1.キレる老人 伯夷伝04
もちろん、周囲は殺気立つ。なにしろ皆、いろんなフラグを立ててきているのだ。もう、あとには引けない。武王は父の位牌を持って出陣している。その位牌に、彼の覚悟のほどが伺える。これは、弔い合戦なのだ。
二人の言葉によって、武王のガラスのハートもゴリゴリ削られたことだろう。なんだかこの人について書いてあるものを読むと、名前の勇ましそうなイメージとは全く違う人物像が浮かび上がってくる。なんか彼、とっても繊細そうなんだよ。
彼が武王と呼ばれるのは、彼が殷を征伐する戦いを起こしたからだ。決して彼が勇ましい人間であったからではない。
むしろ彼は、慎重で繊細な人だったように思う。実は殷の征伐も、一度に一気に行ったわけではない。彼は二度征伐軍を起こしている。一度めは、自分のもとに集まった面子を確認すると、まだその時ではない、と引き返してしまった。
別に腰砕けになったわけではない。事実、二回目にはきっちり殷にとどめをさしているのだから。要するに、脳直タイプではないのだ。その戦いが、どれだけの影響を周囲に与えるのか、よく理解している。殷との戦いについても、敗残兵をむやみに殺さないよう言っている。要するに、無駄なことはしないのだ。
このようなことは、周囲で補佐する連中と、きちんと連携できているからやれることだ。要は出席をとって敵味方を把握し、さらに味方の勝率をあげるために陰でお話し合いとやらをしていただけのことなのだ。
その上で二度目の遠征に出かける。そのくらい慎重な人間だ。文王の位牌を奉じているのも、これが父の遺志であり、自分はそれに従っているんだよ、ということを示している。ある意味、究極の親孝行なのである。
武の名前を冠すべきは、むしろ文王のほうだったりする。ちょくちょく周囲の異民族退治を行い、戦っている回数が多い。武王が軍を起こせたのも、この人が充分な下準備を行っていたからにほかならない。
文王は野心家だ。太公望を得た時の占いにあった言葉は、そのまま文王の本心だ。「斉太公世家」には、文王と太公望がいかにして殷の政権を転覆させるか、二人で語らう姿について記されている。
武王は敷かれたレールの上を行軍しているわけだ。武王にとってこの戦争の勝利は、文王への何にもかえがたい手向けであり、大事な親孝行なのだ。
それなのに、ここに究極空気読めない二人が乱入してきたわけだ。
もちろん、使えない正論を吐く連中が、採用されるわけがない。文王が生きていたとしても、一顧だにされなかったと思う。
考えてもみてくれ。文王は何の実績もない太公望のような老人でも採用する人なのだ。それは、文王なりの採用基準があるということを示す。派手な実績や前評判は、文王には通用しない。
採用されたのは、文王に使える男と認められた、太公望。この緊迫した場面で、彼は登場する。
そして、なんと、登場してたった一言で、その場を収束させてしまう。見事というほかない。正真正銘、仕事のできる爺さんだったわけだ。
彼はまさに、クレーマー係の見本である。
彼は「義人だ。」の一言で、言いがかりをつけてくるクレーマーを下手に刺激することなく、実に上手に真綿でくるむ。そして、貴重なご意見確かに承りました、とよい気持ちにしてお引き取りいただく。
一方で、同じ言葉で周囲にもちゃんと釘をさしている。彼の言いたいことはこうだ。君達、アホを相手にしちゃいけません。
義人と言う言葉の響きに注目だ。クレームをつけてきた二人が、いかにも好きそうな言葉じゃないか。上っ面だけの偽善の匂いがぷんぷんする。
周はこれまで散々、殷にクレームをいれられてきている。そういったクレーマー処理に、慣れていたといっても過言ではない。なにしろ、長年にわたる因縁が積もり積もった結果が、この戦争だったりするわけだから。
ここで凄いのは、太公望の言葉一つで、矛を収めた周の軍だ。よく調教されている、ともいう。
事実、二人は無事に解放されている。だからこそ、あとの後日談があるわけで。ここで諫言したものを何事もなく解放してしまえる懐の広さが、周の上層部にあったと言ってもいい。
なにしろこの時代、オカルトや占いの類は重要視される。風が吹いている、という厨二病的発言も、ここでは吉事にされる。だいたい、太公望からして、占いによって発見されたという、曰く付きのエピソードが残っているくらいだ。言葉一つで人心に大いに影響を与え、戦いの勝敗を左右する。
それなのに、オカルト全盛期の古代において、二人はその場で血祭りにされることもなかったのだ。
古代において、占いやオカルトを軽視してはいけない。古代において、それらは生活全般に密着している。
その傾向は、漢字に色濃く残っている。
文字は、呪だ。
たった一文字の漢字で、全ての情報を表そうとする、斬新で貪欲な表現方法だ。
私は、「道」という漢字がどのような成り立ちでできたかを知った時、本当にびっくりしてしまった。
「道」という文字を目にした時、頭の中に広がるのはきっと、目的地まで続く道路だったり、目標への道筋だったり、まっすぐだったり、うねうねした道のイメージだと思う。
ところが、この文字には「首」という文字が含まれている。白川静の『字通』には、こうある。
