前編②『痕跡なきゴミ捨て』
案外普通の雑居ビルに、『任侠道』と書かれた額縁や監視カメラが並ぶ。
こちらへどうぞ、と氏家に促されるままついて行く。
一行は二階にある組長室へ通された。
良く使い込まれた革の椅子に一人の老人が腕組みをして待っていた。
この一室だけ作りがよく、10人は座れる長ソファーが対面して二つある。
「よう来てくださった、ワシが衣川会組長を務める三沢です」
彼は大理石のテーブルラーターでタバコに火をつける。
「で、こっちが例の若頭の氏家です」
般若のような面の若頭が、今じゃ豆鉄砲を食らった鳩みたいな、そんな顔になっている。
三沢は憂鬱げにタバコを吐いた。
「ま、皆さん立ち話もなんですから、お座りください」
相談室3人と、マルボウのデカ2人は言われるがままにソファーについた。
ヤクザに疎い黒木がこんな分析をするのは変な話だが、彼らから「敵意」を感じない。
最初の若い衆みたいに、なんでもかんでも恫喝するのがヤクザだと思っていた。
だが、組長の座る椅子の後ろに日本刀が掛けられているのを見逃す程、黒木も野暮でもない。
「今日はやけにおとなしいじゃねぇか、氏家よぅ」
後藤が不思議でもなんでもなさそうに尋ねる。
「当然ですよ。アッシのせいで組が潰れるかどうかの瀬戸際なんですから」
シャープながら、鬼を思わせる形相の氏家は切迫した表情を露わにする。
「なにせ、東洋会の一件があった後じゃ、もう生きた心地がしませんよ。
組の抗争ならどんなにいいことか、全く」
これまで抗争らしい抗争をしたことのないヤクザがそんな不満を漏らす。
東洋会は、特能省に制圧、解散されたチャイニーズマフィアだ。
国内最大の勢力を誇り、銃火器も豊富、法をすり抜け巨万の富を得ていた。
それがたった一日の軍事作戦で壊滅した、特能省の逆鱗に触れたためだ。
特能省は戦車、機装具、装甲車、特殊部隊、ありったけの戦闘資財を使用した。
当然、大量の死者を出し、逮捕された者も中国へ強制送還された。
戦時下の中国への強制送還は即時死刑か、懲罰部隊への配置を意味する。
あの事件で恐れをなした暴力団が自主的に解散したという話もある。
その中にはかつての広域暴力団の母体組織もあったという。
「あんなの見せられたら、ビビらねぇヤクザなんていねぇよ」
三沢がそう吐き捨て、新しいタバコに火をつける。
マルボウの刑事と植山もタバコに火をつけた。
黒木もそれに続いてタバコを取り出そうとしたが、赤沢の殺人的視線に気が付きやめた。
「特能省って、なんだあいつら自衛隊か、クソッタレ。戦車なんぞ持ち出して」
「あの時は特殊能力者の家族を拉致、恐喝してましたし、他にも重罪を犯してましたから」
黒木は一応特能省の弁明をする、それにあくまでこれは事実だった。
「でもよ、頭が特能になったところでよ、なんでウチが挙げられなきゃなんねぇんだ」
三沢は黒木を睨みつける、黒木は脇の下にある拳銃のお陰で物おじせずにいれた。
「まだ、特能捜一が検挙すると決まったわけじゃないですよ、それよりも——」
黒木は氏家に目を配る。
「氏家さんの能力についてお話いただけませんか」
氏家は黒木を睨みつけた。
「おい氏家、話してやれ」
三沢から許可が下りた氏家は経緯を説明しはじめた。
氏家敦夫はいつも通り、朝6時に目が覚めた。
昔からの因習というべきか、組本部と幹部の家は別の場所にある。
だが、抗争するような相手もいないんだから、事務所の傍にでも家を買うか。
そもそも、昔からウチの組は抗争とは無縁だったんだからなんの問題も無いだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながら、買い貯めたインスタントラーメンを食べた。
ツレの元ホステスを起こさぬよう、身支度を整える。
靴を履こうとすると玄関にゴミ袋が置いてあるのが見えた。
『出かける前にコレを捨てていけ』
内縁の妻のサインだ、偉そうにこれでも俺は若頭だぞ。
腹立ちつつも、袋を手に取り靴を履いた。
敦夫はごみステーションにゴミ袋を投げつけ、ボルボに乗り込む。
ゴミ収集、上下水道やらのインフラはもっぱら中国からの難民が支えている。
東京に残されたわずかな人口でかつてのメガロポリスを運営するのは無理な話だった。
それにしても、オヤジは三国人狩り云々と先代の戦勲を語るが、難民はやけにおとなしい。
最初、オヤジはヤクザの必要悪が世に認められる時が来ると言ってたが、大間違いだな。
もうオヤジも歳だな、仲のいいどこかの組の元幹部に話をつけて、良い土地でも贈ろう。
超能力だかで狂った世界でも、それ位の孝行をしなければ仁義の名が廃るもんだ。
そんな事を考えていると、敦夫の駆けるボルボは事務所に着いた。
いつもは分厚い防弾扉をガンガン叩くと、直ぐに部屋住みが扉を開ける。
