素晴らしき下水道
ヨエルは、地下室に戻ると、カレラ指揮官と少し話した後、指示を出した。
「ウッジ、案内しろ。お前の小隊を連れて来て、護衛に当たれ」
うげ、ウッジが案内か? だいじょうぶかな? 方向を勘違いするんじゃないか?
「大丈夫だよ。ウッジは、頼りになる案内人だ。下水道で生まれたんじゃないかと思うくらいだぞ」
ヨエルは、俺の表情に気付き、なだめるように言った。ひょっとして、ウッジをほめてるのかな? ウッジは、ヨエルのほめ言葉が変だとは思わなかったらしい。俺に、にやりと笑って見せただけだ。
アンを見ると、なんとなくぼんやりしていた。こうやって俺がバタバタしていると大概ついて回ったり連れて行けと言ったりするんだが、今日はおとなしい。午前中の騒ぎで疲れちまったんだろう。
出撃するときに、怪我で参加を止められたパウルが声をかけてきた。
「苺シロップを乾杯用に用意しておいてやる。頑張ってくれ」
そうだ。デニスたちの弔い合戦だ。俺のやる気も、三倍増だ。
俺自身にいくらやる気があっても、俺の鼻はへこたれていた。下水道は、臭いんだ。そりゃそうだよな、町中の住人が汚水や汚物を捨てるんだから。とは言っても、ここ数日は新たに捨てられていないんだし、上水道の余った水が絶えず流れ込んでいるんだから、汚れが薄まっていそうなものだ。なのに、流れがよどんだところでは何かが腐って泡が出ていたりする。
ウッジは、そんな俺を見て、励まそうと思ったんだろう。頑張れよとか言いながら、背中をどやしつけてくれた。そのせいで、俺は、不用意に息を吸い込んで、あまりの臭さにむせてしまった。
「ウッジ、かんべんしてくれ。この臭さじゃ、息もろくにできないんだ」
「そんなに臭いか?」
「お前は平気なのか?」
「もっとすごい場所もあるぞ。このあたりは空気がいい」
「冗談じゃない、息がつまりそうだ。どうしてお前は平気なんだ?」
「下水工事の仕事もやってたからな。下水道の傷んだところを直すんだ。下水に腰まで浸かったりすると、何日かにおいが抜けないぞ」
「うえ」
「俺は、今、小隊長だ。もう一つ上に上がれば、自警団だけで食っていける。実は、俺も下水の仕事は好きじゃないんだ」
「お前は、高い志で自警団をやってるんだと思ってたよ」
「それもある。ターケットの治安を守るのは、大切なことだ。だが、それで食えれば、もっといいと思わないか?」
ウッジの志がそんな生活感のあるものとは知らなかった。ちょっとがっかりしたが、考えてみればきれいごとじゃすまないよな。下水は、確かにきれいじゃないし。
「いいんじゃないか。腹も志も満足するなら、いいことだ」
ウッジは、俺の答えに満足したらしい。前を向いて、道案内に専念した。
ウッジは、脇道も何もないところで止まった。
「ここです」
「そうだったかな?」
ヨエルは、自信がないようだ。
「間違いありません。ほら、この石の汚れがかすれているでしょう」
ウッジが指さした石は、角の汚れが何かでこすったように薄くなっていた。ランプのうすぼんやりした光では、よく見ないとわからない。
「穴を開けますよ。静かにしてください。トンネルの中では、音が遠くまで響きますから」
「わかった」
ヨエルは、口を閉じた。他の自警団員や、もちろん俺もだ。
ウッジは、石を丁寧に引っ張った。ごそっと音がして、その石が取れた。意外に薄い石だ。下水道から見える側は古そうに見えたが、反対側の表面は、色の具合から見て、比較的新しかった。さらにいくつかの石を除けると、トンネルが現れた。俺たちは、自警団員二名を見張りに残して、トンネルに入った。
トンネルの中は、真っ暗だ。ウッジが持つランプがなければ、何も見えない。俺の前を行くヨエルの影で足元が見えにくく、何度かつまずいた。話に聞いた通り狭く、腰をかがめて歩かなければならない。しばらく歩くと、腰が痛くなってしまった。少しの間は我慢できたが、途中でたまらなくなって、膝をついて腰を伸ばした。後ろから来た自警団員がぶつかって、ひっくり返された。
「いてててて」
「すみません」
「何やってるんだ?」
「静かにしてください」
ひとしきり小声でのやり取りがあって、また腰をかがめての行進だ。
ずいぶん歩いたような気がしたが、高々数分だったんだと思う。少し登りになった後、急に天井が高くなった。上体を起こせるようになったが、腰をじわじわと伸ばさないと痛い。
ウッジが、ランプを消して報告した。
「目的地に着きました」
「よし。お前は、小隊を指揮して、店の中に敵がいないか確認して来い。敵がいたら、気付かれないように戻ってくるんだぞ」
「はい」
ウッジは、ヨエルの指示通り、自警団員たちを連れて先に進んだ。少し先で、彼らが階段を上って行くのが見えた。その先から薄明かりが射して、周りをぼんやりと照らしている。俺たちがいるところは、土に掘られた穴らしい。階段のあたりから石壁になっている。あの店にこんな場所があったなんて知らなかった。
ヨエルと俺は、黙ったまま、自警団員たちが戻ってくるのを待った。彼らは、ほどなく戻ってきた。
「大丈夫です、誰もいません。店の中を調べた形跡がありましたが、このトンネルの入り口あたりは素通りしたようです」
