魔の森⑤
アルマの焦りは呼吸の頻度と心拍数の上昇にはっきりと表れていた。
リピズスの説明の時に火竜カーネリアンが魔物を統率していたとあったからそういったモンスターにも今後出会うのだろうとは考えていたことはある。
(……っけど、それが出来る魔物に大抵の雑魚モンスターとして扱われるスライムがいるとは思わないじゃん!?)
しかも生き物認定されないのか死霊魔術は効かない。
クラッカー使っても絶対集合までに時間掛かるしおそらくこの数を一挙に相手取れるのはあの中でもミランダのみだろう。
どこぞで亡骸を貯蔵していたのか知らないが、増えた死体をアレが操るなら短期決戦で仕留めなければならない。
それなのにアルマは炎属性の魔術がメインウェポンじゃないので火力が出ない。指の触手一本ずつしか処理できないのに本体ごと燃やし尽くすことは実質不可能。
「あったスライムのページ……!プレーン、バブル、ベノム、アイアン……」
目の端で指の触手に引き寄せられていく死体が沼を波立たせるのを確認しつつ、ザルートル内でざっと読み込んであったページを再び指で追う。
己の矛と盾として死体で駒を作る寄生タイプのスライムだろうと予想を付けたが、スライム一覧にも軟体系モンスター欄にも記載は皆無。
寄生の二文字を探して逆引きし目を凝らすもない物はないのである。
(載ってないじゃん!)
思わず心中で叫んだアルマの集中して狭くなった視界の端でまた一匹ワーグが引きずられている。
増えればいずれは魔術であろうと追いつかなくなるだろうことは明白だった。
ワーグの死体がミランダ達の斃していた時より鈍くなければ、動きの遅い自分に勝ち目はないことをアルマはしっかりと理解している。その為本体のスライムの内部構造を大雑把に把握し、伝達信号を送る部分を切断すべきだと考えた。
だが腰のポーチに刃物は一つもない。物理攻撃が効かないと聞いてあらかじめトランクと共に小型のナイフを置いてきてしまったのだ。
動きについていけるかは別として、物理無効化ではなく増殖速度が速すぎて無駄だと考えている事に気づいていれば用途が生活用であれど忍ばせていただろう。まあ今更無い物ねだりをしても事態は好転しないのは考えなくてもわかる。
役に立たない魔物図鑑をしまい、ローブの留め具を外して素早く木の根に掛ける。
装甲なんてものは元々ないし、重心を上にすればするほど沼地の中をバランスを保ちながら行動しなければならない足への負担が増すからだ。それに視界も悪くなる。1対1の対人でもなく肌を焼く日差し等の環境的要因もないならその動き辛さはデメリットしかないのだから。
アルマは汗と泥とスライムの体液で張り付いた服で目元を拭い、いつでも巨木を盾にできるように木の根から半身だけを出しロッドで本体を狙う。
予想通り本体に火をつけられないようにと近くに配備していた肉の盾を向かわせる寄生スライム、めげずに対象に向け次々と火を放っていく。
ポタムイで水辺を戦地にしたことがなかったからアルマは知らなかったのだが、魔術の火は普通の炎とは違うらしく肉盾になったワーグは泥水に身を全て沈めるものの消えることなく轟々と音を立てている。
自切した触手が慌てて肉塊から離れようと抜け出すが火が触れた先は逃げることも叶わずそのまま巻き込まれ、燻る肉からはやがて黒煙が上がり、共に縮んで炭へとその身体を変貌させていく。
ロッドを忙しなく動かし目標を定めて炎を飛ばす間にもアルマはなんとかパターンを読み取ろうと藻掻く。
ブラッドベアのような何とも言えない臭気が棄てられた残骸から漂ってこないので瘴気持ちタイプではないのだと予測を付けたものの、レア種だろうという考えは揺らがない。触手自体がまず図鑑に出てこなかったので他にも隠し玉を持っている可能性まであるのだ。
決定打が欲しかった。もうここに彼らが迎えに来てくれるまで1時間もない。
彼らは強いが同じく決定打がない時点で終わりの見えない持久戦だろうし致命傷を負って死体になれば敵に強い駒が渡ってしまうことも考えられる。
4時間のタイムリミットの後はさらにザルートルの一般冒険者たちも来かねない。
そうなればもはや逐次投入される兵力と変わらない。
不利だと言われるその戦術もまずこちらの数が圧倒的に少ないこと、そして投入できる予備兵力も決定打となる術もないままなら、最初期からずっと流れを追い指揮を己のみで行うスライムの方が明らかに有利なのは素人目にも明らかだった。
