疑惑
「お茶をどうぞ」
「ほらサイラス、とりあえずリンさんが持ってきてくれたんだから水分補給しなよ」
あれから数分程で泣き止みはしたものの生理現象がぴたりと止まるはずもなく、散り紙でたれ続ける鼻水をアルマが拭う。
甲斐甲斐しく世話を焼いているようにみえるが、片腕が人質として取られているからなのでアルマ自体に深い意味はない。
被害を被らないようにしているだけなのだ。……が、目の前のリンの表情は冷たい。
傍から見ると少女に鼻水を拭わせている青年とかいう案件状態に見えるので致し方なし。
ただ、この世界の住人と比べて未成熟な魔素産の身体はともかくとして、生きてきた年数はこの3人の中ではアルマの方が俄然上。目の前で泣いている年下の子の面倒を見るのは何らおかしいことではないと考えていた為、彼の表情が歪む原因をアルマは結局わからないまま過ごすことが確定した。
なお、そういうところがほぼ毎年新人教育係として抜擢される要因なのだが、当オ人が気づく素振りを見せないので今後もきっとわからないままとなるのだろう。
ーー閑話休題。
透かしの文書にトラブルメーカーのアルマと知り合いな時点で察しはついているし、成人の儀を終えているはずの男の形相にドン引いてはいるが、民間の商業ギルドと違い冒険者ギルドは依頼者を基本拒めず緊急時即時対応を決められた国営組織なので喉元までデカかった言葉をすべて呑み込んで営業顔で応対していた。
緊急でもなく、営業時間前でアポなし突撃までしておいて、これでロッシ街長が零した内容とは別の、……それこそ見当違いな理由だったら自分が抑えられるかわからないなぁと朝食すら腹に入れる時間を貰えずに家から飛び出てきたリンは心中ごちてアンガーコントロールを試みる。
先輩たちが言うには、ポタムイの人間はよく「のんびりしている」と中央に行くたび揶揄されるようだが、食に関しては他の追随を許さない狭小さであると自覚していたので。
ちなみにツノ牛属の肉は自分と弟の好物である。朝飯を食わせろ。
荒れたリンの「……で、サイラス殿はどうしてわざわざ隣領へ?」という問いにぽつりぽつりと語り始める。
やはり予測していた事項が絡んでいると察し、部屋の様子を窺っていた職員数名が、呼び出しから帰ってこないロッシとその役割を交代するため飛び出していった。
「自分が気づいたのは火竜が消えてから一週間ほどたった時だった、しばらく遠征に行って気づくのが遅れてしまったんだ」
(暈かしているけど遠征はブラッドベアの時だろう、そしたら私と別れて帰宅後一息ついた頃かな?)
ロッシの不在中は代表として話を聞こうとメモを取り出したリンを眺めつつ、器用にも丸めた散り紙を近くのくずかごへ放り捨てながら、おそらく自分もかかわることになると察してアルマもしっかりと時系列を組み立てていく。
「領内から川の水位が例年より低いと噂が回ってきた。現領主の我が父はそもそも治水だの公共事業だのといったことに無頓着なのでいつも通り領政ついでに俺達が調査をしていたのだが、アージエからヘンマンの精霊の泉に流れ込む主流が調査すべき箇所だと判明したのは10日ほどたってからだった」
アージエは水の都、港町なので逆側が原因の可能性もあると考えたが、街路下の水路すべての魔物の数も調査して来たから原因が海にないことは間違いないと暫定して主流を遡って領境にて地勢調査をする中、早馬を飛ばされ戻れば宣戦布告の知らせを中央に認めさせようとする親の姿。
使用人やら近衛兵に事情を問えばヘンマンからの手紙が原因であると手渡されたのである。
「ヘンマン卿にアージエを反逆領として仕立て上げられたと渡されたがどう見ても卿からの調査依頼書だった」
精霊の泉に繋がる主流はヘンマン領の隣の山からの水ではあるが、その河川は隣領に直接流れ込むことはなくぐるりとアージエを回っているのである。
火竜が暴れたとされる伝説の真偽は定かではないが、竜の爪痕と呼ばれる川は深く抉れ両脇を高い崖で挟まれており……。
そして何より竜の魔力の残滓が残るこの川は数百年程度の風や水流では削れない。加護のように形を変えさせることなく不自然なまま残されているのだ。
とはいえ河川を領境とするには先祖代々が守り抜いてきた土地を切り売りすることになってしまう。
何より精霊の泉ど真ん中を串刺す形で流れ込むその川と泉の半周以上を取られるのをヘンマン領は良しとしない。
精霊の泉があるだけでどんな富よりも価値がある、守り抜くのは当然と言えた。
