もいません。このことを知っているのはクーデリカ様と私だけです。そして、私の娘。ソフィアですが、今は牢の中におります」

「私がソフィアを演じる? それに、彼女が牢の中って、どういうことですか」


 激高するクーデリカとは対照的に、アンは淡々とした様子で問いかけられた質問に答えていく。自分の娘が牢の中にいる事実も躊躇うことなく話すアンの様子に、クーデリカは背筋をふるわせた。


「娘が牢にいるのは当然のことです。お忘れですか。犯してしまった罪の重さを」


 アンの鋭い視線に、クーデリカは思わず息をのんだ。


「それはお母様が私たちを……! いえ、そんなはず、どうしてなの。思い出せない」

「落ち着いてください」

「違う、お母様をソフィアが……」

「クーデリカ様」


 アンの声にクーデリカの肩がびくりとふるえた。

 決して大きい声ではなかった。しかし、心に直接訴えかけているかのような、重みのある声音に、クーデリカの思考は閉ざされた。


「それ以上はいけません。人には思い出さなくていい記憶もあるのです」

「私に何かしたのね」

「……」


 無言であるアンだったが、クーデリカをまっすぐ見据える瞳が質問の答えを雄弁にかたっていた。


「なぜなの、わからない事だらけ。お母様が私を殺そうとした理由も、自分があの夜に何をしたのかも。自分のことだというのに!」


 クーデリカの両手の拳がベッドを叩く。募らせた苛立ちは消えることはなく、わだかまりとなって彼女の胸に重くのしかかった。


「モニカが、なぜあのような凶行に走ったのか私には心当たりがございます」


 アンの告白に、クーデリカは身を強ばらせた。

 母に対して、抱いていた疑心に再び火が灯り、クーデリカの呼吸は次第に荒くなっていた。

 叫びたくなる衝動を抑え、平静を装い、クーデリカは声を絞り出した。


「……聞かせて。あの本を渡した理由も、なにもかも全てを」


 一つ呼吸をするアン。目を閉じ、何かに思いを馳せるかのように、長い間目を閉じていた。そして、ゆっくりと開いていく瞼。

 言葉を急かすように、小刻みにふるえるクーデリカを落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で、アンは語りはじめた。


「私とエドガー、そしてモニカ。私たちは聖職者として悪魔祓いの仕事に従事していたのは、ご存じですね。それは私たちが見習いの頃から、ずっと三人で行動していました。モニカが一線を退くまでは」

「お母様は怪我でもしたの」

「いいえ。モニカのお腹に大事な命が宿ったからですよ。ルートヴィッヒ様を産んでからも、モニカは仕事を続けていました。しかし、子供との時間を大切にしたいと決意し、悪魔祓いの仕事から退くことを決めたのです。……それが、今回の事件の引き金になるとは思いもしませんでした」

「そんな10年以上も前のことで何故?」

「私が見習いの頃から、エドガーとモニカは恋仲の関係でした。二人が結ばれることを知った時は心から喜びました。しかし、モニカだけは、私とエドガーの仲を疑い続けていたのです」

「何故?」

「私たちは、長い時間を共に過ごしてきました。互いに親愛の情を感じるほどに。私はエドガーのことを親友としてしか見ていませんでしたが、モニカの目にはそうは映らなかったようです。きっと、その心の弱さを悪魔に見抜かれてしまったのでしょう。仕事を辞める前に、モニカが一匹の悪魔を祓った時のことです。消滅していく悪魔が、私とモニカを指さして言いました。お前たちを呪うと。けれど当時の私たちは、その言葉を真剣に受け取ることはしませんでした。お前に負けるわけがないと。浅はかでした、呪いという言葉の本当の意味を理解もせずに……」

「本当の意味?」

「その直後でした。モニカが妊娠していたことがわかったのは。しかし、同じ頃に私の体にも異変が起きたのです」


 突然、口を噤んだアンに、クーデリカは首をかしげた。冷静なアンが初めて見せる苦悶の表情。ふっと息を吐いたアンが再び口を開いた。


「悪魔の宣言通り、私は呪われた子を身籠ったのです。男性と契りを交わしたことのない私が」

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