だが今日は普段よりかなり遅く開いた、当然オレは部屋住みをシバいた。
「テメェ、チンタラしてんじゃねぇよ、ボンクラ」
拳骨をくらわせようとする、がその尋常ならざる様子を見て止めた。
マスクをして、もう夏も近いというのに厚着をしている。
「ずみません」
季節外れの風邪か、病人に暴力をふるう程、敦夫は分別が無いわけではなかった。
「馬鹿野郎、お前何風邪ひいてんだよ。オヤジにうつしたたらじゃおかねぇぞ」
それに加えて元からこの部屋住みの松村は敦夫のお気に入りだった。
一大暴力団の金庫番だったが、特能のガサイレで組は解散、松村は無職になった。
しかし、足を洗うには闇の世界に住み過ぎた彼は、知り合いをツテに衣川会の門を叩いた。
オヤジは部屋住みから鍛えなおすと言ったが不平不満を言わず松村はよく働いている。
誰にも口には出さないが、俺は組を継いだら松村を頭にするつもりだ。
松村はごみ袋を持っていた。
事務所の掃除、洗濯、料理一切合切が部屋住みの仕事だ。
「馬鹿野郎、お前今どき医者も近所にゃいねえんだぞ。ほら寝た、寝た」
敦夫は親心でゴミ袋をひったくると、松村を玄関からおいやった。
松村は無言で、深くお辞儀をしていた。
「トロトロしてると俺にまで風邪うつるだろ、早くいけ」
ウス、という声と共に松村が座敷部屋へと戻る。
今は部屋住みが二人しかいない、もう一人のボンクラの高野はどこへいったんだか。
あいつ、後でとっちめるか。
敦夫はドアにストッパーをかけて、ゴミステーションへと向かう。
今更この組を襲う奴なんていないだろう。
敦夫はさっきと違い、丁寧にゴミ袋を置いた。
そこらへんが雑だとカタギに迷惑をかけることになる、まぁ近所にカタギはいないのだが。
よし、ゴミをすて、アレ?
敦夫は二度見する、ゴミが無い?
今俺は、確かにゴミを捨てた。
俺はお天道様とオヤジに誓ってシャブやドラッグには手を出してねぇ。
つまり、俺はなにか精神的な病にでもなっているのか。
そういや昨日ツレがジャクネンセー健忘ショーだかの話をしてた。
とりあえず、事務所についてる監視カメラを見てみよう。
敦夫は振り返るとゴミステーションを睨みつける監視カメラが目に入る。
アレを見てみよう話はそれからでいいはずだ。
監視カメラを巻き戻した敦夫は声にならぬ声で絶叫した。
敦夫の手を離れた瞬間に、ゴミ袋が消えた。
こうなると、現実感が薄れ、何が起きたのか理解できない。
雄叫びを聞いて駆け付けた松村が、鼻をかみながら不審げに俺を見る。
「頭、どうかしましたか」
「どうもこうもねぇ、俺はおかしくなっちまった」
敦夫は話を、なるべく筋が通るように説明する。
普段、仁義とか筋とか、その筋の人とか言われるヤクザ者らしからぬ狼狽っぷりだった。
「頭、失礼ですがこれを」
松村はいきなり、鼻をかんだティッシュを手渡した。
「馬鹿野郎、こんな汚ねぇもん渡すんじゃねぇ」
怒りながらも、ゴミ箱にそれを投げ入れる。
松村は謝りもせず、ゴミ箱を覗いた。
「失礼しました、頭。やっぱり頭、特殊能力者になったみたいですぜ」
敦夫は全身の力が抜けて、割れんばかりに膝ががくんと地面に着いた。
「それで、知り合いの後藤さんに連絡した、と」
特能省の黒木が話をまとめる役になった。
「あぁ、この業界じゃ、刑事とやくざは持ちつ持たれつの面もあったからな」
過去形の背景には特能省による暴力団一斉摘発があるのだろう。
「特能省へ連絡は? 」
特殊能力に目覚めた場合、特能省への連絡が義務付けられている。
「する訳ねぇだろ。問答無用で撃ち殺されるかもしれねぇんだぜ」
質問した黒木を含めた一同は無言のまま同意する。
「あのな、お役人さん。俺達は別にカタギに迷惑かける気なんてさらさらねぇんだ」
三沢が氏家を擁護する。
「だが、こうなった以上どうすればいいかわからなくてね」
「氏家さんが足を洗うって道は無いんですか」
「馬鹿野郎、失礼。こいつは俺の跡目よ、氏家あっての衣川よ」
「オヤジ……」
ヤクザ映画ならそれなりに良いシーンなのだろうが、現実でやられても困る。
「それじゃ、解散するつもりもないですよね、当然ですけど」
「そりゃそうだ、先代、先々代、その上からの恩義がある」
三沢が黒木を睨みつける。
その時、外で誰かが揉める声がした。
特能捜一のガサイレか——警官、相談室の面々すらも身構えた。
だが、組長室に入ってきた男はそんな組織とは無縁の恰好をしている。
むしろ、客引きやホストとして、ショバ代を払いに来た使い走りにも見える。
「特能省特殊能力評価委員会の滝匡司です。黒木、久しぶり。」
ストリートファッションに身を包んだ、黒木の同期が部屋に入ってきた。
ヤクザ、警官が腰を浮かせ、警戒を露わにする。
「お、落ち着いて、僕は警備部門じゃありませんから、ね黒木」
滝にしては珍しく上ずった声で、黒木に助けを求めた。




