1.キレる老人 伯夷伝02
では、列伝の後半へ移ろう。
こちらではいきなり二人とも年寄りになっている。
あまりにもいきなりなので、呆気にとられる。読んだ人は、浦島太郎感を感じながら読まざるを得ない。
二人が出奔してから、老人になるまでの間の話は、全くこれっぽちもされないので、これはこれで、気になる。
が、要するに面白い話は何も残っていなかったのだろう。(あっても、司馬遷君がキャラクターにあわないから、と握りつぶした可能性だってないとはいえない。列伝の一番最初に意味ありげに配列するくらいだもん、自分なりのキャラクター像を持っていたはずだ。)
月日は流れ、二人の兄弟も年をとった。西のほうにある周という国の文王が、老人に手厚いと聞き、そこへ向かうことにした。
ところが、文王はすでに亡くなっていて、周の王は武王に代替わりしていた。
武王は、父の文王の位牌と共に、殷の紂王討伐に向かう途上だった。
伯夷と叔斉は王の馬を止め、言った。
「父親が亡くなったのに、葬りもせずに戦争をしようとするのは孝といえるか。臣下でありながら主人を殺そうとするのは仁といえるか。」
周囲の者は、二人を殺そうとした。
太公望が「義人である」とその場をとりなし、そこから去らせた。
武王は殷との戦い勝利したので、天下は周のものになった。
しかし、伯夷と叔斉はそれを恥じ、自分の正義を貫くため、周の食糧を食べないことにした。首陽山に隠れ、わらびをとって食べる。
飢えて死にそうになり、歌を作った。
「西山に登ってわらびを採る。武王は暴力によって、殷の紂王の暴力にとってかわり、自らの非に気付かない。古の時代の王道はもはやない。私はどこに向かえばいい。ああ、死んでしまおう。天命は衰えた。」
ついに首陽山で餓死した。
さて、二人は故郷を出奔して以来、どこで何をしていたのかさっぱりわからん。とにかく老人になっている。おかげで、出奔した時の年齢もわからなければ、そこからどれだけ時間ががたったかも、わからない。
おまけに、いつのまにか二人そろってるし!
いったいこの二人、どこで合流したんだろう?もしかして、二人は共謀していた?最初から、モブ君に国をまかせるためのお芝居だったのか、と疑ぐり深い人は思ってしまいそうな展開だ。
あ、もしかしてお兄ちゃん大好きっ子が追っかけていったとか?それはそれで、一部の方々に喜ばれそうな展開だが、知らん。
しかし、そろいもそろって老人のくせに「そうだ、周に行こうぜ」と気軽に言ってしまうあたり、国を出てからお前ら、あんまり恵まれた生活は送れなかったんだな、と思わせるフットワークの軽さだ。まあ、あれだけのことをしでかしたのだ。モブ君の治める国にはもう帰れるまい。
モブ君はモブ君で、屈折したものを抱えてそうだし、もし、のこのこ帰ってこようものなら、必殺他人のフリか、出入り禁止にでもしそうだな。
それにしてもこの二人、身軽すぎる!中国って、すごく広い国だよ。それなのに、わざわざゴー・ウエストしてしまうのだよ。家やら財産やら家族やらいたら、そんなに簡単に流浪できないでしょ。アメリカの開拓時代の話かと思っちゃうよ。喰い詰めて金を掘りにいくとか、無一文で一旗あげにいくノリなんだよ。
そりゃそうだ。自分の国を放り出して逃げた奴らなんだもの。しかも、元王子様。他人にかしずかれてナンボのやつらだ。そいつらが他国に行って、簡単に食べていけると思う?面接に来たからといって、重要な仕事、まかせたいと思う?
採用する人事の人だって、馬鹿じゃない。敵前逃亡するような奴を仲間にしたいと思うか?命預けられる?できんだろ。
美談は美談。現実は現実だ。
そのあたり、所詮はお坊ちゃん育ちな王子だよ。うまく本音と建前のすり合わせができず、空気読めよ、ゴラァ、とあちこちで絶対後ろ指さされていたに違いない。
なぜかというと、列伝の後半部分で、このコンビは空前絶後の空気読めなさっぷりを発揮する。ある意味、この後半部分があるから、司馬遷君は列伝の最初にご指名したようなものなのだ。