才能はどこに?
次の日、アンは、朝になってもなかなか起きなかった。そりゃそうだろうよ。昨夜は下手な呪文をいつまでも唱えてて、寝ろっていうのに寝ないんだから。やたらと練習ばかりしてもうまくならないぞって言っても、全然聞かないんだ。結局、練習しているうちに舟をこぎ始めて、そのままひっくり返って寝ちまった。しょうがないから昨夜と同じように行李の上に寝かせてやった。朝方になったらやっぱり落ちてきて、俺の顔をけっ飛ばした。
まだ早かったんだが、寝藁の上にいると物騒だから、俺は、行李の上に避難した。アンは、苦しくてうなされないのが不思議なくらい変な姿勢で寝ている。師匠を足蹴にした上に寝床から追い出す、不肖の弟子だ。何とかしつけてやりたいものだが、女の子のしつけなんてどうやったらいいんだかわからない。男の子なら、とりあえず叱って殴っておけばいいような気がするけど、女の子にそれはちょっとな。
そのうち腹が減ってきたから朝飯を作りに炊事場に行った。そしたら、ベアッテおばさんが朝飯の支度をしていた。
「おや、早いじゃないか」
「アンに起こされたんだ」
「アンは早起きなのかい。せっかく起こしてくれたんだから、あんたも生活を改善しなよ」
「いや、アンは寝てる」
「どういうことだい?」
怪訝な顔をするベアッテおばさんに女の子の寝相を説明してやると、大笑いされた。
「まあ、二、三日は寝坊を許してやるんだね。疲れが十分に取れたら、朝ちゃんと起こしなよ。そうすりゃ、自然に早起きになるよ」
そうだな、そうしよう。俺たち貧乏人が使う臭い蝋燭だって、それなりに高いんだからな。
部屋に戻っても、アンは、まだ寝ていた。何か夢でも見てるのか、顔をしかめたり、寝返りをうったりしている。かわいいもんだ。何か寝言を言ってる。最初は何を言ってるのかわからなかったけれど、注意深く聞いてみたら聞き取れた。こいつ、昨日教えた呪文を寝言で言ってるんだ。夢の中でまで練習するなんて、熱心な奴だ。どんどんうまくなりそうな気がする。もし、才能があればだけどな。
魔法ってのは、呪文をいくら上手に唱えられたって、才能がないと全然だめなんだ。俺に魔法を教えてくれた親父は、心のありようが大切なんだって言ってけど、本当かな? 真面目に練習してた親父の弟子より、一般的に見れば心のありように問題があるはずの俺のほうが魔力が強かったからな。魔法に大切な心のありようってのは、普通に言われてるものとは違うような気がする。こいつの心のありようってのはどうなんだろう? 魔法を覚えるんだってずいぶん張り切ってるけど、まともに魔法を使えるようになる弟子は、百人に一人もいやしない。ひょっとして、俺は、かわいそうなことをしちまってるんじゃないだろうか。魔術師に弟子入りした奴のほとんどは、まるっきりってわけじゃないにしても、修行が無駄になるんだからな。そういうやつらでも、ちょっとは魔法が使えるから重宝されるけど、魔術師と認めてもらえるわけじゃない。もちろん、こいつが百人に一人なら、問題ないんだけどさ。
そんなことを考えていると、アンがじたばたし始めた。もちろん、眠ったままだ。ひどい寝相だ。これじゃ顔をけっ飛ばされるのも当然だ。避難しておいてよかったぜ。寝言の一部は、やっぱり呪文らしい。ほんのしばらくそんな状態が続いた後、きっと夢の中では叫んでたんだろうな。詰まったような小さな声でこう言った。
「上がってぇ」
子供の一生懸命な姿ってのは大人の心をとろかすようなところがあるんだが、俺には、とろけている余裕なんかなかった。なぜって、昨日アンが練習台にしていた石が、突然飛び上がったんだ。天井にぶつかって大きな傷跡を残し、跳ね返って俺のほうに飛んできた。運よく当たらなかったのでほっとした途端、朝食を入れた鍋が持ち上がった。やばい、ひっくり返したら食えなくなる。いや、それどころじゃない、まだ熱いから大やけどだ。だが、幸い、ちょっと動いただけで、中身はこぼれなかった。
これ以上部屋にいたら危ないかもしれないと思って、俺は、朝食を抱えて外に逃げ出した。アンを起こせばよかったんだろうが、その時は思いつかなかったんだ。扉を閉めて、やれやれこれで大丈夫とほっとしたら、今度は、部屋の中から泣き声が聞こえてきた。
