終わりというもの
いっつも思うんだけど「終わり」って難しいよね。別れる時って何度も相手に「さよなら」を言っちゃうし、電話の切り際も何と言っていいかいつも悩んでしまう。挙げ句にはどちらから切るか、そんな事で無駄な時間を費やしてしまう。
人生もそうでしょう。結婚したら終わり?退職したら終わり?死んだら終わり?どれも当てはまらないと思うんだよ。ま、とりあえず死ねば自己は完結するかもしれないが、その意志や所有物は子々孫々に受け継がれていくものだからね。だから、完全に「終わってしまう」とは言えないと思う。
物語にしたってそう。「終わり」を設定するのって非常に難しい。まだまだ先が書けるんじゃないかって思いがムラムラと沸き上がってくる。例えばある恋愛の話があって、苦難の末男女が結びつくハッピーエンドに終わったとする。
だけど待って欲しい。二人が結びついた(結婚もしくは恋愛が成就した)ら終わりなのかな?確かにその二人にとってはその瞬間が幸せの絶頂であり、それ以上の事は書き連ねるに及ばないとは考えられる。ただ結婚すれば子供も出来るだろうし、歳を取っていく事もあろう。極端な事を言えば主人公が死んだって、子孫がどう繁栄していくかは注目に値するかもしれない。そんな場面は書く必要がないと言ってしまえばそれまでだが、「物を語る」という点ではそういう事も大事なのではないかと思われてしまう。
「そんな事を言っていたら終わりなんてないじゃないか」という意見もあるだろう。そう、問題にしたいのは実にそこなのだよ。「終わりなんてない」というのが私の考えなんだ。人間、死んだって子孫は続くし(上にも書いたけどそれはつまり意志の継続、つまり「終わらない」事を意味すると思う)、先に述べたように物語ですらいくらでも続きを考えられる。
それなら「無」はどうだ、全てが無くなってしまえば「終わり」だろう、という人もいるだろう。だけど「無」になったところで、その「無」という概念が存在しないか?うまく口では説明できないけど、「全く無い」という状態はありえないと思う。これは「全く無い」状態だ、と認識した時点で、「全く無い」状態が存在してしまう。「我思うゆえに我あり」みたいなものだ。
いろいろと屁理屈めいた事を言ったけど、私はこういった事で「どうやったら終わりに到達出来るのか?」と日々頭を悩ませている。そりゃあ勿論、無理に終わる必要はない。だけど事実、この文章すら終わらせる事が出来ず、また悩んでいるのだ。
昔、こんなエッセイめいた文章まで書いてました。恥ずかしい…