1.キレる老人 伯夷伝01
クレーマーも極めると、聖人になれるらしい。
世の中には、聖人と呼ばれる人がたくさんいる。
聖人とは何か。それは、普通ではないことをやり遂げた人である。
要するに、普通じゃない。だから、聖人なのだ。
「史記列伝」の最初に書かれた、有名な列伝は、逆ギレしたあげく餓死した爺さん達の話から始まる。のっけから強烈だ。これが実話らしいから凄まじい。
キレキレ老人達の名は、伯夷と叔斉。兄弟である。
キレた老人は、一人でもやっかいだ。それが二人ともなると、どういうわけか立派な言動に見えるらしい。そして、それを貫き通すとこのように伝説になる。
どうして彼らが聖人のように思われているのか、私にはずっと不思議だった。私の感覚がおかしいのだろうか?
本を読んだり、ググッてみたりもしたが、彼らが聖人扱いされていることに疑問を呈する人はいないように思う。どうやら私のような考え方は少数者のようだ。群れの中の黒い羊状態だったのだね。
なぜだ。司馬遷君だって、「天道、是か非か」なんて格好いい決め台詞でしめちゃってるし。儒教的考フィルターってやつを通すと、あら不思議、クレーマーも大変立派な人物に見えるのか?
でもねぇ、私にはどうもこの爺さん達のやったことがそんな風には見えないのだよ。さっぱり共感できないんだ。伯夷と叔斉のやらかしていた事件現場に行って、目の前で目の当たりに見たとしても、「うわぁ。」という感想しか持たないと思う。
というわけで、私のこの、全く一般的ではない伯夷叔斉に対する文句、愚痴のたぐい、大変少数者な意見をここに書いてみようと思う。多分、いや、絶対、受験の参考にはならないだろうと思うので、そういうのを求めている人は、教科書ガイドでも読みたまえ。あしからず。一般的な解釈を求める人は、エライ先生の書いた本を読むべきだ。こっちは見なくてよろしい。
まずは列伝の前半。彼らの自己紹介ともいえる部分だ。
むかーし昔、中国のとあるところに、狐竹という国があったとさ。
そこは、狐竹君というものが治める国だった。彼は、自分の跡継ぎを息子の叔斉にしようと思っていた。
狐竹君が亡くなり、叔斉は思った。跡継ぎは自分ではなく、兄の伯夷がなるべきだ、と。
そこで、兄に跡継ぎの座を譲ろうとした。
しかし、兄は親父の意思を尊重しろ、と言って国を出ていってしまった。弟の叔斉もまた、国を出て行ってしまった。
そこで、残された国の人達は急遽、二人の間にいた兄弟を跡継ぎとして立てることにした。
はい、これが列伝の前半部分。
短い。でも、あいつらの自己紹介としては充分だ。これだけでひととなりは結構わかる。私には、彼らがすでにやらかしているようにしか見えないので。
司馬遷の文章は、すごく簡潔だ。簡潔すぎて、注釈が必要になる。これは多分、当時の人にとって当り前とされている情報が省かれ、書かれていないせいではないか、と私は思う。
でも、読んでいるのは現代人な私。注釈読んでも??が多い。
当然、行間は妄想で埋めさせてもらう。いわば、声にならない心の叫びを聞くのだよ。きっとそのせいだね、聖人扱いされている爺さんがクレーマーに見えるのは。
二人は狐竹という国の王子様だ。
この国が大きかったか小さかったかは、知らん。正確な場所も、昔々のことなので、よくわからない、というのが本当のことだろう。でも、そういうことは関係ないのでおいておく。
王様の跡継ぎ問題ですったもんだするのは、今も昔も変わらない。たいていの場合、血と陰謀の泥沼話になる。
ここで、父は弟を跡継ぎにしようとする。弟は、兄が継ぐべきだと主張する。
要するに、二人は跡継ぎの座をめぐって譲り合っている。奪い合っているのではなく、譲り合っている。そして、二人共国を出てどこかへ行ってしまう。ここがまず、ポイントだ。
父親が弟を跡継ぎにしたがるのは、別に変なことでもなんでもない。
古い家制度でよくあるパターンだ。今と違って、子供をたくさん産む。産むけれど、育つのはわずかだ。そのうち、成長したものが上から自立して家を出ていく。そして、家に残った若いものが親の面倒をみることになる。わりと自然な相続方法といっていい。
この場合、弟はそれに反する行動をとろうとしている。つまり、若い弟からすると、早くに自立している兄は、それなりに大人で輝いて見えたわけだ。だから、兄が跡継ぎになるべきだ、と言いだしたわけだ。ただのお兄ちゃん大好きっ子だったのかもしれないが。
ところがここに、問題が起こる。二人は互いに引かず、言いたいことだけを言って跡継ぎの座を捨てて家出してしまったのだ。
さあ、大変。残されたものたちの阿鼻叫喚が聞こえてきそうじゃないかね。
考えてもみてくれ、弟である叔斉は父に跡継ぎとなることを期待されていた。兄があとで言明しているように、ご指名があったわけだ。ということは、それなりに期待される器を持っていたということがいえる。その弟が、兄を指名したのだ。兄もまた、それなりに才があったということだ。
よくいるよね。
勉強は、できる。頭は、よさそうに見える。
けれど、使えない。
この、一見それなりな才を持っていそうな二人は、そろいもそろって出奔した。残されたのは、二人の間に挟まれた、名前すら残ることのなかったモブ君。
そう。狐竹国の命運は、この何の発言権も持っていなかった村人C的存在のモブに託されることになったのだ。
え、俺?マジで??
