おまけ2 ドミリオにて
ドミリオ王国はロワーヌ王国より南にある島国の為か、国民の殆どが浅黒い肌をしていた。
私の肌は白いので、一目で外国人だと分かってしまう。
だがこの国は貿易が盛んで外国人に慣れているせいか、外国人扱いや差別をこの5年間された事はなかった。
私の世話になっている商家は、ドミリオでもかなり田舎にあり大きくはないが、その分従業員や店主との距離が近く、まるでひとつの家族の様に仲が良い。
家族といっても貴族と庶民のそれは食事のマナー一つとっても全く違い、私には戸惑う事ばかりだった。
まず距離の近さには驚いた。と、いうより私が知らなかっただけなのだろう。
友達と呼べる親しい人もなく、唯一の家族である父も私に求めたのはただ一つ、裕福な貴族の子息との婚姻だけだったから。
人と触れ合う温もりや、相手を思いやる優しさという物が、とても居心地の良い物だという事を初めて知った。
店主夫妻は何も知らない私に根気良く付き合ってくれて、私に出来る事は一つずつ増えていった。
私の事情を知っている筈なのに、まるで娘の様にあれこれと世話を焼いてくれる。
私にはそんな資格などないというのに‥‥
せめて自分に出来る事を精一杯やって、彼等に少しでも恩返しをしよう。
自分でも意外だったのは計算が得意だった事だ。
今では帳簿の計算を任されている。
「アンヌ、またアンタはこんな遅くまで!早く帰って休みなさい!」
「マリサおばさん、もう少しでここの計算が終わるの。だからこれだけやらせて!」
「そうやってアンタはまた!毎日遅くまで残って仕事ばっかりしてるじゃないか。うちの人もアタシもアンヌがいつか倒れやしないか心配なんだよ」
「ありがとうおばさん。私は大丈夫よ。これだけだから、ねっ!」
「まったく、アンタってば!もっと自分が幸せになる事を考えたっていいんだよ。アンタは美人だし、気立てもいい。どこへ嫁に出したって恥ずかしくないくらい、アタシ達はアンタを仕込んだんだ。ロペスの店にいるシモンなんかアンタに夢中じゃないか。どうだい考えてみては?」
「シモンさんはからかってるだけよ。第一シモンさんに私は相応しくないわ。ほら!終わったわ!もう帰ります。ねっ!」
「アンヌ」
「はい?」
「アタシはアンタの事情は知ってる。最初はどんな我儘お嬢様が来るのかうちの人と気を揉んでいたけど、アンタはこの5年一度も根を上げなかった。それどころかアンタは素直で優しい良い子だったよ。アタシ達はアンタを娘だと思っている。娘の幸せを願わない親がいると思うかい?」
「‥‥ありがとうマリサおばさん。私もおばさんとおじさんを両親だと思っているわ。でも、もう少し時間をちょうだい」
「‥‥分かったよ。でも無理したらダメだ。これは聞いてもらうよ!」
「はい。言われた通り、帰って休みます」
本当におばさん達が両親だったら、私はきっともっと人並みに生きてこれただろう。
おばさん達は知らないのだ。
娘の幸せを願わない親がいる事を。
だからこそ私はここにいる。
そして私に出来る事はささやかだけど、人の役に立って生きていくと決めたのだ。
それが私の贖罪なのだから。
けれど私にも一つだけ願いがある。
目を閉じると思い出す銀の髪の青年が、どうか幸せでありますようにと。
もう決して会う事は叶わないだろうけど、私のせいで不幸にしてしまった彼の幸せを、願わずにはいられないのだ。
いつもの様に朝目覚めて仕事へ行くと、おばさんが血相変えて私を呼びに来た。
「アンヌ!ロワーヌの侯爵様がこんな辺鄙な港町へ滞在するそうだ!この町で一番いいホテルったって、ロンドレスホテルぐらいだろ?あそこの支配人に頼まれたんだ!アンタを貸してくれって!」
「待っておばさん落ち着いて。なぜ私が?」
「アンタしか貴族のマナーなんて分からないだろ?それに侯爵様はお身体が不自由らしい。だから行ってくれないかい?ロンドレスホテルはうちのお得意様だし」
「お身体が不自由なんですか?私でお役に立てるなら喜んで。いつ頃がいいのかしら?この計算を終えてしまいたいんだけど」
「そんなのいいから!午後には到着する予定だって言うんで、今から行ってくれないかい?」
「分かりました。精一杯務めて来ますね」
ホテルに着くと支配人からドレスを渡された。
お世話をするならホテルの制服の方がいいのでは?と聞くと、侯爵様のご意向だからと片付けられてしまった。
久しぶりに着るドレスはなんだかとても窮屈に感じる。
慣れとは恐ろしいものだ。
以前は毎日当たり前の様に着ていたのに。
ドレスは肌触りのいい素材で仕立てられており、淡いピンクの胸元にレースのあしらわれた、最近ロワーヌで流行しているという物だと説明を受けた。
私には分不相応だと何度も断ったのだが、やはり聞き入れて貰えなかった。
髪はドミリオに来てからずっと同じ長さだったので、纏める事も出来ずそのままにした。
支度が整うと、侯爵様が到着したからすぐ向かう様にと、支配人が慌てて支度部屋へ駆け込んで来た。
そういえばお名前を伺うのを忘れたわ。
私を知らない方であれば良いのだけど。
もし知っている方だとしたら、思い切り蔑まれるか嫌悪されるかでしょうけど、それはそれで甘んじて受け入れよう。
部屋の前で深呼吸してノックをすると、年配の男性らしい声で中へ入る様促された。
ロンドレスホテルで一番いいスイートなだけあって中は広かった。
海辺に面したこの部屋は、海側が全面大きな窓で、その外は広いバルコニー、寝室が二つにバスルームも二つ。
支配人に説明を受けた通りだ。
豪華な応接セットの横には、車椅子に乗った銀髪の男性が海側を向いていて、隣には執事らしい年配の男性が立っていた。
私の姿を見ると年配の男性は口を開いた。
「こちらはアイザック・ギーズ侯爵です。私は執事のアランと申します。どうぞこちらへ」
良かった。
ギーズ侯爵の名前は聞いた事がない。
私はホッとして部屋の真ん中へ進むと、背中を向けたままのギーズ侯爵に向かって挨拶をした。
「アンヌと申します。微力ながらご滞在中の侯爵様の身の回りのお世話をさせて頂く事になりました。どうぞよろしくお願いします」
久しぶりにカーテシーを披露したが、侯爵はこちらを振り返る事なく海を見つめたままで顔が見えない。
私はどうしたら良いか分からずに、そのままの姿勢で返事を待った。
執事さんが侯爵の耳元で何やらボソボソと話すと、侯爵は頷き執事さんは私に笑顔を向けた。
「ああ、どうぞ楽にして。私は少し席を外しますので、アンヌさん後はお願いします」
ええっ!!
ちょっと待って下さいと叫びそうになったが、それは出来ないので困った顔で執事さんを見た。
執事さんは笑顔で私の肩をポンと叩き、そのまま部屋を出て行った。
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