『霞が関頂上作戦』
事務所の中はさながら野戦指揮所に改装された。
スチール机はバリケードとして積み上げられている。
代わりに組長室にあった長机にロール紙を敷いて地図や、様々な情報が書き足されていく。
相談室手帳の立体映像を作戦地図に使ってもいいが、想定外の使用目的で使いづらい。
赤沢の指示により古典的な手法をとることになった。
そして、立派な長机の半分は『戦術班』、残りは『戦略班』に分かれることとなった。
戦術班は手持ちの機動隊、今後投入される戦力……もとい防衛力を指揮、統括する。
戦略班は戦術班が持ちこたえている間に『銀の銃弾』を作り出す役割だ。
戦術班は機動隊小隊長、後藤、無論のことながら赤沢。
戦略班は三沢、公納、滝、公納。
黒木は戦術、戦略双方、そして外部組織のホットライン役になった。
足手まといだからほっとかれた、という訳ではないのは黒木自身が承知して受け入れた。
戦術が戦略に規定されるというのは、かなり凝り固まった見方である。
戦略と戦術は相互影響をもたらすものである。
官僚を志したとき、戦略論を一時学んだことがある。
機動隊の士気が高まり、指揮統制が取れたところにようやく警備局がやってきた。
漠然と警備局は優秀である、そう思っていた黒木にとっては意外なことだった。
だが意外だったのは黒木だけではなく警備局の連中も同様だった。
どう見てもキャリアの細身の細眼鏡が鯉のように口をパクパクさせている。
恐らく、彼の部下だと思われる強面、屈強な捜査官達もそれなりに困惑している。
警察がヤクザを守ってる。
まぁ、信じられないのは当然だろう。
捜査官達は上司の命令を待つまでもなく、機動隊一人一人の身分を確認した。
「あいつら、俺達を警官にコスプレしたヤクザだと思ってます」
インターフォンから聞こえた隊員の報告に室内はどっと沸いた。
室内はひとまず警備局の出方を伺う方向で決まった。
「こちらは特能省警備局。こ、これより特殊能力者保護法に基づく、犯罪組織摘発を行う」
スピーカーを使っても弱弱し気な声で細メガネが告げる。
「オウ、こちらは警視庁組織犯罪対策部第一課、後藤だ。犯罪組織ってのはどいつだ」
後藤はヤクザ張りの怒鳴り声をあげる。
「む、無論衣川会である。ほら、そこの君たちどきなさい」
細眼鏡は本当のヤクザに脅されたようにへっぴり腰になりながら機動隊に命令する。
無論、誰も動かない。
「ほーん、衣川会が何したってんだ。駐車違反なんかでも犯罪組織になんのか」
後藤の啖呵に機動隊が隊列を組みながらどっと笑う。
それには無力な役人への侮蔑の色も含まれている。
「おい、てめぇらポリでも公務執行妨害でパクるぞ、コラ」
上司を見かねて、頭に斜めに古傷のある捜査員が吼えた。
「見た顔だと思ったら、愚図の清水か。奴の傷はな、チャリで巡回しててコケて出来たんだ。
機動隊の諸君、あいつはああ見えて運動神経悪いから安心しろ」
後藤が挑発すると清水は暴れ牛の様に機動隊員に突っ込んだ。
機動隊員の一人が、あえて盾を構えず殴られた。
戦略班の第一段階は達成した。
『最初に手を出したのは警備局』
現場クラスではそれなりに使える駒を一つ手に入れた。
清水呼ばれた、猛牛の様な男に続いて警備局の捜査員がなだれ込む。
「このヤロウ、おとなしく通しやがれ」
捜査員が盾をむやみやたらに殴りつける
「令状をだせ、令状を」
「クソッタレ、公務執行妨害で現行犯逮捕だ」
捜査員が手錠を取り出すも、警棒で弾き飛ばされる。
「おい、衣川の解散は職権乱用と強要罪だ、パクり返してやるぞ、コラ」
機動隊員は透明な盾を巧みに使い彼を突き飛ばす。
しかし、令状を出せと怒鳴る警官をナマで見れるとは、天文学的確立である。
しかし、こう、公的機関同士が生身で戦っているのを見るとどこか不安になる。
これって、ひょっとすると、もしかして、ちょっとした内戦じゃないか。
機動隊は猪突猛進する警備局捜査員を最低限の武力行使で押し返す。
ただし、つっこんでくる相手のエネルギーがそのまま返される訳だから、生傷もできる。
後ろで呆然としている細眼鏡を除き、警備局員はどこかしら出血している。
清水に至っては、斜めの古傷に直角に新しい傷が出来たから頭にバツ印ができている。
「あー、えー、捜査員撤収、捜査員撤収。多勢に無勢だ」
細眼鏡が半泣きで命令すると、捜査員は最後に一回突撃して撤収した。
「無勢? どっちかというと無様なんだけど」