「異族の首を携えて除道を行う意で、導く意。祓除を終えたところを道という。」
つまり、生首持った人が道のお祓いをしている姿を現しているのだ。
なんですと…。
もうね、衝撃だったよ。だって、怖すぎるだろ。想像しちゃうともうね…。
あ、もしかして想像した。ぐふふ。これで君も仲間さ。これから「道」という漢字を見る度、君は首の話を思い出すことに…。(この手の話は白川静氏の本を読もう。深ーい沼が待っている)
漢字は、絵だ。要するに、小さい子供が描きなぐったものをさして、これは猫、これは犬、といって説明する、ああいった表現方法だ。見せられた時は、ぐじゃぐじゃしていて今一つなんだかよくわからない。が、説明されると、なるほど、となる。そういう感覚を持っている。
漢字の中には、そういったものが多くて、結構コワイ。それだけ古代の人にとって呪術は身近なもので、だからそれが漢字の中に色濃く残っている。
オカルト?なんだその、非科学的なものは。という感覚は、ごく最近のものなのだ。
だからこそ、この空気の読めないコンビの言動は、今私たちが考えるよりもずっと重い意味を持つ。これから戦場に向かう連中が、縁起をかつがないわけがない。いわば二人はそんな人たちの横っ面をはったのだ。周囲が殺気立って、このクソ爺ぃ共、まとめて刀の錆にして、地面に埋めて言霊一つ残らないようにしたる!となるのは、当り前のことなのだ。
そこを一言で鎮めてしまう太公望が、すごすぎる。同じ老人枠なのに、片方は夢見るクレーマー、片方は現役ばりばりのやり手政治家。私からすると、彼らは太公望の引き立て役としか思えない。
先ほど、殷への征伐は二度起こされていると書いたが、このあたりにも太公望達が、いかに現実的な処理能力を持っていたかわかる部分がある。
実は、一度目の遠征では吉祥があったにもかかわらず、彼らは引き返した。ところが、二度目の遠征において亀甲占いは不吉と出た。おまけに悪天候に見舞われ、周に従う諸侯はそんな不吉な兆しに不安を見せた。
しかしこの時、誰もが尻込みする中、太公望だけが開戦を強く主張した。武王はそれに従い、見事勝利を勝ち取ったのだ。
つまり、このオカルト全盛時代に、占いによって見出されていたはずの太公望は、占いよりも現実のほうを優先して見ることのできる、現実主義なタイプだったといえる。
見ようによっては、占いオカルト全否定なように見える。だが、オカルトじみた祭祀関係をおろそかにしていたわけではない。そのあたり、できる老人は世間体もちゃんと考えているのである。フォローもばっちりだ。
さて、話を元に戻そう。
彼等の空気読めなさっぷりは、こんなとこでは終わらないよ。ここですごすご引き下がっただけなら、彼らは聖人とは呼ばれない。二人は山へ入る。なにしろ元々周に流れてきてた人だ。頼りにできる人もいなかったのだろう。行き場がなかったので、山に入るしかなかったのだと私は思う。
一方、周は殷を平定してしまう。そこで再び、二人の出番だ。ここからがあるから、彼らは伝説のクレーマーになったのだ。
ここで彼らは、逆ギレする。俺たちの話を聞かなかった周の食べ物なんか食えるかぁ、と一方的にキレたあげく、餓死するのだ。
まあ、周に採用されなかったのだから、貧乏だったんだろうね。夢見るクレーマーはさらに年を重ねて、人の話を聞かない老人っぷりを極めていたのだろう。
クレーマーも極めると、命がけである。その辺りを、意地、という言葉で表すには生易しすぎる。狂気じみた自分信仰さえ感じてしまう。あまりにも凄まじい。
自分の言が正しくて絶対である、という生き様に対し、当時の人だって引いたに違いない。そこまでするか?普通じゃないよ、と。だからこそ、この話は後世まで残ったのだ。
しかも、死ぬ間際に詩まで残している。
しっかし、なんで山にこもって隠れ住んでたような老人の詩が残っているのかね?不思議でしょうがないぞ。本当に彼らの作なのか?と疑ってしまう。こんな風に思ってしまう私が歪んでいるのか?
飢え死にしたのは本当かもしれない。が、詩のほうはいかにもな感じがありありなのだ。むしろ、殷にも周にも不満を持っていた人が書いたものを彼らの話と結びつけたような気もする。
司馬遷君は、ついさっき現場を見て来たかのように書いているけど、二人は彼から約千年前の人だからね。ヘロドトスがエジプトのピラミッドのことについて述べた記述と同じで、起こった事象と書き手の時間が隔たり過ぎていて、まるっと鵜呑みにできない部分だらけなんだよ。
だいたい、飢えて死にそうなくせに詩作とかしてるって、どんだけ余裕があるんだよ、と思うのだが、そこは誰も突っ込まなかったのか?飢え死にしそうな目にあったことは、幸せなことに一度もないのでわからないが、そんな状態にあったら、体力もない老人に思考をめぐらせる余裕があったかどうか…。
やっぱり、誰か別人の作?
さて、二人は飢え死にし、恨みつらみがこもった怨念だらけの詩作が残ったとさ。
こんな二人が、世の中では聖人のように見えるらしい。私にはやっぱり不思議だ。やっぱ、クレーマーを極めて飢死すると、伝説になるのか??