初めての弟子
夕方になってあらためて腹が減ってきたら、食い物がなくなってたのを思い出した。
「食い物を買いに行くぞ。一緒に来るか?」
声をかけたけれど、返事は、へたくそな呪文だった。全然聞こえてないんでやんの。仕方がないから、こいつはほっといて、一人で出かけた。
金は十分あるから、ほとんど食えなかった昨日の分までたっぷり食おうと思って、パンやら野菜やらをたくさん買い込んだ。魚の塩漬けも買ったから、これで煮込みを作ろう。めったに飲めない酒も買った。
豪勢な晩飯への期待に胸を膨らませながら家に帰ってみると、何やら大騒ぎだ。何かと思ったら、あの女の子が大声で泣いていて、近所の連中が集まってきてるんだ。どうしたのかと思いながら近づいたら、ガキ大将のヒルマーが大声でこんなことを言いやがった。
「あっ、人さらいが帰ってきた」
その声とともに、同じ下宿に住んでいる男たちがばらばらっと俺を取り囲んだ。
体を使う仕事をしている連中だから、体がごつい。こいつらに押さえつけられたら、魔術師の俺には腕力じゃ太刀打ちできない。でも、大丈夫。こういう時には冷静に、魔法で対抗できるように考えるのが基本だ。住むのにこの下宿を選んだ理由には、家賃が安いってことだけじゃなくて、こういう場合に対応できるからってこともあるのさ。塀が平石を積み上げたものなんだよ。こいつを魔法で操れば、怖いものなしってわけだ。
その時、ふと気づいた。俺の魔力じゃ、それなりに長い呪文を唱えないとその石が持ち上がらないんだ。その時間があれば、たぶん、こいつらが俺を取り押さえるには十分だ。自分の間抜けさ加減に嫌気がさすぜ。そういや、その場になってみないとわからないことが沢山あるって、親父が言ってたな。馬鹿にしてたけど、これがそういうことなんだな。
だが、ちょっと待てよ。なぜおれがこいつらに襲われなきゃならないんだ? おれが人さらいって、何のこった?
「どこに行ってたんだ?」
同じ階に住んでいるウッジが俺の首に腕をまわしながら聞いた。こいつは、下宿人のくせに自主的に自警団に入っている物好きで、腕っぷしは折り紙付きだ。迫ってくる腕には気づいたが、逃げる隙が無かった。この腕に力を入れられたら、俺の首なんか、あっという間に折れちまいそうだ。俺は、素直に答えることにした。
「食い物を買いに」
「何かを売りに行ったんじゃないのか?」
「何かって、なんだよ。売るものなんか持ってねえ」
「あの女の子は、何なんだ?」
「ありゃ、昨日拾ったんだ」
「拾ったなら、なぜ自警団の詰所に連れてこない」
「それは成行きで」
「ちょっと、一緒に来てもらおうか」
自警団詰所に来いというわけだ。とんでもない。こいつみたいな副業野郎じゃなくて、ボスをやってる本物の武士が詰めてるじゃないか。
「ちょっと待ってくれ。お前ら、何か勘違いしてるだろ」
「さあな。あの女の子が泣きながらお前の部屋から出てきたんだ。ベアッテおばさんは、今朝にも孤児院に連れいていくはずだったって言った。それがなぜまだここにいる? 俺としちゃあ、何かあると考えざるを得ないじゃないか」
「だから、そりゃ成行きで」
「どういう成行きかは、後で聞いてやるよ、来な」
無理やり連れて行かれそうになった俺に、女の子が叫んだ。
「おじちゃーん」
女の子は、俺に駆け寄って、服をぎゅっとつかんで、涙をボロボロ出しながら、心細そうな声で訴えた。
「どこに行ってたの。おじちゃんもいなくなっちゃったかと思った」
「食い物を買って来ただけだよ。ここは俺んちじゃないか。どこかに行くわけないだろ」
どんな奴でも、この子みたいな顔を見たら、やさしい声で答えたくなるよな。実際、自分で気恥ずかしくなるくらいやさしい声が出ちまったよ。この声を思うように出せたら、この世のご婦人方の半分が俺に夢中になるんじゃないか。現に、この子は俺にしがみついた。全然ご婦人とは呼べないけど。
「だから、違うって言ってるじゃないか。ウッジは早合点でいけないよ」
ベアッテおばさんがウッジの後ろで腰に手を当てて呆れ顔だ。出てくるのが遅いよ。ウッジの野郎、俺が手を出さないようになんてつもりか、女の子がこっちに来てから後、俺の首にまわした腕に余計に力を入れてやがるんだ。息が詰まっちまって、しゃべるのもやっとだ。
「おばさんの言う通りだよ。手を放せよ」
ウッジは、おばさんと女の子と俺の顔を順に見回しながら、不承不承手を離した。俺の脚は、ウッジの馬鹿力のせいで浮き上がっていたらしい。バランスを崩して転んじまった。
「おじちゃんをいじめたらだめっ」
女の子がウッジを睨みつけて怒鳴った。全然迫力がないんだが、ウッジは、一歩下がった。助けたはずの女の子に怒られて、びっくりしたのかな。
それでもウッジは、あっさりとは引き下がらなかった。事情聴取でもしてるつもりなんだか、俺の荷物にいちゃもんをつけ始めた。
「こりゃ何なんだ? え? 大荷物を抱えて、何をしようってんだ」
余計なお世話なんだが、教えてやれば、これ以上絡まないでくれるかもしれない。
「食いもんだよ」
「本当か?」
ウッジは、俺の許しも得ずに荷物の中を覗いた。
「食いもんばかりだ。なぜこんなにたくさんあるんだ?」
この野郎、あくまで俺を悪者にしたいんだな。いい機会だ、俺の善人っぷりを主張させてもらうぜ。これ以上うっとおしい詮索を受けないようにな。
「そりゃこの子と俺の食いもんだ。いいか、俺が拾った時、こいつはずいぶんと腹を減らしてたんだ。だから、うちに連れてきて飯を食わせてやった。腹がいっぱいになったらそのまま朝まで寝ちまったから、朝飯も食わせてやった。どうだい、別に悪いことなんかしてないだろ。それにな、昨夜といい今朝といい、こいつはおれの分まで平らげちまいやがって、おかげで俺は丸一日ほとんど何も食ってないんだ。こいつの食欲はおっかねえばかりなんだぞ。その分も買い込んできたから、やたらに多いんだ。こんな事情も知らずにぐちゃぐちゃ文句言いやがうぷっ」
女の子が後ろから俺の口をふさいだ。顔をわしづかみにしている。鼻と目に指を突っ込まれて、とても痛い。何とか逃れて後ろを向くと、女の子が顔を真っ赤にして怒っていた。その目は、そんなこと言わなくていいじゃないと言っていた。そうか、大食いをばらされるのは恥ずかしかったんだな。知らなかったぜ。
「これだけ買い込む金はどうしたんだ。どうやって手に入れた」
知らなかったが、ウッジは、妙に粘着質な奴らしい。普通、そこまで聞くか?