……それに、精霊から選ばれた一族を蔑ろにできる人間などアンデッドに生活を脅かされている状況ではまずいないと断言できた。
だからこそ。
「そもそもアージエとしては精霊の泉を害す意図は過去もこの先も一切ない」
国家反逆罪で領もろとも潰される可能性の事案等起こしたくもないからなとサイラスは苦々しく言う。
精霊が力を貸してくれなければ霊脈は閉ざされ戦士職以外は使い物にならなくなってしまうのだ。
それは魔術師を生み出すことを悲願としているサイラスの一族はもちろん、僧侶を齧っている剣術師の己も本意ではないのだ。使い物にならなくなったら一瞬で領主として終わるのがわかっているので。
目線に嫌悪を滲ませていたリンはサイラスの必死の弁解に態度を徐々に軟化させていく。
流石に漬物石のように根を張ることが多い冒険者ギルドの職員とはいえ隣領であるアージエの近況を知らないわけもない。
悪い噂も入ってきてはいるだろうが、今回の件については己の言葉が嘘ではないこと位判別つくだろう。
「なるほど。現領主がギルドを動かす気がなく手詰まりになったので隣領に助けを求めに来た、と。魔術師を動かすべき案件とは思えないが……。貴方はチェスター地区が怪しいと考えているので?」
「火竜討伐の報が入った後、アージエには奇妙な噂が流れてきておりましてね」
【ガラン】という宗教をご存じだろうかと問うサイラスに首を振るリンは唸る。
丁度そのタイミングで職員の呼び出しの任を駆け付けた職員に変わってもらったロッシが襟元を整えながら部屋へ入室する。
「ああ、ポタムイでは最近まで火竜信仰の方が強かったものでね。街から出ない限り若いのは知らないかと。それでそのガランがどうしたのです?」
「ガランのチェスター支部が最近魔石を大量に集めだしたのをご存じでしょうか」
それも彼らの主産業である奴隷売買業界を圧迫させてまで。
「それは奇妙だ、あそこは山岳地帯な割に鉱脈も目ぼしい特産品もない。流通と人材派遣と奴隷売買が主産業な筈」
リンからもらったメモを確認しながら聞いていたロッシが唸る。
特定モンスターが増えているなら魔石を大量消費する魔攻武器複数より魔術師一人雇う方が結果的に安く済むはずで。
それをあの守銭奴領が計算していないはずがない。
つまり、アルマを餌に彼らの目的を知ろうというのだろう。
サイラスはこういったときの為に普段からお付きの4人と一緒というイメージを作っている。
単独で動いたところで顔を知らない限りスパイだとは考えられない。
昔から悪名高い両親の影に隠れてしまうような存在感を作ってきた男なのだ。
これを知るのは直接彼に技巧を叩き込んだロッシやミランダ位だろう。それを証明するかのように、隣に座ったリンからは色よい返事を返されていない。
アルマに調査に行かせるほどでもないが、事前調査までしっかりと終えて自領の動きをわざわざ伝え戦争回避に走り、いつのまにか知り合いになっていたアルマを頼り、依頼で潔白を証明する元弟子の意志は買ってやりたい。
それに、仮想敵は単純な方が扱うのが楽だが、駆け引きするならやはり話が出来る方がありがたい。
「サイラス殿、御隠居の予定は?」
「まだ目途が立っておりませんので」
直接的な言葉にせずとも主語を瞬時に判断して意思まで伝えられた為、ロッシは「待っている」と笑みを返してやった。
アルマが知り合いならラインを強固なものにしてしまえば良いだけなので。
「ところで、精霊の泉ってそんなに大事なんですか?」
ひとまず経緯を話し終え、依頼書の交渉に入るかと持ってきてもらった茶でロッシが口を潤している隙に、アルマが何も考えずに問う。
アルマの中ではただの地名として捉えられていたのだが、話を聞いているうちにその考えが揺らいだのである。
時が止まった。
「アルマ、魔術師なのに精霊の泉を知らないのか?」
帝国内最重要拠点の一つだぞと信じたくないサイラスが若干震えながら問う。
悪い冗談であってくれと願う彼らの様子に流石のアルマもやらかしたと悟ったが、誤魔化したところで即ボロが出ることも簡単に予測できてしまったので、気まずそうに、そしてぎこちなく頷く。
「全言撤回。精霊は盗人に容赦しない、サイラス殿と共に卿の元へ挨拶に行け馬鹿」
頭を抱えたロッシは直接的な言葉を使われ悲しむよりは驚嘆した表情を前面に出しているアルマに手ずから常識を仕込むのをやめた。
そして流れを読み取り引き攣った口元を戻せないままにこちらへ顔を向けた元弟子に丸投げすることにしたのであった。




