ヘンマン領都
仮眠も荷物の整理もそこそこにヘンマン領主の住むヘンマン市へと向かうことを勝手に決定づけられたアルマは先ほどまでの気分を一気に降下させ泣き真似をするが、普段の性格を知っている職員達はもといサイラスですら気にかけることはなかった。
彼らの脳には一秒でも早く精霊への挨拶を終えてくれと言う願いしかなかったので……。
トランクの中身はギルド職員達に勝手に選別され、1日分の着替えと日用品を適当な荷袋に突っ込まれた挙句、皺などを考慮していない結び方でサイラスの馬の尻へと繋がれた。
何かあった時に金があればなんとかなるからとギルドの金庫から取り出された紙幣で財布を勝手に分厚くされ、いくつか魔石を補充され……。と用意されていくのをぼーっと眺めていたアルマはあっという間に全ての準備を整えられ、現在サイラスに抱えられる形で馬に揺られていた。
ちなみにこれが初めての乗馬体験なのだが社畜と変わらぬ扱いのおかげでアルマの口からはいい思い出として語られることはなくなってしまった。
「ウッウッ…さらば久しぶりの我が家……」
「仕方ないだろ、それより挨拶もなしによく魔術師やれてたな」
燃費の良い魔導士職の俺たちですらガチガチの正装で挨拶しに行ったのに、この歳まで顔見せにすら行かず力を貸して貰えていたとか随分なギフトだ。
正直羨ましくて殺しそうと背後から妬みの歯軋りを聞かせてくるサイラスに見た目に引きずられた膨れっ面を浮かべる。
そもそもこの世界に転生してから小半年も経っていないのだ、常識なんぞわかるわけないだろうという文句が喉まで出かかったが寸でのところで留まる。
己の本職が明らかになってしまえば……、リピズスの言った通りに世界に己だけしか死霊魔術師がいなかった場合、どんな状況になるか想像に容易い。今以上の社畜になるのはごめんだった。
ただ、だんまりを決め込んだことにより吐き出す言葉を失ったアルマの不細工な面は継続されていく。
アンガーコントロールを行おうと一つため息を落とし頭を振った。
「サイラス、まだ私朝飯食べてないからヘンマン市に着いたらおいしいもんが食べたい」
「……御前で腹慣らしても困るから途中休憩しながら寄ってやる。寝るか?」
「まあそれでもいいや、馬上で寝たら落馬しない?」
ポタムイの馬より全然でかくて背中も広いけどされど馬上、鞍は尻へと振動を伝え跳ねる。
自分に騎乗の経験はない。ポタムイの主乗り物はツノ牛でスピードもなければ馬もそれに代わる生き物もいない。
「取り掛かればもっとサイラスの負担が増えるでしょ?」と舌を噛まないように普段よりゆっくり問いかけた。
「一応無理して揃えた軍馬だからな、負傷者救助用の装備も備えてある」
そう言って片手だけ手綱から放すと、後ろ手で荷物からベルトを取り出し、己にぐるりと巻き付け調節するとこちらを見ずに胸当て部分と残りのベルト紐を手渡してくる。
「交差するように留めた後、腰と太腿部分の留め具を真下の鞍の出っ張りへ差し込め」
昔ダグに言われて購入した無用の長物だった装備が常識知らずの女の仮眠に使えるとは思わなかったが、軍務経験のにおいが一切しないアルマの遠征帰りに連れ出したのは顔合わせの場で察していたので、サイラスは己がアージエ領内でやれば5度見されそうな優しさで接してやる。
許可をされればやはり限界だったらしく、トロンとしていた瞼を完全に閉じ切り己の腹に身を預けたアルマの重心を調節する。
いつもの愛馬とは別のこの軍馬でも、最高速度で飛ばし続けても半日は掛かる見込みだ。
途中で腹が減ったと馬のペース以外で休憩を何度も入れていたら数日かかりかねない。
ならば寝かせておく方が効率的であると考えての判断だったが、ほぼ丸一日爆睡させていたアルマをヘンマン市で起こしたときにそれが正解だったとサイラスは口を引き結んで目の前で喚く腹を恥ずかしそうに抱えて馬から降りた女に遠い目をした。
「到着したぞ」
「サイラス……、起こしてくれた?」
