帰還
自宅、すなわちそれは理想郷である。
ポタムイの簡素な放牧地を目にして、半月近くかかった遠征もとうとう終わりなのだと実感が出来たアルマが感慨深げにため息を零した。
魔素から作られた身体は若いが、これだけ歩き通しになれば凝り固まり張るのも無理はない。
それをわかっていたからこそ、カーネリアンから譲られた大金を持っているアルマも、初めての魔術師を囲い込もうと躍起になっているポタムイの冒険者ギルドも、旅費を出す気は俄然あったし手配の連絡も寄越していたのだが、結局のところ帰りは全過程徒歩となってしまったのである。
なぜかと問われれば、答えは単純明快。交通の便がなかったの一言に尽きる。
ザルートル程交易を交わしているならまだしもポタムイは基本自給自足。
転移技能を持つ高位魔術師の賢者なんてもってのほかだし、ポタムイの特産品は基本ギルドの転送機を使っている為騎乗職への伝手も持っていなかった。
もちろん街の人間は魔物のいる街道を長距離進める技能も足となる魔物も飼っていない。いるのは力自慢の4本ツノの牛だけである。
……そして狭い町なので噂が出回るのも早い。
アルマが斃したブラッドベアの存在を知っている街の人間たちの頭からも、直接魔石を目にして緊急会議が開かれたギルドの職員も、この街唯一の足である牛車なんて考えは消滅しているのでこれも勧められることはなかった。
結果として……。
前述した諸々の理由もあり、結局アルマはポタムイへの帰還ルートをもはや疲労の蓄積した身体を引きずるようにして歩いてきたのである。
「しんどい。出来れば一週間ぐらいは何もせず外で食べてぐうたらしたい」
ワーカーホリック気味のアルマでも体力は並以下なのだ。
同行者がいれば次々と零される愚痴になんらかの反応をされ、流石に疲労で視野の狭くなったアルマも機嫌が急降下するところだったが幸いソロパーティの彼女にそんな原因はいなかった。
ザルートルでプレゼントされたお洒落なヒールのブーティではなくクッション性能が高く歩きやすいサンダルに履き替えちぐはぐな格好をしたアルマが門番のいないアーチを潜った。
朝霧も薄くなり出した明け方、日の出が照らす濡れた街の石畳を孤独に進む。
畜産や農業を主産業にしているこの街の人間でもようやく起き出した時間だろうか。
アンデッドとそれに伴う脅威に怯え日々を過ごしていた彼らは、霧が消えた頃でなければ家から出ることもない。
たった一人しかいない閑散とした道はひと月程度しか過ごしていないアルマにもレアであると新鮮な気持ちを抱かせた。
多少気分が向上した状態でギルドへと直進していく。
途中自宅の前を通ったが草毟りをしてくれた跡が見え、お礼を言わねばとごちる。
「帰還報告終わったらリンさん達に差し入れ持っていくかぁ」
この後ぐっすり休めると思えば最後の報告も苦にならない。
疲労で麻痺していた脳が快楽物質を大量生産し始めたのを感じ取りながら、一日中電気のついているギルドへと足を踏み入れたのである。
「ただいまポタムイ!」
中身が元日本人のアルマにはギリギリ舌を回しきれるかレベルだった街名を叫ぶ。
だが休みを前にぶら下げられハイになった彼女のテンションは夜勤当番をしていた彼らにはきつかったらしい。
「声を落としなさいトラブルメーカー」
目の据わったロッシに笑みを向けられ即座に腰を90度に折り曲げたのであった。
通された奥の部屋のソファーへ腰かけたアルマから提出された報告書を受け取るとやはり険しい表情を崩さないままパラパラと街印を押された箇所を確認していく。
ふとその手を止め、一枚の報告書とそれに付随する書類を束の一番上へ重ね、ずれた老眼鏡のブリッジを押し上げた。
「アルマさん、ミランダから何か言付けを預かってますか?」
「……?」
いえ、別にと返そうと横に首を振ったアルマをちらりと視線のみで確認すると再びザルートルの書類に目を通していく。
遠征出立ギリギリの依頼だった為他の依頼先の街と村より何枚か書類が多いのだが、しっかりそれにも目を通し、一枚の紙をめくるように指をこすり合わせたあと机の上に束とは別に置く。
自分もしっかり目を通したし別段おかしなことはなかった筈なのだが、まさか始末書か!?とハイになっていたテンションも一瞬で覚め不安そうに覗き見る。
やはり何も変わらない普通の依頼書である。
トランクケースの内ポケットにしまっていたので汚れても折れてもいないはずなのだがと顔を青くしているアルマに、彼女の軽率な(ブラッドベア討伐)行動による尻拭いという名の召還尋問を受けていたロッシも溜飲も下がった。
冷や汗をかいているであろう彼女にバレないよう声を出さずに笑う。
「これは仕掛け紙です、魔石を近づけるんですよ」
この辺りですかね。そう言ってロッシはテーブルの棚部分から小箱を取り出し魔石を一つ取り出した。
受け取ったそれをロッシが指し示した部分へ近づける。
「おお、透かしだ」
ブラックライトみたいな使い方もできるんだなとのんきな感想を心中で零したアルマの対面で寝不足を隠しきれていないロッシの眉間に皺が寄る。
