予備呪文
次の日の予備呪文の練習では、もうちょっと工夫してみた。以前聞いたところでは、予備呪文をかけたものでも、使うときにいろいろな動きをさせられるらしい。ということは、動く方向なんかを決めてから動かす普通の魔法とは違う順番で呪文を唱えるってことかもしれない。だから、実際に動かす時の呪文を先に唱えてから、方向や速さを指定する呪文を唱えてみた。やっぱり失敗した。予備呪文のつもりなのに、石がムズムズと動き出すんだ。あるいは、まるっきり効果がなかったりした。なぜ正しい順序で呪文と唱えなければならないかを考えれば当たり前だ。人間だって、何をすればいいか教えてもらう前に何かをやれって言われたって困るもんな。石だって同じだろ。
「ムスタ、ずいぶん熱心じゃないか。何やってんだ?」
あきらめかけていたら、後ろからウッジに声をかけられた。
「予備呪文を使えないかと思って試してるところだ」
「そりゃなんだ?
「知らないのか?」
「俺は、魔術師じゃない」
そうだったな。俺は、予備呪文がどんなものか説明してやった。そしたら、また質問が降ってきた。
「なんでそんなことやってんだ?」
お前らに囲まれた時に対抗できなかったからとは言えなくて、答えに詰まっていたら、ウッジは、勝手に回答を出してきた。
「わかったぞ。なるほど。お前、すごいな」
突然何を言ってんだ?
「神聖帝国がそろそろメッケルンに攻め込みそうだからだな。ラガンからメッケルンに攻め込むなら、まずターケットに来るだろう。そこまで予想して、町を守る準備をしてるってわけだな」
そんなつもりはないんだが。
「ムスタ、俺は、お前を誤解していた。すまなかった。許してくれ」
勘違いも甚だしいとはいえ、こんな殊勝な態度を見せられて、俺は、ちょっとしどろもどろになっちまった。
「いや、あー、でも、まだ予備呪文を使えるわけじゃないんだ。どうやったらいいか試してるだけで」
「そうか。それがどれくらい役に立つものか俺には分からないがな、練習ぶりからお前の志が分かるよ。ムスタ、お前は立派な奴だ」
勘違いで感心されるってのは、どうにも居心地が悪いもんだな。
「塀の石を武器に戦うつもりみたいだな。この石をどう使うんだ?」
「飛ばして、相手にぶつけるんだ」
ウッジは、目を丸くした。
「この石をか? そんなに重くはないが、俺でも投げるなんて全然無理だぞ。魔法ってのはすごいんだな。本当にできるのか?」
この大男に感心されると、悪い気はしない。俺は、こいつに比べるとずいぶんと貧相な体だから、まあ、ちょっと劣等感なんか抱いてたりしたわけだ。こいつ、いい奴なのかもかな。思わず、親切に説明しちまったよ。
「ただ持ち上げて動かすだけなら、今でもできるよ。でも、時間がかかりすぎるんだ。予備呪文を使えれば、すぐに飛ばせるからな。いざってときに、本当に役に立つ」
「その予備呪文ってのが要るんじゃ、使える場所が限られるんだろ。とてもじゃないが、戦場じゃまともに使えそうにないな。それでもこの石を使える範囲でなら、相当なもんだろう。お前の予備呪文で、この通りの連中だけでも守ってやってくれ」
ほめてるんだかけなしてるんだかわからない、いまいち意気の上がらない言い方をしてくれるじゃないか。それにしても、まるで俺が戦わないといけないような言い様をしないでほしいもんだ。そんなことを考えていた俺の表情を誤解したのか、ウッジは、大きくうなずきながらこう言った。
「みんなを守るためなら、大家だって、塀が全部飛んで行っても文句を言わないだろうよ」
それは考えなかったな。本当に塀がなくなっちまっても大丈夫かな? 貧乏人しか住んでないのはみんな知ってるから塀なんかあってもなくても関係ないんだが、大家としては家の一部だと思ってるだろうし、下宿人が勝手に使っちまったら怒るんじゃないだろうか。弁償しろなんて言われても、金なんかないぞ。
ふと気づくと、ウッジの顔に擦り傷が沢山ある。よく見れば、体も傷だらけだ。
「ウッジ、どうしたんだ、その傷は?」
ウッジは、にやりと笑って答えた。
「自警団の戦闘訓練だよ」
あきれた奴だ。それで俺にも戦わせたいのか。冗談じゃないぜ。
「そりゃ、武士の仕事だろ」
「自警団も武士と一緒に戦うんだよ。そうするしかないんだ。知らないのか、神聖帝国のやり口を?」
「戦争だろ? 殿様同士が武士を使って町や村の奪い合いをして、勝ったほうが税金を取れるんだ」
ウッジは、すごく困った顔をした。俺、何か変なこと言ったっけ?
「そういう戦争もあるかもしれんがな、今回のはちっとばかり違うんだよ。町であんなに噂になってるのに、本当に全然知らないのか?」
ウッジは、そう言いながら、また目を丸くした。こいつは、同じように目を丸くしても、ちゃんと表情に差がついてんだよな。俺に感心する時と、俺を馬鹿にする時と、目の丸さを使い分けてやがる。器用なもんだ。さっき「いい奴かも」なんて思ったのは、取り消しだ。
「どうやらわかったらしいな。だから俺たちも武士と一緒に戦うことにしたんだ」
ウッジは、憮然とした俺の表情を、また読み間違えたらしい。
実はさっぱりわかってないんだけど、聞くのも癪だから、せっかくの勘違いを尊重してやることにした。一つうなずいてみせてから、こう告げた。
「俺は、練習を続ける」
「わかった。頑張ってくれ。お互いにできることをやろう」
くそまじめな奴だ。だから、勘違いが多いんだろうよ。
ウッジにそう言ったからってわけじゃないが、予備呪文については、ほかにもいろいろと試してみた。だが、何をやっても予備呪文にはならなかった。工夫が足りないのか、自分の魔力じゃできないのか、それは分からない。今までは自分の魔力で十分だと思っていたんだが、こうなると、不満が出てくる。魔術師は一生勉強だって、親父が言ってたよ。俺は、それが嫌で家から逃げ出してこんな生活をしてるわけなんだが、なんとなく親父の言ってた勉強の意味が分かったような気がする。覚えなきゃとか、練習しなきゃとか、そういうんじゃないんだ。自分がやりたいことをやるだけなんだけど、そのためにはすごく努力する必要があって、それを表す言葉を探すと勉強という言葉しかないんだ。子供のころに思ってた勉強とずいぶん違うな。親父もこういうことを教えてくれればよかったのに。そうすりゃ、俺も少しは違う人生を歩んでいたかもな。
こういう意味の勉強を生まれながらに理解していそうな奴が、俺の前にいる。アンだ。いつもの通り一心に呪文を唱えている。小石がさっぱり動かないのもいつもの通りだ。昨日あんなに拗ねていたのに、練習の障害にはならないみたいだ。練習台も、小石だけではなくて、鉄の棒とか、青銅のかけらとか、生きてたことのない奴をいろいろと拾い集めてきた。でも、どれを相手にしてもさっぱり動かないんだ。見てるほうがかわいそうになってくるんだが、やってる本人は、腐ってくる気持ちとうまいこと折合をつけているようだ。頑張って練習してもうまくいかなくてくじけそうになると、適当に切り上げて遊びに行ってしまう。気持ちの切り替えがうまいんだな。俺にはできないや。一日中予備呪文のことが頭を離れないよ。