赤沢が窓から身を乗り出して、逃げ去る捜査員に追い打ちをかける。
さんざん怒鳴りつくして、タガの外れた機動隊からは笑いが起こる。
「無勢、ということは優勢な戦力をそろえてやってきますね」
黒木は冷静につぶやき、首脳陣の戦勝ムードにあえて水を差した。
「警備局ですから、何するかわかりませんよ。今の機動隊の戦力でしのげますか」
「その点はご心配なく」
戦略班の公納が、タバコに火をつける。
「先ほど、警視庁総監から『機動隊と非殺傷武器の全面使用』の許可が下りました」
「ちょ、ちょっとまってください。それ嘘じゃないですよね」
そんな、いくらなんでもそんなカゲキな話に発展するのか。
「総監殿は、今回の警備局の妄動は法治国家の治安組織として言語道断、許すまじ、と」
公納はふぅーっと煙を吐き出す。
「ま、あの人は警備局に採用されなかったことを、かなり根に持ってるからそういう事です」
「現在高圧放水車並びに音響鎮圧車両がこちらへ緊急走行中です」
後藤が公納の戦略方針に付け加え、作戦地図に配置予定地点をマークする。
「撃ち合いにならない限り、こいつらでかなりの時間は稼げるはず」
珍しく銃撃戦を望まぬ口ぶりで赤沢は力説する。
黒木の相談室手帳が震える、着信だ。
通話先を見ると都庁に出向になる前の上司だった。
元の職場は『特殊能力者労働推進室』、つまり特能向けのハロワで民生部門だ。
<よう、黒木。元気にしてたか、いや『してるな』。撃退おめでとう>
嘗ての上司、水野浩二は『業績』を挙げられない黒木に何かと気を使ってくれた。
細身に似合わぬバイタリティーの持ち主で、こうして声だけ聞くと体育会系のソレだ。
<水野さん、情報が早いですね。失礼ですがこちらは時間が>
<おいおい、俺は味方だ。今、生活局長からお達しが来た、都庁と警察の支援だ>
その言葉が意味することは、つまり。
<同盟を組んで警備局と一戦構える訳ですね>
<黒木、お前出向してだいぶ変わったな。一戦構えるなんて言わなかっただろ>
電話越しでも、水野が肩を揺らして笑っているのがわかる。
<確かに、大分過激になったかもしれません。それで、決着の構図は>
<それが、問題なんだ。話は政治レベルにもつれ込んでる>
強靭な精神力を持つ男が、答えを労した。
<警察庁長官はだんまりを決め込んでる。長官は元々警備局よりの人間だったが、
与党最大派閥の大物だから派手に動きたくないんだろう>
<悪く言えば、警視庁は政治的援護無し。よく言えば好き勝手できる、と>
<そう、物分かりがよくなったな。で、俺達生活局と経済局は連携して警備に対抗してる>
<そもそも、なんで民生部門は警備に渡したくないんですか、身柄さえつかめば……>
<連中、東洋会で相当頭に血が昇ってる。氏家を『ビニールハウス』にぶち込む気だ>
『ビニールハウス』
奇跡的に死刑を免れた特殊能力重犯罪者専用の刑務所の異名だ。
意識だけを生かし、体も、能力も不活性化する恐らく史上最悪の禁固刑。
<事情はわかりました、最悪ですね>
<最悪だ。付け足すなら、ついさっき民生部門に非公式に市ヶ谷が助力するって言ってた>
自衛隊まででてくるともう、内戦じゃないか。
ヤクザが理由で内戦なんて、海外なら兎も角日本で起きるなんて考えもしたくない。
<特殊能力で作った装備がほしいんだとよ。全く、内戦でもする気かよ>
<それで、ウチの大臣は>
特能省の大臣は民間登用だ、といっても大物政治家の三世だ。
だが彼自身は政界のしがらみを忌み嫌い、民間で活躍していた。
それが何故か、特能省の大臣におさまった。今でも当時の彼の内情は不明だ。
強靭な精神力と、明晰な頭脳を持ち備えた、今どきの政治家より格が上の人間だ。
どんなに内ゲバをしたところで、彼の裁量があればひっくり返る。
<それがな、今回は勝った方の判断に任せる。ただしm死傷者は出すなとのことだ>
そんな、無責任な話があるか。結局祖父の威を借るなんとやらか——
<今、警察も、特能も揉めてて、白黒ついてないだろ。今回で勝負を決めるそうだ>
今、黒木の中には大臣を罵る為の大量の言葉が生み出されている。
だが、ひとつ真逆の発想が生まれた。
<つまり、無能な役人をあぶりだす為の、疑似的な全面戦争ですか、これは>
<そういうことだ、物騒になった分、気張れよ黒木。援護射撃は任せろ>
<了解、背中はお任せいたします>
黒木は力強く返答すると、戦意に満ちた上司との通話を切った。