短編小論
人によっては不快になる表現もあるかと思います。
ご了承下さい。
○短編とは
恐らく、私も含めた一般的な人からすると
短い(文字数が少ない)中で完結するものを指すと考えられます。
短いとは20000文字以内位でしょうか。
人によって多少の違いはあるにしても上記の文字数+-5000字位の範囲かと思います(なろうでは70000文字迄は短編扱い出来るらしいですが……)。
では完結するとは何か。
あくまで私個人の考え方になりますが「起承転結」の結があるものではないでしょうか。
極端な言い方をすれば起結のみでも完結している、と思います(起が無ければ承も転も生じないので起結を例としています)。
〇結とは何か
では、結(終わり、締め)とは何かですが、これは人によってそして物語のとらえ方によりさまざまです。私自身もうまく言語化するのが難しいですが、ここでは私なりの結とは何かを提示いたします。私の考える結とは「謎、伏線等がほぼ回収され、読んだ後に『終わった』という納得感が生じるもの」です。曖昧模糊として、伝わりずらいかもしれません。前半の謎、伏線の回収についてはなんとなくご理解いただけると思います。ここで「ほぼ」という表現を使ったのは、人によってはここから連載等に発展させるために敢えて残して置いたり、回収する気がない=回収されないことが著者の意図であるという場合があるからです(ホラー等であれば恐怖感を読者に強く残すために謎や不明点を敢えて残す場合もあるかと思います)。では後半の『終わった』という納得感が生じるとはどういうことか、ですが、現時点の私では上手く言語化できておりません。無理やりに言語化をしてみるとすると、読み終えて「面白かった」など読後の感想が出てくるというか、そういったものだと思います。なろうの短編の中で、私が読んだ作品(と呼べる短編)は読み終わった後に上記のような感想が出てくる作品で、とても楽しく読んでいました。
○ランキングに出てくる「短編」
最近、私が短編のランキングを見ていると、「〜の序章」だのと言った文言が小説の詳細に書かれているものを幾つか見かけます。本編を読むと、途中で終わっており(=感想等が生じない)「評価が多ければ連載します」と言う一言が後書きされているのみです。又は前書きに上記の文言が入っており、後書きに「評価お願いします」等の文言が書いてあります。私はそこに大きな違和感を感じます。
○違和感の正体
それは短編とは言えない多数のものが「短編」としてランキングに掲載されている事です。
導入だけ、プロットの様な状態のものが「短編」として扱われ、「短編」である作品が押しやられています。また、肌感覚ではありますが、私にとって「短編」と呼び難いものがランキングに増えているような気がします。
○言いたいこと
小説未満のものが短編カテゴリに多過ぎます。
プロットや導入部分のみを投稿するのが短編カテゴリとして正しいのでしょうか。短編と言う「作品」ではなく、作品のパーツ、或いは断片を、短編カテゴリという「作品群」に紛れ込ませるのは問題無い行為なのでしょうか。それによって埋もれてしまう作品があるのではないでしょうか。
また、そういった「短編」と呼び難いものに評価、感想を付けることで順位を押し上げることが本当に良いことでしょうか。もっと「短編」として、「作品」として、評価すべき、押し上げるべき作品がたくさんあるのではないでしょうか。
〇蛇足
私自身は今まで評価や感想などは積極的に行なっていませんでした。しかし、この状況、そしてこの文章を投稿したことを機に、読んでほしい「作品」、読んでほしい「短編」には積極的に評価、感想を入れていきたいと思います。
○追記
一時は短編のランキングも「短編」が並び、この独り言の様な文書も役割をなさなくなったと思い安心していました。
しかし、手を変え品を変え、作品未満のものを短編として出す傾向は止まない様です。此れは書く人の考え方の問題であり、私1人が喚こうが、他の方々が指摘しようが関係ないのでしょう。連載にするよりも短編と偽る方がメリットがあるのかもしれません。
メリットが大きければ続けていくのでしょう。
私はそういった人を作家だとは思いたくありません。
例え書籍化された作品があろうと、例えレビューや感想の数が多かろうと、偽りを続ける人を、作家とは呼びたくありません。
書籍化作品が無くとも、レビューや感想の数が少なくとも、偽りなく真っ向勝負を挑んでいる人こそ、私は「作家」なのだと強く信じています。
全ての「作家」の皆様に幸あれ。
近い内容を書いている方も多くいらっしゃるかと思いますが、私も声を挙げたくなり綴りました。