止まらぬ騒音に街と外の境界に立つ兵士たちが何度も視線を寄越す。
そのたびに恥ずかしそうに縮こまる女に「何度も起こした」と嘘を告げる。
実際は足である軍馬以外水分補給のみで己も同じく何も食べていないのだが、そこは兵務を熟したことがあるサイラス。
アージエでは放蕩息子に見せているが、腹の音を止める訓練もしたし空腹状態でもそんな様子を見せずに動ける男なのである。
「とりあえずギルド所属印か身分証のどっちでもいいから出せ、街に入ったら食事処へ行く」
「わかったぁ……」
食事を終えた後挨拶に行く前に正装も買わねばならない。
寝不足に休憩する間もない立て続けの任務で用意されていく荷物を前に流石の社畜といえども文句を垂れていた彼女がこれからの予定を聞いていたとは到底思えない。
アージエの弁明を果たし戦争回避するのと同時に、ロッシに任された彼女の御守り。
そしておそらく受けることになるだろうヘンマン卿からの依頼。
本来なら密偵でやるべきだが、そんな状況にないアージエ内で唯一動ける自分が熟すしかないチェスター地区の潜伏調査は実に胃に重い。
(考えれば考えるほど食欲が失せてくるな……)
全てを熟さなければならないのか……、と明け方の彼女よろしく一瞬げんなりとした顔を見せたサイラスの手にアルマが取り出したバッジを「ハイ」と言いながら乗せてきた。
手の平のブツを見て、それからアルマに視線を合わせる。
「早く行かないの?」とでも言いたげに首を傾げたアルマの頭部にサイラスは手刀を落とした。マジで馬鹿。
「身分証は他人に渡すな!」
「ギッ…、しゅいあしぇんれしら!」
寝起きの頭では動作予測が出来ず、頭上へとゆっくり上がっていく手に構え模せずにいた為、舌に思い切りダメージを食らったアルマがひんひん泣きながらバッジを荷袋に取り付けた。
新品の光沢は冒険者ギルドにて貸し回されているボロい荷袋とミスマッチだが、逆に他の荷物と間違えにくくなって良いのかもしれない。
疲労で知能レベルが落ちかけていたのに気づいたサイラスは「ン゛」と咳払いすると己の身分証を手に街入り口の屯所へと近づいた。
「ポタムイの冒険者ギルド伝手で連絡が行っていると思う。アージエの虎、リーダーのサイラスだ。こちらはポタムイのアルマ」
「こんにちは、身分証はこれです」
そう言ってアルマが解析用魔道具を通しやすいようにように兵士の方へとバッジを向ける。
わざわざそんな正義感の強い幼児みたいなことをする冒険者なんていなかったために一瞬ぎょっと目をむくも、何とか言葉を発することなく解析魔道具を翳す。
「……ひょえ、魔術師」
「壊れちゃった……」
困ったようにサイラスへと振り向き見上げるアルマの口から洩れた言葉に思わず笑ってしまった。
表に出ていた兵士が目を回しているので屯所の窓から中を覗きつつ声をかける。
同じように数人が固まってはアルマを信じられないと上から下までぎょろぎょろと眺め回す。
流石に頭も目も覚醒したアルマが兵士たちの様子にビビり散らして己を壁にしてなるべく視線を遮ろうと逃げるので荷袋を奪ってどうにか固まらなかった兵士の前へ差し出す。
「記録の方が出来ているなら馬を預かってもらえる食事処を紹介してほしいのですが」
「あえ……。あ、はい。この大通りをまっすぐ進んで貰って右3件目に厩のある宿がありますのでそちらへ……」
「だそうだ、アルマ行くぞ」
「ままま待ってサイラス置いてかないでサイラス!サイラス!!」
怖い怖い怖い…と現在進行形でトラウマを生成しているらしいアルマが、サイラスの乗馬用ジャケットの裾を皺になるほどの指圧で握りしめる。
全力で縋りつく全身黒ずくめの外見年齢未成年少女と、半ば引き摺るように堂々と夜にかかりかけた時間の通りを進む男と馬の奇妙な隊を兵士たちは全員黙って見送る。
一行が角を曲がった所でようやく兵士の一人が「ああ、門を閉鎖する時間だ」と呟いたのであった。




