惨劇3
二人は玄関をめざし、走り続ける。目の前の扉を開ければ目的地はすぐそこだった。
「きゃっ」
ドアノブを掴んだクーデリカが悲鳴をあげる。
ソフィアは友の行動に首をかしげ、クーデリカと同じようにドアノブへと手を伸ばした。
「駄目! 火傷しちゃう」
「火傷?」
気がつけば、ドアの隙間からは煙が流れ込んでいる。耳を澄ませば、雨音の他に扉の向こう側から、何かがはぜる音が聞こえていた。
扉の向こう側には炎が渦巻いていることを知り、ソフィアは戸惑いを隠せない。立ちすくむ彼女の手をクーデリカが引っ張った。
「こっち!」
追われる恐怖はまだ終わらない。
二人が逃げ込んだ先はキッチンだった。食器棚の中は綺麗に整頓され、調理台においてある調味料は綺麗に配置されていた。キッチンの主であるモニカの性格がよく表れている。
食器棚の物陰に、二人は身を寄せ合うようにして隠れた。
扉を一枚隔てた廊下からは、足音が聞こえている。ゆっくりとした足取りだが確実に、二人の元へと近づいていた。
木が軋む音と共に開かれた扉。モニカはこつこつと足音をたてながらキッチンの中を見渡した。二人は息を止め、物陰の隙間からモニカをじっと伺った。手に鈍器とナイフを握ったままのモニカの口元からは一筋の赤い線がみえる。
扉の前に立ったモニカは、室内に誰もいないことを再び確認すると、部屋から遠ざかっていった。
「……行ったのかな」
「今の内に逃げましょう、早く」
キッチンの窓にかけよったクーデリカは、窓を開けると隙間から身を乗り出した。人一人がようやく通れるほどの隙間しか開かない窓からの脱出に苦戦しながらも、ようやく外へ逃れることができた。
「ソフィアも早く」
雨が降りしきる中、ソフィアを呼ぶクーデリカ。
しかし、呼びかけに答える声はなく、雨音だけが聞こえている。
一向に出てこようとしないソフィアが気にかかり、クーデリカは中をのぞき込んだ。
灯り一つない暗がりの中、クーデリカの視界にうつったのは、自分の母であるモニカと母の細腕に首を締められ、腕を振り回しながらもがくソフィアの姿だった。
ソフィアは爪をたて、自分の首を締め上げる手の甲を力の限りひっかいた。
何度も繰り返すうちにモニカの甲は、皮膚が削れ、血が滲みだしている。それにも関わらず、モニカの力が緩むことはない。
身をよじるようにもがき続けたソフィアの手から、本が滑り落ちる。
モニカはソフィアの首から手を離すと、落とした書物を拾おうと腕を伸ばした。
のどを激しく鳴らし、せき込むソフィアを気にする素振りを一切見せず、モニカの白く細い指先が書物に触れた。
すると、書物を縛っていた紐が一本、また一本と解けていく。誰の目にも触れないよう厳重に施されていた封が、自らの意志で解かれていくかのようにも見えた。
全ての紐が解けると、今度は本が勝手にめくれはじめた。表紙が開き、ぱたぱたとページをめくる音。それは本が閉じられるまで止むことはなかった。
本は、しばらくすると発火し灰となって燃え尽きてしまった。
「……くだらない玩具だな」
か細い声で首を傾げたモニカは本への興味が失せたのか、視線は再びソフィアに向けた。
「逃げて!」
クーデリカの渾身の力で体当たりされたモニカは避ける間もなく、壁へとたたきつけられる。
「ソフィア、早く、早くたって」
腕を強引に引っ張るクーデリカのおかげで、ソフィアはようやく立ち上がることができた。
クーデリカはソフィアの背後に回り、体を押し上げた。
本に後ろ髪を引かれる思いのままソフィアは窓へと手を伸ばした。手が何度か空を切ったあと、ようやく窓のへりを掴むことができた。
「え……」
突如、体を支えていた力が失われ、指先が窓のヘリへと食い込んだ。震える指先では体を持ち上げることも出来ず、ぶら下がったままでいるのが精一杯だった。
次第に腕の力は失われ、ソフィアは尻餅をつくように床へと倒れ込んだ。
「どうして?」
友を探すソフィアの視界を覆ったのはモニカの姿だった。彼女は振り上げた鈍器を躊躇うことなく、ソフィアの肩へとたたきつけた。
体を貫く衝撃と痛みに、ソフィアは声を上げた。端正な顔はゆがみ、痛みに耐えるように唇をかみしめている。
苦しむソフィアの側で、かすかな呻き声が聞こえた。
「クーデリカ、貴方……」
クーデリカは必死の形相でわき腹を押さえている。手の隙間からこぼれ落ちる血は止まることなく床に大きなシミを残していた。