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第八話 立食会

 ジンとグラトムが道場で戦っている頃。


 コフィは永遠とも思われた書類へサインする作業をやっとこさ終える。

 そしてボロボロの服から貴族が着るような高級な服へと着替え、ロンウィと共に夕食会へ向かっていた。


 ロンウィがコフィに声を掛ける。


「お疲れ様です、コフィ様」


「疲れた……」


 普段であれば愚痴の一つや二つが出るところ、本当に疲れているのだろう、一言発してコフィは黙してしまう。

 新しく着る服が今までにないほどに高級であることも、精神的な疲労の一因。

 喋る気力もあまり無いようだった。


 すると、ロンウィが一つの扉の前で止まる。


「着きました。この先で夕食を食べることができます。が、その前に一つ注意を」


「?」


 ご飯を食べるのに何を注意するんだろう? と疑問を抱くコフィに、ロンウィは笑み一つ無い表情で言った。


「この先に勇者様がいます。今夜は一人だけですが、それでも決して無礼な行為を働かないようにしてください」


「一人だけ?」


「ええ、本当はもう一人いるのですが、その勇者は少し問題がありまして、まだこの場にはいません」


 まさか、とコフィは思う。


「それって……まだ見つかってない、とか」


「いいえ、見つかってはいるのですが……その勇者の性格に難がありまして」


 ロンウィの言葉を聞いて、コフィは内心胸をなでおろす。

 ジンが勇者として知られてしまったのかとヒヤヒヤしていたのだ。


「そう。でも、初めて知ったわ。勇者って一人じゃないんだ」


「そうです。しかし、気をつけてください。いずれ同じパーティになる仲間ですが、今はまだ、違います。」


「……だから?」


「あくまでも、あなたは孤児院生まれの平民です。対して、相手は勇者。しかも、この扉の先にいる勇者の生まれは王族です。いかに聖女といえど、場合によっては処罰がくだされるかもしれません」


「そんなっ……」


 コフィは息を飲んだ。

 事務処理を数時間続けた現在、コフィの中に溜まった疲れは重くのしかかってくる。

 判断力も反射神経も普段より相当下がっているだろう。


 そんな時に、この夕食だ。


 さっさと食べてさっさと寝たいところであるのに。

 勇者と同席しながらの夕食という、無駄に神経を使う作業が待っている。


「うぅ……めんどくさい」


「コフィ様、しっかりしてください。デウス教の司祭である私が手伝いますから、安心してください」


 狂信者の言葉に全く安心できないコフィ。


「うん……」


 空返事(からへんじ)である。


「では、行きましょう」


 ロンウィが扉を開け、部屋に入る。

 コフィも無理矢理に気持ちを切り替え、シャキっとした表情で部屋に入る。


「っ……!」


 部屋に入ってすぐに、コフィは驚きの表情を浮かべた。


 床に敷かれた赤い絨毯。壁に掛けられた美しい絵画。天井からは豪華なシャンデリアが下げられている。


 そして部屋の中央付近。

 いくつもの丸テーブルの上、食欲をそそる豪勢な食べ物がずらりと並べられている。

 その一つ一つが、孤児院などでは決して口にできないような高級食材ばかり。


 この世界の女の子であれば一度は夢に見る、立食会。

 それが今まさに、コフィの眼前に広がっていた。


「おお、やっと来たか」


 驚きで停止しているコフィに一人、声をかけてくる人物が。

 ロンウィが対応する。


「大司祭様。頼まれた書類はすべて、処理が終わりました」


 言われて、大司祭であるリンネルは柔和な笑みで返す。


「それはご苦労。では、このまま立食会でのサポートも頼むぞ」


「はい。お任せください」


 そしてリンネルはコフィに視線を移す。


「聖女様、お疲れの様子ですな。しかしもう少しの辛抱。今日の予定はこれが最後です」


「はい……」


 リンネルはニコニコしたまま頷きを一つ。

 では任せたぞ、とロンウィに一言。他の仕事があるのだろう、早足で部屋を出ていく。


 ロンウィがそれを見送り、次いでコフィの背中を押した。


「行きましょう」


 そして、立食会の只中へとコフィは入ってく。


 部屋は広く、学校の教室の三倍ほどの広さがあったが、コフィには狭く感じられていた。

 なぜかというと、人が多いからである。


 現役勇者が来るだけでもその価値は跳ね上がるというのに、加えて聖女も参加するとなれば、否応なく参加を望む貴族は増える。


 しかも、聖女の参加は今回が初めて。

 となれば、魔王討伐のおこぼれ、関係を持ったことによる泊付け等々。

 できるだけ早く聖女に近づいてそれらを手に入れようとするのは、もはや貴族の本能。


 よって、コフィの周りには常に人が寄ってきていた。


「僕はこのようなものでして……(名刺を差し出してくる)」

「聖女様、お名前をお聞きしても――」

「何か困ったことがおありでしょうか――」


 詰め寄る、というわけではないが、決して逃しはしない、という絶妙な距離で囲まれる。


 困惑するコフィの手をロンウィが引っ張り、人をかき分けて人の少なそうな場所へと誘導。


 コフィは、ロンウィが言っていた”手伝う”という言葉の意味を今更ながら理解していた。


 ロンウィが小声でコフィにささやく。


「(一度捕まれば抜け出すのは面倒です。空腹でしょうが、できるだけ我慢してください)」


 もはや食事どころではない。

 相手は走ってくるわけでも弓矢で狙ってくるわけでもないが、逃げ場のない部屋の中、どこへ言っても自然を装って近づいてくるのだ。


 ニコニコしながら近づいてくる人間は、しかし懐に欲を抱えている。

 立食会と言う名の戦場であった。


(お腹……減ったな……)


