第十五話 紅葉と亮介。
私が初めて松原くんに出逢ったのは、蒼浦高校の一般入試があった日。
その頃には既に仮面を被っていて、何をするでもなく、時間だけが過ぎていく日々を送っていた。
高校は家から一番近いところならどこでもよかったし、高校生活に求めるものは何一つなかった。強いて挙げるなら、誰からの干渉も受けないように過ごせることができたらそれでよかった。
高校も大学も、さらにはその後の社会生活さえも、あのとき以降の私には、死ぬまでの暇つぶしの一環としか考えられなかった。
試験を終えた帰り道、私はマスクを切らしていたことに気が付いた。
その日は日曜日だったけれど、入試があったために制服を着ている。通っている中学も蒼浦高校も校則は厳しくなく、面接のない一般入試だったから、髪はいつも通り染めていた。
卒業式まではあと四日だけれども、学校には行かなければならない。よって、マスクは必要だった。
翌朝買いにいくのも、一度家に帰ってから買いにいくのも面倒で、そのまま近所のコンビニで買うことにした。普段からマスクをつけているために、私がマスクを買っていても、大して違和感はないと思う。
いつも使っているマスクを、しばらく買わなくてもいいようにと、三箱取ってレジヘ行く。
そこにいたのが松原くんだった。
『松原』という名前の下に『研修中』と示されたその店員は、私の顔を一瞥するなり言い放った。
「髪の色、それじゃダメだ」
意味不明だった。
近所のコンビニと言っても家から十分はかかるし、普段の買い物はショッピングモールを利用していて、あまり来ることはない。月に二度来れば多い方だと思う。だから、このコンビニの常連客とは呼べないはず。
それに『松原』という店員に見覚えがなかった。
ほとんど来ることのないコンビニの、初対面の店員に、髪の色で文句を言われたこの状況が腑に落ちなかった。
「きみの顔立ちだと染めない方が映えるのに、赤色だと、まず髪の毛に目がいくから止めるべきだ。あと、毛染めはカラースプレーとかよりヘアマニキュアに変えた方がいい。たぶん、きみの髪にはスプレーが合ってない。少し髪が弱ってるから。はい、お釣り」
不気味だったし、かかわりたくなかったからずっと黙っていた。口を挟む隙もなかった。
それでも、店員の言葉に驚きを隠せなかった。
使っている染毛剤や赤く染めている理由を、店員は私をちらっと見るだけで見抜いたのだ。
我慢できなくなった私は、つい口を開いた。
「どこかで会いましたか?」
もしかすると、再びこの店を利用することがあるかもしれない。そのときのために、悪い印象を与えないよう、猫を被って訊ねる。
店員はしばらくきょとんとしていたけれど、質問の意味を理解したのか、
「姉ちゃんがそういうの詳しい人だからわかるんだよ。きみとは初対面だけど、そのマスク、顔を隠すためだろ? あんまり目立ちたくない子なんだと思ってさ」
レジ袋を受け取りながら、私は返す。
「私が目立ちたがりだったら、どうするの?」
「それはない。だって赤く染めてるのは、壁をつくりたい、距離を置きたい、って意志があるからだろ?」
ぐうの音も出なかった。
見ず知らずのコンビニ店員に内面を見透かされた私は、恥ずかしさのあまり、急いでコンビニを出ようとした。
背後から、店員の声が追いかけてくる。
「きみに何があったのかは知らない。けど、辛いことを忘れようとするのだけはダメだ。過ぎ去ったことは今さらどうにもならないし、余計に辛くなるだけだから。忘れたって、過去が消えるわけじゃない」
それほど大きな声ではなかったのに、店員の言葉は耳に届いて、私の胸を揺らした。自然と瞳が潤み出す。
そんなことを言われたのは初めてだった。
あのときの後、教師は当たり障りのない慰めを、父は私にも過失があったと非難をし、母さんは何も言わなかった。どれも、私の心を癒すには至らなかった。
私のことも事件のことも知らないとはいえ、その後について触れたのは、後にも先にもこの店員だけだった。
