惨劇4
「嘘……」
「まだ生きていたのね」
ソフィアの側を離れたモニカはクーデリカを突き飛ばし、馬乗りになった。手にした刃物を高々と振り上げる。
「もう、どちらでもいい……! 汚れた子達……!」
モニカがクーデリカに刃物を突き立てたという受け入れがたい事実と、苦しむ彼女を罵った言葉が、ソフィアの身体を突き動かした。
ソフィアは呻き声をあげながら、モニカを両手で突き飛ばした。二人は倒れ込むように、キッチンに備え付けられた食器棚に体を打ち付ける。
肩の痛みに悲鳴をあげるソフィアを、モニカは乱暴に髪を鷲掴みにした。強引に振り回され、床に押しつけられる。
経験したことのない痛みに、ソフィアの目から涙がこぼれた。
締め上げられる力から逃れようと、必死にもがくソフィアの指先に何かが触れる。だが、それが何かを確かめる余裕はなかった。ソフィアはそれを掴み取ると、モニカの手へ突き立てた。
痛みに顔が歪むモニカ。能面のように無表情だった彼女に一瞬だけ、感情が宿ったかのようにもみえた。手の甲に突き刺さったのは銀製のフォークだった。
食器棚にぶつかった際に、仕舞われていたカトラリーが辺り一面に散らばっている。
ぜいぜいと息を吐きながらソフィアは服の裾で顔を拭った。鼻の呼吸を遮っていた血がなくなったことで、幾分か呼吸が落ち着いていく。
冷静さを取り戻せたのは僥倖だった。
モニカから視線を反らすことなく、両手で辺りを探る。再び、指先に硬質な感触があった。それを掴み取ると同時に、モニカは両手を伸ばし覆い被さるようにのしかかってきた。
モニカの手がソフィアの体に触れるよりも先に、ソフィアが構えたナイフが迫る掌を貫いた。口にする肉とは違う、生きた人の肉を切り裂いていく不快な感触と、飛び散る血に思わず力が緩んでしまう。
ソフィアのためらいを見透かしたかのように、モニカの両手は止まることなく、ソフィアの首へと到達した。
首を締め上げてくる握力は女性とは思えないほどだった。
一瞬で気を失わなかったことは幸運といえた。気を失っていれば、なすすべなく殺されていたはずだから。
しかし、じわじわと締め上げられ、呼吸をすることも出来ない苦しみはソフィアにとって耐え難い地獄だった。
無我夢中で手にしたカトラリーを何度もモニカへ突き立てる。
何度も、何度も同じことを繰り返した。突き刺した感触が消えることはなく、未だに手の中に残っている。己の残虐性にあふれた行動も、命の危機という理由が盾となり、躊躇うことはなかった。
ドスンという衝撃と共に、モニカの体が崩れ落ちた。
モニカは目を見開いたまま、ゆっくりと前のめりになりながら、床に頭を打ちつける。
ソフィアはモニカの体を横にどかし、立ち上がった。見下ろしたモニカの背中に突き刺さっていたのは包丁だった。
包丁は、モニカの背中から心臓まで深く突き立てられていた。
クーデリカはモニカの背中に覆いかぶさる様にして動かなかった。小刻みに体を震わせ、声を押し殺しながら泣いている。
ソフィアはクーデリカの震える腕を掴み、肩で彼女の体を支えた。
「いきましょう」
二人は互いの身体を支え合うように、火の手が回り始めた屋敷から脱出することができた。煙が立ち上り、燃えさかる炎は漆黒の闇を照らすように赤々としていた。
火に焼かれ、時間と共に屋敷が徐々に崩れ落ちていく。
瓦礫と炎の中にクーデリカの家族は取り残されたままだった。
「クーデリカ、大丈夫?」
ソフィアの問いかけに、クーデリカは首を縦にふるのが精一杯だった。
立っていることさえままならなくなったクーデリカをソフィアは支えることが出来ず、クーデリカは雨でぬかるんだ地面へ倒れ込んだ。
「これは一体……! クーデリカ様、どうしたというのですか!?」
ソフィアに声をかけたのは、この村の村長だった。肩で息をしているところを見ると、深夜の嵐の中を走り抜けてきたようだ。
「その血は一体……。まさか怪我でもされているのですか」
「違う。怪我をしているのは、私じゃない。彼女よ」
「彼女……?」
村長の目がソフィアの足下へと向けられた。雨が降りしきる中、肩をわずかに上下させている姿に、はっと息を呑む声が聞こえた。
血にまみれた二人の子供のどちらがクーデリカで、どちらがソフィアなのか。村長に判別することができなかった。
「待って、ちょっと待ってください。一つ、確認させてほしいのです。あなたはクーデリカ様。ソフィア様ではなく、クーデリカ様でよろしいのでしょうか?」
「そう。私が、クーデリカよ」
ソフィアは言い淀むことなく、友の名をかたった。