『口上と演説』
衣川会の事務所は機動隊によって素早く包囲された。
ヤクザの事務所を警察が警備する事自体は驚くことではない、
暴力団同士の抗争が激化せぬように立哨を配置することはままある。
だが、今回に限って言えばヤクザの抗争相手は同じ親方日の丸、つまり警察の同業者だ。
濃紺の出動服に身をくるんだ機動隊指揮官が事務所に現れた。
組長室から出てきたマル暴刑事の公納と後藤に現状を説明している。
残念ながら、隊員の士気は芳しくないらしい。
何故ヤクザを守らなくてはいけないのか。
マル暴がヤクザと癒着してるんじゃないか。
相手は特能省だ、これは一種の反乱じゃないか。
勝手も負けても、なにかしら処分が下るのではないか。
そもそも特能省に機動隊で勝てるのか。
そんな風潮が部隊内の大半を占めているらしい。
黒木はジェリーの一件を思い出す。
何故、この場にいるのか。
何をさせられるのか。
自分はいったいどんな立場に立たされているのか。
自分も、当時は似たような立場にあったから、その気持ちは痛いほどわかる。
「左様ですか」
意外でもなさそうに氏家は受け流す。
なにやら三沢と氏家はどこか肚が据わった様子だ。
最初に見せた狼狽の様子は全く見られない、『立派な』ヤクザになっていた。
氏家は事務所の窓を開け放つ。
軒下には機動隊員が所作なげに、あるいは戸惑い気味に立っている。
「御頭の上から大変失礼いたしやす」
氏家は町内会には響く位の大声で、しかし粗野ではない通った声を張り上げる。
氏家は腰を開き、窓から右手を、左手を太ももに添える。
ヤクザが暴力団と呼ばれるようになって、絶滅したと思われた口上を氏家が切った。
「皆々様の御家業柄、お控えなされないこと無理、無礼を承知ですがお控えなすって」
ここでいう『控える』とはご静粛に、のヤクザ語である。
『控える』機動隊は無論いない。
だが、彼らの注目を集めることには成功した。
「手前、若輩者故、仁義前後間違いましたる節は、まっぴらご容赦願います」
この前後という言葉は「ヤクザの口上文」であり、決まり事がある。
それに誤りがあった場合について前もって許しを乞うているのだ。
が、ヤクザが機動隊に、それも自分が特殊能力者になったなんてことを告げる定型文はない。
「手前、生国は関東、江戸は下町、川向う、勝どきで御座います。
稼業、縁持ちまして身の片親は江戸、旧江戸湊に住を構えます衣川一家十代目三沢義男の元若頭を務めさせていただいておりやす」
黒木はヤクザ映画をたまに見るが、仁義を切るシーンは殆ど見たことが無い。
この口上も機動隊には全く伝わってないだろう。
だが、衣川と一般人の皮を被り悪行を成す現代ヤクザと異質であることは伝わったかもしれない。
「手前、まことに奇縁ながら本日特殊能力を会得相成りやした。
手前、市井の方々にご迷惑お掛けすることなく、仁義任侠の道を邁進しておりました。
爾今、経国済民の志をもち、この力を使わせていただく所存でございます」
氏家がすぅと息を吸う。
「ゆえに、この度の特能警備局の法度なき摘発は天下に許すまじ悪辣なる所業。
小所帯の手前どもには皆さまのお力添え、感謝の言葉ご御座いません」
機動隊員達はようやく理解したようだ。
この古臭いヤクザは、彼らの言葉で俺達に感謝しているのだと。
「手前らが表立てば、警備局の思うつぼでございます。
故に我ら衣川は手も足も出せやせん。警察、機動隊の皆さまにご迷惑をおかしやす」
黒木が監視モニターから見える範囲でも機動隊は氏家の口上を聞き入っている、
警備局に立ち向かうために整然とスクラムを組みながら。
黒木は氏家の後ろ姿に目をやる。
スーツで隠されているもの、彼の背中は龍を想起させるほどの凄みを放っている。
「ひとつ、よろしくお願いいたしやす」
万感の思いを乗せた一言を放つと氏家は長いこと頭を下げた。
頭をあげた氏家に代わり公納が演台と化した窓に立つ。
「先ず言っておくが、俺はこいつらとデキちゃねぇ」
気迫迫る氏家の啖呵に変わって、公納は冗談っぽくとぼける。
僅かながらも機動隊から笑い声を殺した殺したような気配がした。
「お前らなら知ってるだろう。2014年の大抗争を」
大昔のそれとは比較できないが、広域暴力団の跡目問題で抗争があった。
黒木もワイドショーで見た覚えがある、それ位には有名だった。
一般人にも犠牲者が出てたはずだ。
「アレの時、武器庫ガサ入れできただろ、場所をタレコミしたのがこの衣川よ」
機動隊から驚きの声が上がる。
「あのタレコミがなかったら、犠牲者はもっと増えていただろう」
抗争の犠牲者を慮ってか、公納の声のトーンが落ちる。
「あのタレコミは完全な、組長の善意だ。世の人様に迷惑をかける様なマネは出来んとな」
「そして、さっきの氏家だが、警視総監賞をうっかりもらいかけたようなデキる奴だ」
さっきのタレコミの話で衣川会にわずかに関心した機動隊に、今度は動揺が走る。
「別れたDVのクソ亭主のストーキングに困った女房が警察に届け出しても無視された。
そこで、この氏家に相談したんだ、氏家は何度もその女房の家を訪ねた。
そしてある日、包丁で女房を殺しに来たクソ野郎をこの氏家が素手で取り押さえた」
公納は後ろに下がっていた氏家を引っ張り出した。
「だから、最初一般人として、この氏家は総監賞を取りかけた。後に慌てて取り下げたがな」
公納が苦笑すると機動隊の指揮官もそれに続いた。
「いいか、殺人を防げないような身内の錆を担う、そういう組織なんだ。
こいつらのお陰で何人も汚職刑事をシメ上げることもできたんだ」
公納は語気を強めた。
「そんな組が、法的根拠なく解散させられようとしている。
私は一警官として、そんなことを許すことは断じて出来ない、そうじゃないか諸君」
公納は腕を高らかに突き上げた。
「警備局の連中が我が物顔で法を破るザマをむざむざと眺めるなんて悔しくないか。
私は、情けない。こんな無道が許されるこの国が」
公納は、演説の練習でもしたのか、下手な政治家より口が立つ。
黒木はふと振り返ると滝がウィンクを飛ばした。
「例え悪人と言われようが、警備局と戦った人間として残りたい。
だから、私は一歩たりともここを動かん」
公納はドスンと足を踏む。
「諸君らはどうだ。警備局の無法を前に手をこまねいたまま、この場をやり過ごすか?
それか警備局の精鋭を相手に戦い抜いた、胸を張って機動隊員だと誇れる将来を迎えるか」
機動隊がにわかに気色ばむ。
「戦いなさいよ」
赤沢が大声でヤジを飛ばす。
「私のオヤジはあんた達も知ってる、赤沢教官よ。
オヤジは絶対に戦う、あんた達はどう、何もせぬまま負け犬になるの、それとも戦うの」
整然と隊列を組んだ機動隊の一人が雄たけびを上げた。
普通、組織として許される行動ではない、が続々と雄叫びは続く。
「よし、では桜の代紋に恥じぬべく、警察官としてやるべきことやろう」
公納が締めくくった。
懸念の士気は高まった、あとは警備局の第一波を迎え撃つまでだ。