誰もが、過去からのトラウマは、時間が和らげるものだと考えているらしい。しかし、それは嘘だ。トラウマになるほどの記憶はいつでもフラッシュバックし、時が経つほど恐怖が増す。忘れたくても忘れられない。
だから店員は、忘れるな、と言った。私に助言してくれたのだった。
でも、私にはできない。いや、できなかった。たとえそれが正しいと、頭では理解できているにしても。
何度も記憶の彼女に向き合おうとした。そのたびにどこからか声が聞こえて、私の呼吸を止めようとするのだ。右腕が硬直し、心が凪ぐまで一分も動けなくなってしまうのだ。
結局、私は過去を乗り越えられずにいる。あのときから、かなりの時間が過ぎたというのに。
弱い自分が情けなくて、私は黙ってコンビニを去った。
以来、そのコンビニを避けるようになったものの、店員の名前と声と言葉は記憶の片隅に居座るようになった。私の痛みを理解してくれた……、のかどうかはわからないけれど、店員の言葉は心の支えとなった。周りの大人たちとは違う柔らかい優しさを、私は感じたのだった。
そして数週間が経ち、蒼浦高校では入学式が執り行われていた。
ぼんやりと話を聞き流していると、いつの間にか新入生代表の宣誓まで進行していた。
『新入生代表、松原亮介さん。登壇してください』とアナウンスが入る。一人の男子生徒が立ち上がり、校長の前に進み出た。
その生徒の声は、コンビニ店員のそれと同じものだった。
私は心ここにあらずとなり、それからのことは何も覚えていない。
コンビニの店員が同じ高校に通うことになるなんて考えてもみなかったし、彼は私の過去に何かがあったのだと察してさえいる。
私の仮面が虚勢であるという事実が学校中に広まってしまう恐れがあった。そうなってしまえば、あのときの二の舞いだ。今でもいっぱいいっぱいなのに、これ以上は抱えられない。一度決壊してしまえば止められない、そんな予感があった。
幸いにもクラスは離れていたけれど、それも時間の問題だろう。
どこからどう見ても、私は目立つ。目立つように振る舞っている。赤色の毛先に、一昔前のスケバンみたいな服装、大きなマスクをしている上に全く言葉を発しない。
私でもこんなやつが学校にいたら、絶対にかかわりたくはない。彼女は必然的に浮くことになる。
どうすれば彼との接触を避けながら三年間を過ごせるのか、式の間中ずっと考えていたけれど、そんなことは不可能だという結論に達しただけだった。
予想に反して一年目は何も起こらなかった。
整った顔立ちに加えて成績は良く、スポーツも得意、そして話上手らしいのだから、女子たちが憧れを抱くのは必然だろう。男子と仲良くしながら、女子との関係も良好に保っており、彼を悪く言う人は誰もいない。
私とは正反対の意味で目立つ、学校のアイドルのような存在だった。
いつも誰かに囲まれてクラスも異なる彼は、私に割く暇もメリットも、興味さえもなかったのだろうと、その頃は思っていた。不可能が可能になるのではないか、とも。
都合のいい、望んでいたはずの毎日の中に、なぜか晴れないもやもやがあった。
そうして、私は一年を目立たずに過ごした。
世界は不穏な状態があるからこそ、今が平和だと推測できるのであって、平和が永遠に続くなんてありえない。
不運にも、二年生のクラス替えで彼と同じクラスになり、行き掛かり上、松原くんの彼女になったのだった。
もやもやは形を持ち、いつからか、私の心をちくちく刺すようになっていた。
こんにちは、白木 一です。
前回とかなり文字の量に差がありますね。
まあ、そこはもう大長編扱いとしてさらっと流してください……。
個人的にここのシーンが切りやすい、というところで切ってますからね。
脳内イメージとしては少女漫画がモチーフなので、そもそも各話が短いのです。
極端に文章量が変化して面倒くさいと思われるのでしょうが、
ぜひともハッピーエンドまで付き合っていただきたいです。
脳内お花畑、恋愛脳の痛い気100%な私が書いた恋愛小説『モミジ、色づく。』
これからもよろしくお願いいたします。