「おじちゃあん、どこお?」
俺が逃げ出した気配で目を覚ましたらしい。やれやれだ。朝っぱらから力が抜けることおびただしい。ふと気づくと、ウッジが戸口から顔を出してこっちを見ていた。
「どうした?」
「朝飯を守ってるんだよ」
「誰から?」
「アンから」
「ああ、アンに全部食われないようにか。大変だな」
ウッジは引っ込んだ。アンも妙な評判をとっちまったな。俺が昨日あんなことを言ったからだろうが、俺が悪いんじゃないと思うぞ。
朝飯を食いながら、アンに石が飛んだことを教えてやった。
「ほんと?」
石を飛ばしたことをアン自身が覚えてるわけないよな。寝てたんだから。
「天井を見てみろよ。新しい傷ができてるだろ。あそこに石が当たったんだよ」
「ほんと?」
「本当だよ。この石を見て見ろ。こっちにも跡がついてるだろ」
「うん」
「その後も、行李は飛んで壊れそうになるわ、寝藁は部屋中を飛び回るわ、大変だったんだぞ」
「うそ」
「俺まで持ち上げられて、見ろ、こぶができちまった」
アンは、口を尖らせながら立ち上がって俺の頭を調べた。
「こぶなんてないもん。嘘でしょ」
「もう引っ込んだ」
「うそだあ」
こぶができたと言っているのに、アンは、俺の頭をぽかぽか殴った。
「やめろ、本当にこぶができるだろ」
「うそ」
「でも、石が飛んだのは本当だぞ」
「ほんと?」
話がちっとも先に進まない。
飯が終わった後にやらせてみたんだが、やっぱり石が持ち上がらなかった。何度試してもだめだ。でも、すごい勢いで石を飛ばすことができたのは、本当だ。天井の傷が、その証拠だ。どんな形にしろ、呪文を教わったその日に魔法が使えたなんて話は聞いたことがない。少なくとも親父の弟子にはそんな奴はいなかった。ひょっとしたら、アンにはすごい才能があるのかもしれない。
そのアンのすごい才能は、あのときにその片鱗を一瞬見せてくれたきり、どこかに隠れてしまって出てこない。もちろん、いろいろやってみたさ。
まず、親父が弟子に必ずやらせていた瞑想だ。姿勢を正して座って、頭の中から何もかもを追い出してしまうんだ。最初は、考えまいとすればするほどいろいろな考えが浮かんできてしまう。それじゃだめだと思うのが、まただめなんだ。アンも、うまくいかなかった。別にアンの頭の中が見えるわけじゃないが、うまくできてないのは簡単にわかる。顔やら足やら、体のあちこちが動くからな。初日は長めにやってみたが、そのあとは一日少しずつにした。何日かたつとアンも慣れてきて、じっと止まっていられるようになった。ただ、そんなときには深い息をしている。それは、瞑想とは言わないな。居眠りだ。まあ、いずれできるようになるだろ。
ほかの方法も試した。子供に魔法を教える方法なんて習っていないから、一生懸命知恵を絞ったんだ。寝てるところを起こして、寝ぼけ眼の時に呪文を唱えさせてみた。これもだめだった。言われるままに呪文を唱えるんだが、自分で何をしてるかわかってなかったみたいだ。それから、アンが寝てる最中、夢を見てそうな時に呪文を耳打ちしてみた。全然効果がなかったし、一回は目を覚ましちまって、しばらく機嫌が悪かった。一番の正攻法として、魔法を使えたという事実をよく言い聞かせてみた。魔法を使えると心から信じさせるのが狙いだ。でも、何度もやっているうちにアンが怒りだしてしまった。一生懸命努力しても全然だめなところに、一度は使えたじゃないかと繰り返されて怒りたくなるのも分かるから、この方法はもうやめた。
とは言っても、つい口に出ちまうんだよ。気を付けていても。
「あの時にはちゃんと石が飛んだのになあ」
「おじちゃん、やめて」
「すまん。また言っちまった」
「そればっかり。もう聞きたくないの。一度はできたのよね。一度できたなら、あたしだって、何度でもできるだろうって思うわよ。でも、だめなんだもん。きっと、一回で使い果たしちゃったんだわ、私の一生分の魔力」
「そんなことがあるかい。使って減るようなもんじゃないぞ」
「あたしの魔力はそうなのよっ」
すっかりアンのご機嫌を損じてしまった。こうなると、練習しても意味が無い。この怒り様じゃ、今日はもうやめたほうがいいかな。