「仕事で稼いだんだよ。当たり前だろ」
「何の仕事だ?」
あくまで俺を疑ってんだな。まあ、しょうがないけど。ここで男爵様のお情けを自力で頂いてなんてことを言うと、自警団に突き出されて、そのあと領主様に突き出されて、町から追放されちまうか、俺が魔術師だからってんで罪を重く見て、ひょっとしたら目ん玉をくり抜かれたりしかねない。ここはごまかしの一手だ。
「魔術師には、それなりに仕事があるんだよ」
「何の仕事だ」
「魔術師がそれを言うと思うか?」
この国では、魔術師は、契約の秘密を守らなければならないことになっている。秘密を守るのは義務だし、誰に聞かれても答えなくていい権利がある。そっちのほうがお殿様たちに都合がいいんだろうな。それをしゃべらせようと思ったら、領主様の令状が必要だ。俺だって、魔術師のはしくれだから、その権利を行使して何一つはばかることがないのさ。この決まりは、俺にも都合がいいや。
「くそ」
さすがのウッジも黙った。そのあとで悔しそうに言った負け惜しみが傑作だったね。
「魔術師がこんな貧乏下宿に住んで何してやがんだか」
お前だって、こんな貧乏下宿の住人じゃないか。自分で墓穴を掘ってるぜ。
この場にけりがついたと思って、晩飯の支度でもしようと立ち上がったら、ウッジがまた絡んできた。
「その子を孤児院に連れて行かないのはどういうわけだ?」
まだあきらめてないのかよ。
「だから、成行きだよ」
「説明しろ」
大きくため息をついた俺の脇で、女の子が嬉しそうに説明を始めた。
「おじちゃんはね、あたしに魔法を教えてくれてるの、ねっ」
ねっ、かあ。どうしてこんなことになっちまったんだろうな? ウッジは、意外そうな顔をしている。無理もない、俺にも意外だよ。
「あたしはまだ全然できないんだけど、できるまで教えてくれるって。だから、あたし、しばらくここにいることになるわ。よろしくね」
べそかいてた奴が生意気な口ききやがって。何がよろしくねなんだか。
その時、後ろから突然太い腕が飛んできて、俺を絡めとった。ウッジの仲間か? やっとけりがついたと思ったのに、今度は何なんだ?
「ムスタ、あんたえらいじゃないの」
腕の主は、ベアッテおばさんだった。おばさん、腕が首にかかってる。苦しい。
「つまり、この子は、あんたの弟子ってわけだね。素晴らしいよ。あんたを見直したよ」
「くっ、かっ」
力を緩めてくれ、死んじまう。
幸い、深刻な事態になる前に手を放してくれた。別に俺を気遣ってくれたわけじゃなくて、女の子を抱きしめるためだ。
「弟子といえば家族も同然だ。しっかり面倒見るんだよ」
いきなり襲った生命の危機に動転していた俺は、ベアッテおばさんから檄を飛ばされ、思わず首肯してしまった。それを見たベアッテおばさんは、俺にうなずき返し、集まっていた連中にこう宣言した。
「みんな、ムスタに家族ができたんだ。祝ってやっとくれ。これから先、この子もあたしたちの仲間だからね。名前は、アンだよ。仲よくしてやっとくれよ」
そりゃないぜ。俺にこの子を孤児院に連れて行けと言ったのは、あんたじゃないか。今日中に連れて行くつもりだったんだよ。俺は、うっかり情が移らないように、こいつの名前すら聞かないようにしてたんだぞ。ああ、こうなる前にさっさと孤児院に連れて行っちまうんだった。後悔先に立たず。これを教えてくれたのは、お袋だったか?
おばさんの言葉を聞いたみんなは、呆然とする俺には一顧だにせず、満足そうにうなずきながら散っていった。アンに声をかけたり、頭をなでたりする奴もいる。やいウッジ、なぜお前まで幸せそうな顔をしてるんだ。