表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

第一話「彼女の場合(前編)」

   

「ここで作者が登場人物に、あえて間違ったセリフを言わせているのがポイントだな。別に、作者自身が間違って覚えているわけではなく、そういうキャラクター描写なわけだ」

 国語教師のダミ声に混じって、トントンと、チョークで黒板を叩く音が聞こえてくる。

「『相手のためにならない』という使い方、これは若者によく見られる誤用であり、本来は『他人だけじゃなく、回り回って、自分にも良いことがあるから』というニュアンスなわけで……」

 教壇に立つ中年男性には、板書が多すぎるという悪癖があった。いちいち全て、教科書から黒板へ書き写す必要などないのに。

 そのせいであろうか、彼は黒板に顔を向けてばかりで、ほとんど生徒の方を見ていない。真面目に授業を聞いていない生徒がいても、彼は気づかないらしく――あるいは見て見ぬ振りを決め込んでいるらしく――、注意することは全くなかった。

 だから、この時間は、勝手に他の科目の勉強をしたり、居眠りをしたりという生徒が多く……。


 窓際に座る佐知子さちこは、授業を聞き流しながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。

 理系に進むつもりの佐知子にとって、国語は重要科目ではない。そもそも受験科目に含まれていない大学もあるし、仮に必要だとしても、配点比重が小さかったはず。

 それでも少しは、授業が耳に入ってきてしまう。特に「『わけではなく』『なわけだ』『なわけで』と同じような言い回しを続けるのは、国語教師にあるまじき表現力ではないか」と、鬱陶しく感じる程度には。

 気分転換の意味で、視線を空へと向ける佐知子。

 数日前までの雨降りが嘘のように、澄み切った秋晴れの空だった。どこまでも続く一面の青には清涼感があり、教室の窓ガラスと自分の眼鏡を通して見ていても、自然の美しさが伝わってくる。

 目にするだけで、心にわだかまるモヤモヤが――思春期特有の不穏な想いが――、軽くなっていくようだった。

 自分でも気づかぬ程度に笑顔になった佐知子は、ふと、視線を下に落とす。今の時間、体育の授業をしているクラスはないので、校庭はガランとしていたのだが……。

 土のグラウンドの端に植えられた、何本かの大木。その近くを、一匹の茶色が歩いていた。

「……犬?」

 頭に浮かんだ考えを確認するかのように、小声で呟く佐知子。

 ブルドックやプードルなど、犬といっても色々な種類がある。佐知子は、それほど犬には詳しくないのだが……。

 それらカタカナで表記されるような種類の犬ではない。その程度は一目でわかった。少し狐っぽい顔立ちが特徴的。日本の犬の、代表的な品種。確か、芝犬という名前だったはず。

 第一印象は『茶色』だったが、焦げ茶色のような濃い『茶色』ではなくライトブラウン。それもブラウン一色ではなく、顔の下半分とか、胸や腹など体の内側――佐知子の場所からは見えにくい部分――は、白くなっているようだ。

 遠目でわかるのは、それくらいだった。周囲の物体と比較すると、それなりの大きさがあるようなので、いわゆる豆柴のような小型犬でもなければ、これから成長する子犬でもない。立派な成犬なのだろう。

 そうやって観察しているうちに……。

「えっ?」

 授業中だというのに――それでも一応は周りに聞こえない程度の小声ではあったが――、驚きの声が出てしまった。

 問題の芝犬が顔を上げて、まるで佐知子を見返すかのように、校舎の方に視線を向けたのだ。

 佐知子は、犬と目が合ったような気になるが、

「まさか、ね。こっちは教室の中、あっちは外の校庭。だったら、私の視線に気づくわけないし……」

 と、小さく首を振った。頭に浮かんだ考えを、かき消すかのように。

   

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