俺は、練習の中断を宣言し、アンを家から追い出した。遊んで機嫌を直してくればいい。幸い、ガキ大将のヒルマーがアンを気に入っていて、結構面倒を見てくれるんだ。おかげで、友達が何人もできたらしくて、外に行けというと、喜んで出ていく。
アンが出て行った後、さっぱり飛ばずに床に張り付いたままの石を見ながら、自分が子供のころのことを思い出していた。俺も石を持ち上げる練習をさせられたもんだ。最初はこのくらいの石から始めて、だんだん大きな石を使うようになった。そのあと、古い丸太を使って、元々は生きていたものに魔法をかける練習をしたっけな。丸太を動かすのは、ずいぶん難しかった。いまだに、切ったばかりの木なんか動かせないよ。切ったすぐは、まだ生きてるんだろうな。挿し枝で増えたりするくらいだし。
そんなことを考えながら、この石が飛べばいいのにと思った。アンがあんなに頑張ってるんだからさ、お義理で飛んだって罰は当たらないと思うぞ。
その途端だ。えらい勢いで石が飛んだ。また天井に激しくぶつかって、はねかえってきた。それが俺の顔をかすめて飛んで、おっかないったらありゃしない。一瞬、魔力の調整を誤ったかと思ったが、俺は魔法を使う気すらなかったんだ、そんなはずはない。
ということは、アンか? 全然発動しなかったアンの魔力が石に溜まって、俺が思っただけのことに敏感に反応したのか? そういえば、予備呪文というものがあると親父が言っていた。魔法をかける時に途中でやめておいて、後で続きの呪文を唱えると、あっという間に魔法が発動するんだそうだ。これって、魔力が物に溜まったような状態なんじゃないだろうか。俺は試したこともないし、おやじにもできなかったけれど、優れた魔術師にはできるらしい。ひょっとして、アンは、そんなすごい魔術師なのかもしれない。……いや、そんなわけないな、まるっきり魔法が発動してないんだから。
でも、アンの呪文が何かの影響を石に与えたのは確かなんだろう。ということは、まだ一度しか魔法が発動したことがない、魔法使いの卵とも言えないようなアンでも、何日もかければ予備呪文を使えるのかもしれない。もしそうなら、俺だってできるはずだ。俺のほうがよっぽどすぐれた魔術師だからな。これは試してみる価値がある。そうだ、ちょうどいい実験台がある。
俺は、外に出て、塀のところに行った。塀は、前にも言ったように、平石を積み上げたものだ。厚さは手の平ひらくらい、重さは四貫程度の石だ。武器として魔法で操るにはちょうどいい。だからこの下宿に決めたわけなんだが、この間判明したように、俺の魔力じゃ動かすのに時間がかかりすぎて役に立たない。でも、こいつを、アンの小石みたいに思うだけで飛ぶようにできたら、相当なもんだぜ。怖いもの無しだ。まずは、塀の左側で試してみよう。後で、塀の右側と比べてみるんだ。そうすりゃ、予備呪文がかかったかどうかはっきりわかるだろ。
呪文をどこで中断したらいいかなんて知らないから、とりあえず、区切りになりそうな箇所全部で試してみた。結果からいうと、全滅だった。どこでやめてもうまくいかないんだ。単純に途中で呪文をやめると何の効果もなくて、そのあと石を動かそうと思ったら、また最初から呪文繰り返さないとだめらしい。そうりゃそうだよな。途中でやめて、後でその続きをやればいいだけなら、俺のおやじだって予備呪文を使えたはずだ。そんな単純なものじゃないのは、当然だ。
夕方になってアンが帰ってきたから、石が飛んだことを教えてやった。
「アン、お前の石が飛んだよ」
「おじちゃん、やめてってば。もう聞きたくないの」
「違う。この間の飛んだって話じゃないんだ。今日、俺がなんとなく飛べと思ったら、本当に飛んだんだよ」
「おじちゃん、魔法使えるじゃない」
アンは、ぷうっとふくれた。勘違いさせちまったな。俺は、話し方が下手なんだ。
「そうじゃなくてさ、俺が魔法を使わないのに飛んだんだ。アンががんばってるんだから飛んでくれよって思っただけで、すごい勢いで飛びあがって天井にぶつかったんだ」
「やっぱりおじちゃんの魔法じゃない」
俺の話をろくに聞いちゃいない。すっかり拗ねちまった。何度も同じことを言った俺も悪かったが、ここまで意固地にならなくてもいいのに。アンは、寝るまで拗ね続けた。