今のところ疲労を見せないこの魔物が今後休息をとるかもわからないのにだ。
人間がずっと張りつめてるなんてできるわけもないし、見えない勝ち筋に士気なんてものは消え失せてしまう。
普通のスライムと同じく核となる部分を燃やすにしろ触手と死体が盾となって火力の弱いアルマでは攻撃が奥まで通らない。
ぼこん、と。
自分の代わりに攻撃を受け隠してくれていた巨木に穴をあけて突き出てくる触手のせいで、幹の繊維質の棒がところてんのように押しだされた。その一本を皮切りに巨木を蜂の巣にし始める触手によって隠れる場所を失ったアルマはローブをひったくるように回収して泥中を走る。
己が踏んだ程度じゃ皮すら剥がれなかったのに向こう側が見える穴をあけた刺突に一瞬で足元から震えがせりあがってきた。抉られるのではなくその形のまま、直径10メートル以上の内部をくり抜き押しだした一部始終を脳内で人体に置き換えてしまったことによる恐怖であった。
ブラッドベアも大きかったしそれなりに恐怖したがその比ではなかった。
アルマは駆ける。頭の半分はもはや仕事を放り出して逃げるべきとまで警鐘を鳴らしていた。一旦戻って寄生スライムに対する対策を立てながら……。
そこまで来てふと依頼内容の文章が脳裏に過った。
「普通のスライムと、予定外アンデッドの間引き……」
脳内で瞬時に議会が設置された。
過度の恐怖を一定時間与えられ続けると心身を守ろうと思考は止まり現実逃避を始める現象へ、アルマは正面から突っ込んだのである。
「議長、依頼書には寄生スライムの討伐は載っていません。確かに自分は普通のスライムかの確認も取りました。よって帰還を進言します!」
「しかし集合までの残りの時間を寄生スライム(仮)とその駒から逃げ続けられると思っているのか?」
「そもそも一度食われて生み出されたものなのか、泥中に隠れて近くまで回収されてきたものなのかもわかってなくない?」
「てか駒にされた魔物の死骸って動くの?」
「そんなこと今はどうでもいいでしょ!」
「遠征初日だけどもうおうち帰りたい」
「おなかすいた」
だんだんと精神年齢が低くなっていく脳内の分身達がちらほら机に突っ伏し始めたのを見て議長席に座った一人が木槌を小さくあげた瞬間、会議室の幻視はひっくり返り争っていた奴も居眠りをこいていた奴も残らず吹っ飛ばされていった。
一時間かけて進んできた泥の中を背中を見せみっともなく敗走していたアルマの右太腿をミランダに頭を潰され喉を引き裂かれた時の傷を携えたワーグの爪が抉ったのだ。
会議で出てきたうちの一つに対する答えが出たな、なんて喜べる余裕はなかった。
「ガァッ……!」
凡そその大人しい少女のような外見から出されたとは思えない濁った悲鳴をあげ、痛みによって重心を崩されたアルマは泥に半身を沈めた。
倒れ込んだせいで口の中に泥が入り込み窒息しかけた所で頭をさらに沈めようとスライムは駒に命令したらしい。
大型犬ほどの体格のワーグが背中側から飛び掛かり上半身を完全に泥中へと押し込んだ。
パニックとなったアルマがロッドを振り回すも俯せになった状態で腕は関節を外すレベルで暴れなければ背中の敵を害するほど曲がらない。
もはや己ができることは魔力を飛ばすことしかないと手あたり次第に火を放つ。
目測できず、さらに酸素不足に陥りかけている状態で頭なんて働くわけもなく、無我夢中で体に魔力を迸らせているとカランと耳の中にまで入りかけた泥を伝って聞きなれた音が鼓膜にまで響いてきた。
火を放つことは止めず、俯せで抑え込まれた状態でアルマはロッドを持っている方とは逆の手で、藁にも縋る様な気持ちでカンテラへと手を伸ばし、そして揺らした。
ドサリと自身の上に降ってきた大きなワーグが喉を食いちぎろうとしたのだと息を止め死を覚悟するが動く気配はない。
ついでに身じろぎしても押さえつけようとする力のかかり方じゃないことに気づいて急ぎ転がり抜け出す。
脛半ばから膝程度の泥沼だったのにもはや全身黒に染まったアルマは目元を擦り視界を確保しようと試みながらも火の粉を振りまくことはやめない。
粘膜に張り付いた泥の粒子に止まることなくあふれてくる涙で何とか利き目ではない左だけを確保し口の中に入り込んだそれも同様に吐き飛ばす。
自分が逃げ出した数歩先に倒れたワーグを確認し、さらにスライムが盾にするために間に並べていた駒が軒並み頽れているのも視認し……。
アルマは「あは」と異物が多量に入り込んだことによって糸を引く口を大きく開けて笑った。




