第四話
目の前に、松原くんの顔があった。
青空の下に私は寝ころんでいる。頭の下が何だか柔らかくて、それに、温かい気がする。
目を開けてから三秒後、私は自分の置かれている状況を理解した。
ここは屋上。ベンチの上。私は、松原くんの膝を枕にして、横になっていた。
「きゃっ! ううっ、痛い……」
「藍澤! 大丈夫か⁉」
ベンチから落っこちた私に、けがはないかと起き上がるのを助けてくれた。彼の優しさにありがとうを言おうとしたとき、ふと口元の違和感に気付いた。
マスクが、ない。
彼の左手に握られたそれを見つけて、これまでのやりとりを思い出した。
素早くマスクをかすめ取り、新しい自分に、強い自分に戻る。小さく深呼吸をして、できるだけ威圧感を込めて彼に問う。
「何してんの?」
「何って、マスクを取ったこと? それとも膝枕?」
松原くんの口調は、少しからかい混じりだった。
「ど、どっちもっ!」
隠し続けてきた素顔を見られた上に、松原くんの膝枕で寝かされていたのだ。動揺するのも無理のないことだと思う。普通に恥ずかしい。息が上がって、マスクが邪魔なほどに顔が火照ってくる。
何を言おうかと回らない頭で考えていると、松原くんが勝手に語り始めた。
「俺の姉ちゃんがさ、藍澤らしい女子を見たそうなんだ。買い物をしてたら毛先が赤い美人な女子高生がいたってうるさくて、蒼浦の制服を着てたから名前を訊いてこいって頼まれてさ。
姉ちゃんが他人の容姿を褒めるなんてよっぽどのことで、興味が湧いたんだ。知らない子だし、どんな顔してるのかなって、マスクを取った。膝枕をしたのは、床には寝かせられなくて──」
私がマスクをつけずに外出することは滅多にない。ノーマスクなんて、髪を染めていないとき以外でしたことないし、登下校中にマスクを外すなんて論外。
松原くんのお姉さんとやらがどこで買い物をしていたのかは知らないけれど、私を私だと認識できるなんてありえない。
どんなにささいな用事でも、どんなに急いでいたとしても、他人の目に触れるのならば細心の注意を払っている。私を守れるのは私だけなのだから。
それに、今さら初対面を気取っても無駄だ。
頭をつかいだすと、少しだけ冷静になれた。
「そのお姉さんが、私を見た日はいつ?」
「…………」
前髪をいじり始めた。
目は私から逸らしたし、嘘つき確定。
「早く答えてくれる?」
強い口調に観念したのか、もう一度私の目を見て、口を開いた。
「姉ちゃんがっていうのは嘘だよ……。ちょっと気になったんだ。たぶんだけど、俺と藍澤、似てるんじゃないかって」
何が、と訊ねることができなかった。
笑顔で、だけど、少し哀しそうに彼は続ける。
「うち、父親がいないんだ。俺が小一になる前に事故でさ。母子家庭なのをずっとからかわれてきて、姉ちゃんにも迷惑たくさんかけて、いい加減疲れた。だから、父親がいないのなんて霞んじまうくらいに、目立とうって決めたんだ。
自分で言うのもあれだけど、顔は悪くないから、アイドルみたいな存在を目指したんだ。強い自分に変われたら、俺の世界もきっと変わるって思ったから」
何を言っているのかよく分からないし、そんな話自体が嘘かもしれないけれど、松原くんが伝えたいことは理解できた。
でも、違う。
「似てない……」
松原くんが思うほど、私は綺麗な人間じゃない。私と松原くんは根っこが違う。『強い私』は私の弱さの塊なのだ。
視界がぼやけて、鼻の奥がツンとする。
「お、おい! 藍澤? 急にどうした? 俺、何か悪い事でも言ったか?」
私の意思とは無関係に、涙がどんどん溢れてくる。
「私と、私とあんたは……、似てなんてないっ!」
止まらない涙を隠しながら、私はその場を逃げ出した。扉を開けてすぐ、誰かにぶつかってしまったことさえ気に留めず、階段を跳ぶように降りた。
教室へ帰るなんて選択肢は初めからなくて、荷物も持たずに無断で早退した。
こんにちは、白木 一です。
週2で投稿できたらいいな、と思っていたのに、今のところほぼ毎日。かなりのハイペースです。
ストックはありますが、それ自体はまだ完結していないので、追いついてしまわないか心配です……。
次話も、今回と同じかそれ以上になります。
楽しみに、しかし、気長に、待っていてほしいです。
人生、何があるかわかりませんし……。
次回もよろしくお願いいたします。