15(フィフティーン)
苺は爆ぜる。これは蓋然的事実だ。
書店に置き捨てられた檸檬が爆発してしまうことはかの有名な梶井基次郎が書いたとおりであるが、苺までがそうであることはあまり知られていない。同じように『檸檬』という、その可燃性にも関わらず、夏が訪れる度に書店にて平積みされる小説は有名ではあるが、その作者である梶井本人が小説の中身の繊細さとはかけ離れた醜男であることもあまり有名な事実ではない。
ボクは右頬を撫でる。
ざらりとした痘痕の感触が、ボクがその梶井以上の醜男であることを自身に思い出させてくれる。
これは復讐である。復習のためもう一度言う。
これはボク自身の私的な、あまりに視的な復讐のための私的な話しである。
そう、ボクはその容姿を馬鹿にされたのだ。
誰にかって?
残念ながら、それをキミに話すにはボクは年をとりすぎた。もう少し簡単に言うなら、ボクは他人の同情を買うには単純に簡単な悲劇をすでに繰り返しすぎたのだ。
だからボクはこの話しの仔細については一切触れないことにする。簡略化されてAとBしか登場しない。Aはボクで、Bは彼だ。
話しを戻そう。
これは学校で起きたことだ。どこの学校で起きたかは、明言しない。中学校かもしれないし、高校かもしれない。もしかしたら、小学校かもしれないし、大学かもしれないのだ。
Bはボクの親友だ。正確には親友だった。性格で言うのなら、Bは親友など作らないタチだったのかもしれない。正確に性格を言うのなら、親友など作りそうにない一匹狼的資質のBの数少ない、貴重すぎる親友を自認していたのが同じような資質を持ったボク、Aであったのだ。
しかし、過去形であることからもキミが察するように、それは昔の話しである。ボクたちの縄文杉のように太く、弥生松のように脆い友情はすでに崩れ去ったのだ。
さあ、その顛末をAが話そう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Aは檸檬以上の爆発物でる苺をBの口へと突っ込む。この場合の苺とは、比喩であるのかもしれないし、直截的なただの表現化もしれない。Bは叫ぶ。
「おい、やめてくれ、オレが悪かった」
Aは思う。Bの表情に、Aにそのような行動をとらせた悔恨の念が微塵も感じられないのを。だからである、Aがこう答えたのは、
「そんな薄っぺらな言葉をボクに信用しろっていうの・・・・・まで捧げたのに」
Aは苺であると思われるものをBの喉の奥へとさらに突っ込む。爆発音のような、咳き込むような渇いた音が響いた後、Aが見たのは次のような光景である。
Bの口から流れる鮮やかな血のような、潰れた苺のような真っ赤な液体が、地上に災厄と言う名の豊饒を隅々まで満ち垂らし、可愛らしい妖精のような悪魔がその川のほとりを、まるで繁殖期のトンボのように飛び跳ねる姿である。