「アルマさん、休暇を与えたいのは山々なのですが……」
そう言って言葉を濁したロッシ。
この後の予定を頭の中で組み立てていたアルマの顔が絶望の色に染め上げられた。
「その先聞きたくないんですけど耳塞いでも?」
「残念ながら、領主の呼び出しなので強制ですかね」
「死んだ、酒ほし……」
卿と懇意のミランダに目を付けられたのはわかったが一体どこが引っかかったのだろうかとぶつぶつ呟き立ち上がったロッシがアルマを置いて部屋を出る。
なけなしの気力で人間としての体勢を保っていたアルマにはもう尊厳を維持するなんて気持ちも湧かず、一人になった瞬間ぐたりとソファーに身体を沈めた。
前世で過労、思考能力の低下、急性アル中のコンボを起こしたので「今世こそは!」と断酒を心に決めていたものの、早くも瓦解しそうである。
ひじ掛けに頭を預け、リピズスが初期装備として揃えていたフード付きマントをもぞもぞ取り去る。
ザルートルで何とかポタムイでも浮かなそうなブラウスだのを買い付け、着たはいいが彼女に見繕ってもらったものはお蔵入りしそうだなあとロッシの変わらない格好を思い出して目を瞑る。
恐らく職員呼び出しのあと緊急会議をはさむのだろう。
再び遠征を強制的に決められてしまっているが、会議が終わるまでは仮眠を取れるかなとマントを毛布替わりにして微睡に落ちて行った。
体感で半刻ほど経過しただろうか。
恐らく一枚壁を隔てたギルドのカウンター前でたてられている物音に意識を浮上させたアルマが瞼を擦り片目を開けた。
覚醒していくにつれ物音が意味のある言葉の羅列だということに気づいたアルマはひっそりと耳を欹てる。
「どうかここの魔術師殿への拝謁をさせていただきたい」
「アポなしの依頼はどうぞお引き取りください、魔術師様はしばらく仕事の予定で埋まっておりますのでお急ぎでしたら他の……」
「他の魔術師だと意味がないんだ!通せと言っているだろう!」
一人は会議の為に朝早く呼ばれたであろうリンだと確信しているが、もう一人の……依頼者らしき男の焦燥感溢れた声色に首を傾げる。
(……聞いたことある気がするんだけど、私の知り合いにこんな高圧的な人いたっけ?)
前世ならいざ知らず、ポタムイでもザルートルでもこんな態度の人間に出会ったことはない。
ギルモさんは高圧的というより皮肉で常時つつくタイプだしと上半身を起こし様子を窺う。
何度も断られているうちに高圧的だった男の声色が悲壮感溢れたものに変化してきて、流石に心が痛んだアルマは脱いでいたサンダルを引っかけドアを開いた。
「リンさん一体何を……、サイラスじゃんおひさ!」
仮眠によって多少疲労を回復させたアルマがニコリと笑みを向け片手をひらひら揺らすと、カウンターに突っ伏しかけていた青年の顔がバッと上がる。
その目に魔術師アルマの存在を認め、ようやく気が緩んだのかみるみる目元を潤ませぽとぽとと数滴分の道を頬に刻んでいった。
秘匿していたはずのアルマの軽率な登場と、男の涙の両方にぎょっとするリンの顔は引き攣っている。
「知り合いですか?魔術師様」
アルマが遠征をしている間、他所の人間の前では彼女の名前を呼ばないようにと先輩たちから躾けられたリンが他所他所しく問いかけた。
知っている、と断言できるだろう。
何なら知り合い以上友達未満位の微妙な距離ですなんておちゃらけながら答えようかとも思ったが、自分たちの出会いが例のブラッドベア討伐時であることは報告していない。すり合わせもまだであるので迂闊にしゃべることは適わない。
そして目元に隈をこさえたサイラスの様子に喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
彼の周囲にお付きの4人が見当たらない。そして彼の相棒の宝剣も。
「サイラス、ダグさん達どうしたの?」
本当に何気なく聞いただけなのだ。
だがサイラスは再び目尻に涙をこさえるとカウンターの前でしゃがみ込んでしまったのである。
思わずリンと目配せを交わし、二人でカウンター前に回った。
「サイラス、一人でここまで来たの?」
アージエからという言葉は口にしないまま背中を擦る。
隣の領主の一人息子じゃなかったっけ?
入領って冒険者だろうと一応審査があるんじゃなかったっけ?
出領していないアルマはそこら辺の制度がまだあやふやではあるが、あの時帰り道でサイラス達が零していた言葉を思い出し、そこまでの急用なのだろうかと先を促した。
「俺の両親を止めてる…」
かろうじてそう答えたサイラスに、心当たりがあったのだろうリンは神妙な顔つきになっていく。
己一人だけが話についていけてないのだと知り唸るアルマを、隣で蹲るサイラスを、ロッシに呼び出され続々と出勤してきた職員達が二度見する。
「アージエの……」
「表の馬は貴方のでしたか」
職員達はアルマを置き去り頷くと、長い話し合いになると予測して各々お茶を入れたり、駆け込んできたらしいサイラスが置き去りにしたため街路の中央で佇んでいる馬を脇に退かせにかかっていった。