「俺たちも、店主がここに逃げようとしなければ見つけられなかっただろうからな。店主の手柄だな」
「盗人に手柄などという言葉は似あいません」
ウッジは、不満そうに言った。俺は、黙って小さくなっていた。
トンネルの出口は、店の奥の棚の中に開いていた。よく見ないとトンネルがあるとはわからない。あの親父もうまく作ったもんだ。
自警団員たちが外を警戒する中、俺とヨエルは、屋根裏部屋まで上がった。換気口を順に覗いていくと、急ごしらえの大きなやぐらが見えた。その次の換気口から大砲が見えるはずだ。
「うわ」
その換気口を覗いた俺は、思わずうめいた。
「どうした?」
ヨエルが心配そうに聞いた。
「見てくれ」
「どれ? うわ」
換気口の中に、鳥の巣があったんだ。もう子育ての季節は終わっているから鳥はいなかったが、巣が邪魔で外が見えない。巣を取り除こうにも、こちら側に格子がはまっていて、手が届かない。他の換気口も覗いてみたが、どれも大砲が見える位置にはなかった。
「ええい、しかたない」
ヨエルは、剣を格子の隙間から突っ込んだ。
「おい、外に落とすつもりじゃないだろうな。あっという間に見つかるぞ」
「そんなことはしない。見てろ」
ヨエルは、刃を巣に当てて引っ張った。それを何度も繰り返す。巣が少しずつ切れて、細かくなっていく。そのかわり、刃には乾いた鳥の糞がまぶされていく。
「ちぇっ、俺の剣は、こんなことをするためにあるんじゃないのに」
ぶつぶつ言いながら、剣を器用に使って巣の破片をわきによけている。
「よし。これで大砲が見える。これで魔法を使えるか?」
俺に場所を譲ったヨエルは、満足そうな、不満そうな、変な顔をしていた。
掃除された換気口を覗いてみると、大砲の後ろ半分が見えていた。周りのやぐらから綱を何本も大砲にかけて吊り上げている。丁度、大砲を台に据えようとしているところらしい。
「大丈夫だ。あれだけ見えれば大砲に魔法をかけられる」
ヨエルは、うれしそうに笑った。
「よし。じゃあ、大砲を持ち上げて、力いっぱい地面に叩き付けてくれ。叩き付ける時には、砲口が地面にぶつかるようにするんだ。あそこが一番弱いから歪みやすい」
「歪めるだけでいいのか?」
「それで十分だ。歪んだ大砲は、使い物にならない。弾も込められないんだからな」
なるほど。
俺は、換気口から大砲を見ながら、どのように動かすかを考え、呪文を唱え始めた。例の、声を出さない詠唱法だ。普通に呪文を唱えるよりずいぶん時間がかかるのが欠点だが、こんな時にはもってこいだ。
ヨエルは、少しの間俺を見ていたが、そのうち下に行って、自警団員たちに周りの様子を聞いてきた。彼が戻ってきたとき、俺はまだ呪文詠唱の途中だった。ヨエルは、小声で様子を教えてくれた。
「周りは平穏だ。特別に警戒している気配はない」
俺は、返事の代わりに頷き、安心して呪文を唱え続けた。もう少しだ。
呪文が完成した時、大砲は、ふわりと浮いた。俺は、わざと大砲をその場で回転させて、やぐらを壊した。敵兵に逃げてほしかったんだ。殺したり殺されたりするのが恐ろしいということを、午前中の戦いで思い知ったからな。他の換気口から下を覗いていたヨエルは、それを察してくれたのか、敵が逃げたと教えてくれた。
俺は、大砲を換気口より上まで持ち上げた。砲口を下に向けて、地面に叩き付ける。魔法でも力いっぱい押し下げたから、ただ落とすのに比べて何倍も勢いがついている。運よく、叩き付けた後も大砲が見えたから、もう一度持ち上げた。砲口が割れているのが見えた。ヨエルが歓声を上げながら躍り上がった。持ち上げたついでに、もう一度叩き付けた。大砲に止めを刺すのは、いい気分だ。敵の陣地の中では、大騒ぎをしている。
「ムスタ、引き上げるぞ」
ヨエルは、俺を急き立ててトンネルに追い込んだ。自警団員がトンネルの入り口が見つからないように処理するのを待ってから、またウッジの先導で下水道に引き返した。作戦は、大成功だ。大砲は、もう使い物にならない。奴らは市壁を砲撃できない。俺が邪魔してやったんだ。今度は腰が痛いのも気にならなかった。下水道が近づいてきて、においが強くなってくるのも気にならなかった。
ついに下水道に出た。俺は、達成感と開放感に浸って、腰を伸ばして大きく息を吸い込んだ。腰に激痛が走り、あまりのにおいにむせ返った。気分がよすぎて、気にならなかっただけだったんだ。やっぱり、痛いものは痛いし、臭いものは臭い。二重のショックにひっくり返ってしまった。トンネルの入り口に残されて退屈そうにしていた見張りの自警団員が、両脇から助け起こしてくれた。
潜伏場所に戻り、約束通り、今は亡きデニスの苺シロップで乾杯した。ただし、アンには、別のものが出された。明日の砲撃が無くなって、みんな大喜びだった。最後だけは少し残念なことになったが、あれは、俺の手柄に彩を添える笑い話だ。芝居だって、ただ強いだけの主人公じゃつまらないだろ。デニスには、この話を持って神様の前に行ってもらおう。神様だって、楽しい話が好きに決まっているさ。煉獄よりはいいところに行かせてもらえるよ、きっと。