 しかしコフィもコフィでマイペースだ。

 かなり面倒な状況であるにも関わらず、脳内にちらつくのは料理のことである。


 早く食べたい。早く食べたい。早く食べい。

 流石にこの状況で口に出して言うことはできないが、しかし脳内は食欲まみれである。


 食べ物のことばかりを考えているコフィの視界に、不意に一つの料理が入った。

 それは芋をふかして香辛料をかけただけの、簡単で、しかし多くの人が好んで食べる、平民も時々口にする料理である。


 コフィは昔、それを口にしたことがあった。

 転生する前のジンが、畑で取れた芋で作ったのだ。


(ジンが作ってくれたのは、美味しかったなぁ……)


 つい、そちらの方に体を向けてしまう。


 すると手を引っ張るロンウィが、コフィに引っ張り返されて手を離してしまった。


「きゃっ」


 転倒。

 そして、寄ってたかる貴族たち。

 ロンウィは貴族に押されて集団の外へ弾かれてしまう。


「転んでしまうとは、何かありましたか――」

「おお、そういえば僕はハンカチを持っていました、お使いになりますか――」

「どうぞお名前を、この機会に――」


 しかし、誰一人として転んだコフィに手を差し伸べる者はいない。


 なぜか。


 今ここで出しゃばりコフィの手を取れば、その貴族は他の貴族から反感を買ってしまい、かなり不利な状況となる。

 ハプニングとは僅かなチャンスと共に、多きなリスクを生み出すものだ。

 その大きすぎるリスクに、皆足踏みしているのだ。

 そして、他の貴族が出しゃばらないように牽制もする。


 結果として、周囲から睨まれた中手を差し伸べようとする者がいなくなったのである。


「うっ……」


 コフィはすぐに立とうとするが、貴族から囲まれている慣れない状況からくる恐怖のせいか、うまく立ち上がれない。


「どうしましたか――」

「どうか僕の名前を覚えていただきたい、耳に入れるだけでも――」

「僕の商会では色々な商品があって――」


 気遣う言葉、自分を押し出す言葉。

 色々な言葉が飛び交うが、誰一人として、少女を助けようという意思をのせた言葉を発することはない。


 コフィはこの歪んだ状況に、少しずつ、少しずつ、呑まれてしまう感覚に陥った。


(怖い……)


 事実が、耳の中で何度も繰り返される。


 誰も助けてはくれない。

 誰も助けてはくれない。

 誰も助けてはくれない。


 コフィの目に、少しだけ涙がたまる。

 その時だった。


 少し離れた場所で、何か波動のようなものが発せられた。

 それは威圧となって周囲に伝わり、今まで意気揚々と喋っていた貴族が全員、制される。

 聞こえてくるのは、邪魔だ、避けろ、という言葉。

 そして、貴族たちが割れるようにしてできた道を、顔をしかめた一人の男が歩いてくる。


 腰に黄金の剣を差し、周りの貴族たちよりも一層豪華な服を着用し。

 見る者の目を奪う整った顔立ちをしたその青年は、周りにいる貴族に向けて、一言。


「君たちは、倒れている者がいた場合、少し離れて見守るのが正解だと、そう考えているのか?」


 よく通るその声に、貴族たちは冷や汗をかいて押し黙ることしかできない。


 青年は、はあ、とため息を一つ。


「常識に欠けている。全く、バカバカしい。この件について大司祭に報告されたくない者は、直ちに、速やかに、一言も発せずこの部屋から出て行け。今すぐにだ」


 状況を理解した貴族たちは、一斉に部屋から出ていく。

 部屋には、ロンウィと、コフィと、青年だけが残される。


 すると青年はコフィに手を差し伸べる。

 しかし、コフィはその手を見るばかりで何をすればいいのか分からない。

 

「立つんだ」


「は、はい」


 言われて、コフィはおずおずと差し伸べられた手を取り、立ち上がる。


 青年は、立ち上がったコフィの方へ向いて、言った。


「君が今代の聖女か?」


「えっと、はい……」


 そうか、とつぶやいてから、青年は淡白に言った。


「俺はウィオル・クラウン・ライオネアス。天命は勇者。歳は十五」


「ゆ、勇者、様……」


 それは、コフィと勇者が初めて顔を合わせた瞬間だった。

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