プロローグ
佐直 汐音は数年前に新卒を通り過ぎた普通の会社員である。
出来のいい後輩の教育係も終え、また来週から教育係として免除してもらっていた仕事を始めなければならない。
だから憂鬱な月曜を迎える前にPC前で動画を見ながら缶ビールを数本空けたのは仕方がないことだったと思う。
「おー!最近の日本産MMOはミニキャラとかドットじゃないのか!」
学生時代に親友達と毎晩お世話になっていたゲーム会社の後進MMORPGの広告を見て汐音は目を輝かせた。
最近はゲームの三文字すら遠い存在だったので進化過程を全く見てきていない。カセットテープからいきなりストリーミングに更新された気分である。
オープンワールドだのと知らない単語をいちいち2窓して調べながらも汐音の心は学生時代に戻っていた。
(あいつらは今日休みかわかんないしな、昔はレベルキャップがあったしパーティが組めるようにしばらくは一人で進めておくのも手か。先導して手伝えればそれに越したことはないしな…)
親友達がゲーム自体をやらないという考えは端から汐音の頭にはない。
ノリの良い悪友が社畜に甘んじてるとは到底思えないし、教育係になる前は全員が居合わせたようにやっていた有名ソシャゲの廃人をしていた一人が燃え尽きて別のゲームに逃げていたのも知っている。男が出来ようが勤め先が忙しかろうが完璧な擬態をしていようが誰も一般人に戻っていなかったのだから。
学生時代に死ぬ気でバイトして稼いだゲーミングPCはもう壊れてしまった為手持ちのPCのスペックがギリギリなのがネックだが、まあお金は使いどころがガチャくらいしかなかったのでこのMMOにハマれば散財してもいいだろう。
どうせなら椅子も良いのを買ってしまおうかなんてさらに散財する予定を立てていればインストールが終わったと表示された。
「やっば、グラフィックめっちゃきれい!」
最後に触ったMMOなんて比較にならないくらいリアルテイストである。
OPは草原から始まった。
草木は風で騒めき水面は透明でキラキラと太陽光を反射させている。そこにかかる橋の上を行商らしき馬車が砂埃をあげて通り過ぎていく。馬車を追い乗り込んだカメラはふと外の景色へとレンズを向ける。
のどかな郊外らしく畑を耕し収穫する大人達の傍らで子供が小さなモンスターと追いかけっこをし、少し離れた木漏れ日が揺れる森の中では薬草を摘んだ女の傍らで騎乗モンスターが目をつけていた果実を横取りしようとする鳥に威嚇している。洞窟内では冒険者たちがパーティーを作って炎を噴出するドラゴンを狩っていた。
ドラゴンの振り払うような尾の影によって一瞬暗転したカメラはレンガと漆喰のコントラストが美しい街へと移っていく。
どうやら先ほどの冒険者たちは無事にモンスターを狩れたらしい、街中でカウンターに身を乗り出して店主に訴えている。きっと換金額の吊り上げを要求しているのだろう。
武具を打つ鋼の音、迸る火花。そしてタイトルロゴが最後に出てきた。
思わず舌を巻く。飛ばすことができなかったOPに打ちひしがれていた。
これはもうゲームではない、一つの世界だ。
アカウントを作る前から早くものめり込みかけている汐音は一息つく。圧巻だったがここで呆けているわけにはいかない。やりたいことは決まっていないがすぐそこでキャラメイキングが待っているのだ。
メール認証し、自動生成されるアカウント名を少し弄る。ログイン用なので忘れてもこれはメールを見れば良い。
サーバーもインストール中に事前調査している。友人たちと緩くやりたいのでPKの多い所を避けて賑わっている所にしたし完璧である。
「どうせならイケメンを動かしたいし男だな…。おぉ、先に職業か。というか階級まで選べるんだな」
剣士、忍者、魔術師、盗賊、商人、騎士、侯爵等々。奴隷から王族まで出身地位を枕詞のように選べるらしい。
もはや二つ名状態である。
「久々に回復役やりたいけど戦闘能力ないとパーティー組む前にレベル上げる意味薄くなるよねぇ…」
回復ができるモンクが無難だろうかとスクロールし、好みのイケメンキャラを作ろうとしていた手が止まる。
(そうだった、初期職業である程度見た目の制限があるんだった…)
体格の良いいかにも強そうな男が画面に映っていたので性別を変えてみる。
(……なるほどね)
武闘派僧侶だから女でもそうなるのかと若干しょんぼりした心を無理矢理持ち直させると、初期スキルと見た目で有用そうなものをピックアップしていく。
「白魔導士系、レベル上げしたら回復スキルを取得できる魔術師、あとは精霊使い位か…。耐久的にも精霊使いを選びたい所だけどこれはエルフ固定なのか。うーんエルフかー…」
学生時代なら迷わず選んだ所だが大人になるにつれタイプの見た目が変異してしまった為、メモした精霊使いにバツをつける。長身に切れ長の目は好みだけど、高潔というイメージのせいかどうしても顔がキツく見えてしまうのだ。顔を弄ってみてもあまり変わらず。見た目だと白魔導士一択だが攻撃力が心もとない。亜人種など人型からモンスターレベルの人外も作れるようだが汐音の好みは一般人とそう変わらず人間固定であるので他の職を選ぶこともできない。
「魔術師しかないな」
身長が少年と青年の間くらいなのだが、クラスチェンジしたらかっこいいイケメンになることを祈って。
細かくパーツを整え、ぼくの考えた最強のイケメンを妥協できる範囲まで2時間かけて作り上げる。
誰の目にも疑いようのないほどにのめり込んでいた。満足して背もたれにいったん身体を預けた汐音はすっかり冷めた酒のつまみを口に放り込み再びPCに視線をやる。
最後に名前を決めてください。
「いつも使ってたアルマが一番馴染み深いしアルマで」
光る画面、メイキング完了の文字の下。職業欄が押し間違えたのか死霊魔術師になっていることを発見した汐音は思わず口に含ませていたビールを噴出してメールを開く為人差し指を押し込んだのである。