彼だってそう思ったに違いないよ。うん、多分。
人生って、ホントわからないよね。時にこのようなタナボタが起こることがあるのだよ。
はっきり言おう。名前が残らなかった、ということに彼の存在意義はある!
だって、列伝とかで名前がしっかり書かれている人って、とってもスゴーイことをした人、悪ーいことをした人、酷ーい目にあったよなんでやねんな人等々、ぶっちゃけいろいろ突き抜けている人達なのだ。
まあ、そりゃそうだ。いつだったかわからないくらい昔の話なのだ。名前や話が残っているだけでもすごいことなわけで。
どうでもいいモブの話なんて、誰も気にしないよ。名前だって残るわけがない。話題にならなかったのは、モブだから。名前も伝わらなかったのも、モブだから。
要するに、名前が残っているということ自体、良い意味にしろ悪い意味にしろ、とんでもないことをしでかしていた、注目されるようなことをやらかした連中、ということなのだ。
それにしたって、唐突に現れ、いきなり跡継ぎになってしまうモブ君。ここまで存在感のないモブ君が、狐竹国の跡継ぎになってしまったぜ、でいきなり途切れる文章…。
不安にならないか?
この後、このモブの運命はいかに、と思ってしまうでしょう?ね、気になるでしょ?ラノベだったら、そこから国造りが始まりそうな展開でしょうが。なんだよこの、俺たちの戦いはココからだ、的な終わり方は。そんなこと考えるの私だけ?
でもね、この中途半端な登場してすぐまた退場なモブ感から、なんとなく彼の一生は予想がつく。元々跡継ぎとしては眼中になかった立場のモブ君だ。何か失敗すれば、出来の良かった伯夷叔斉がいればこんなことにならなかったはず、と言われ、成功したら成功したで、あの二人だったらもっとうまくやっただろう、と言われ肩身が狭かったに違いないよ。それこそ、あそこの国主、モブなんですって、出来が悪いのにお鉢が回っておかわいそう、ぷーくすくすくす、と。
国のイメージだってガタ落ちだったろう。跡継ぎ二人に逃げられたモブの治める国。それが狐竹。他国に、うちはゴタゴタガタガタしております、と宣伝しているようなものだろう。
ま、それはおいておく。
私が一番気になるのは、そこじゃない。この二人の無責任っぷりだ。
だってこの二人、王子なんだよ。国のエライ人の子供なんだよ。村人から税金ふんだくって、それなりな生活をしていた人だよね。当然、国を治めるための教育なんかも受けていたと思われるし、父親の手伝いだってしてたはず。
それなのに、普通、逃げる?
なんで、逃げる?夜逃げみたいなもんだろ。
譲り合った結果だったのは、わかる。でもね、二人の面子はともかく、国のことはどうなるの?税金払っていた村人AやBのことは考えないの?放りだされた仕事は?何もまかされていなかったわけじゃないだろ?
お前ら絶対考えなしだろ!?
いい話風に見えるけれど、それって自分の果たすべき責任や立場から逃げたことにならないのか?命がかかっていて、逃げなくてはならない事情があるのなら、まだわかる。でも、譲り合っていたんだよね?だったら、話し合うとか、兄弟で助け合うとか、方法はあったはずじゃない。そう思ってしまうのだよ。
でもなぜか、後世の人にとってはこの後継者譲り合いのシーンだけで、美談に思われてるんだよね。この無責任な言い逃げ男が、高潔な人物に見えるらしくて。
それってまあ、他の人達の後継者争奪戦話がどれだけ醜く凄まじかったのか、ということの裏返しなんだろうけど。
要するに、欲深な人達からすると、あら、なんて無欲なのかしら、と思ってしまう出来事だったのだろう。そんなにみんな、上の人になりたいわけ?(そう考えると、彼らが無欲で高潔に見える人って、上から目線の立場な人たちなのか。)
あれは、無欲とかそういうもんじゃないよ。世間知らずのお坊ちゃん達なんだよ。
私からすると、モブ君のほうがよっぽどエライと思える。だって、ちゃんと逃げないで、普通に仕事を全うしたんだよ。(多分。そのせいで)名前は残ってないけど。