俺は魔術師
次の日の朝、早めに目が覚めた。なんだか、妙に狭い。この前家賃を滞納したから、大家が部屋を狭くしたのかな。そっちがその気なら、俺だって黙っちゃいない。今度から家賃を半分しか払わないぞ。いやまあ、そんなわけないか。小さな換気窓から差し込む明かりが壁を照らしている。横になったまま、それをぼやっと眺めていたら、突然顔に何かが降ってきて、鼻をしたたかに打った。慌ててじたばたしちまったけど、すぐに思い出した。昨日、女の子を拾ったんだった。
その女の子は、行李から落ちていて、寝藁の上で大の字になっていた。狭く感じたわけだ。なんで上下逆さになってんだ。俺の鼻を打ったのは、こいつの足らしい。幸い、鼻血は、出ていなかった。こういう物騒な奴は、さっさと然るべきところに連れていくに限る。
俺は女の子を起こしにかかった。無茶はしないよ。昨日と同じように、そっとほっぺたを叩いただけだ。加減がよく分からないから、自分のほっぺたを叩いてみて、これなら痛くないと確かめてからやった。
女の子は、すぐに起きた。そりゃそうだろ、もう半日以上寝てたんだから。子供にしても寝すぎだよ。
俺の顔を見てびっくりしたみたいな顔をした後、しばらくきょろきょろしていた。この部屋には、そんなに見るものがないから、半分は俺の顔を見てたかな。
「おはようございます」
そのうち、小声で朝のあいさつをした。しつけのいい子だ。声も、昨日よりしっかりしている。ぐっすり眠って元気を取り戻したらしい。それに、あれだけ食えば体力もつくよな。こっちは元気ないよ。晩飯には、パンをひとかけ食っただけだから、ひもじい夜だった。焼き損ねとしか思えない固いパンなんか、スープもなしには食えないよ。だから、俺の挨拶は、力が入ってなかったかもしれない。
「ああ、おはよお」
俺の返事を聞いて、女の子は、ちょっと笑った。部屋が明るくなったような気がしたぞ。なんだか、俺も元気が出るかなって思った。その時、また、あの音が聞こえたんだ。女の子の腹から。ぐうって。女の子は、しまったという顔をして赤くなった。色白だから、ピンクだ。焦げ茶色よりずっといいや。
とにかく朝飯を食うことにした。水を汲んできて、昨日のまずいパンの残りと、食糧箱の隅に残っていたチーズを食った。というよりは、食われた。女の子の食欲に負けて、俺の口にはあまり入らなかったんだ。腹が鳴るのは恥ずかしがるくせに、なぜこの大食いが恥ずかしくないんだろう。本当に何もなくなっちまった。また買ってこなくっちゃ。
早いとこ孤児院に連れていけばよかったんだけどね。でも、どうせいつでもいいことだから、つい面倒くさくて昼までごろごろしちまった。そしたら、一人遊びをしていた女の子が、俺に聞いた。
「おじちゃん、お仕事しないの?」
「仕事なら、昨日したからいいんだよ。今日はお休みだ」
「明日は仕事?」
「明日もお休みだ」
「あさっては?」
うるせえな。
「ずーっと休みだよ。金があるあいだはな」
最後はつっけんどんになった。女の子は、黙ってしまった。だが、それもしばらくのことで、また質問し始めた。
「おじちゃん、お仕事は何?」
さっき邪険にした負い目があるから、ちゃんと答えてやりたいが、正直には言えないなあ。おおっぴらにするような商売じゃないし、人聞きも悪いしな。だから、こう答えた。
「魔術師だ」
嘘はついてない。魔法を何に使うかといったら、まあ、あれだが、魔法で飯を食ってるには違いないからな。こんな小さな子に見栄を張るのもどうかと思うが、俺の商売を教えるわけにはいかんだろ。
「わあ、すごい」
女の子は、目を丸くして、心から感心した様子だ。こんなチビ助にでもこういう風に見てもらえると、自信が湧いてくるね。
「ねえねえ、魔法見せて。いいなあ、魔法が使えるって。あたしも魔法を使えたらどんなに素敵かなあって、いつも思ってるの。魔法で火をおこして寒い日にみんなを温めてあげたり、空を飛んでお使いしてあげたりできたら素敵だわ。他にもやってみたいことが一杯あるのよ」
夢は大きいほうがいいからあえて指摘しないけどな、魔法だけで火をおこせるなんてのは、ほんの一握りの天才魔術師だけだ。大体、空を飛んだ魔術師なんて、お伽噺以外じゃ聞いたこともない。でも、こんなに期待されちまったら、無下には断れないな。
「よし、じゃあ、簡単なのを見せてやる。ちょっと来な」
女の子は、喜んでついてきた。家の外に出て、石を探す。あんまり小さくちゃ迫力がないし、あんまり大きくちゃ時間がかかる。ちょうどいい加減なのは、一抱えくらいあるやつだ。抱え上げるにはちょっと重すぎるくらいがちょうどいい。ほらあった、
「この石を持ち上げてやろう」
その石をぽんぽんと叩いて見せると、女の子は、また目を丸くした。うん、いい反応だね。
「うーん」
女の子は、その石に手をかけてを持ち上げようとしてみた。
「上がるか?」
「むり。本当にこれを持ち上げられるの?」
「見てろよ」
俺は、呪文を唱え始めた。仕事の時と違って、声を抑えなくてもいいから楽ちんだ。それでも、呪文を唱え終わるのに、二分近くかかった。持ち上げるって言っちまったから、結構むつかしかったんだよ。半端に魔法をかけると、片側だけ持ち上がって転がっちまったりするじゃないか。魔力のバランスを取るのに気を使うんだぜ。そのかいあって、まっすぐ上に持ち上がった。あんまり高く持ち上げると、うっかり落とした時におっかないから、目の高さまでだ。
「すごいすごい。本当に持ち上がった」
女の子は、何を考えたか、いきなり石に飛びつこうとした。俺は、大慌てだ。下手したら大けがをさせちまう。急いで石を遠ざけた。そしたら、俺の気も知らずに石を追いかけて大はしゃぎを始めた。いい加減にしろと怒鳴りたいんだが、口は呪文で忙しい。女の子に俺の意思を伝えることもできず、ひたすら安全確保に努めざるを得ない。誰か助けてくれ。
しばらくたって、息が上がった女の子が石を追いかけるのをやめたときには、何かする気も失せるくらい疲れていた。こんなに連続で魔法を使ったのは初めてだ、精神力が持たない。子供の相手なんかするもんじゃないな。せっかく外に出てきたんだし、このまま孤児院に連れて行っちまえ。ムンケボール通りだっけ、ベアッテおばさんのおすすめは。
「魔法はもういいだろ。世話してくれる人がいるところに連れて行ってやるから、ついてきな」
もう、いいよな。この見ず知らずの女の子を、俺は十分世話したと思うぞ。食い物をほとんど取られたうえに、顔を足蹴にされるという目に遭ってまで、こうやって孤児院まで連れて行ってやろうってんだからさ。自分の人の好さに泣けてくるぜ。
「魔法を教えてっ」
女の子は、俺の顔を真正面から見つめて、目をキラキラさせて、期待に満ちた声で叫んだ。
「ばかやろ、今からお前を孤児院に連れて行くんだよ。何が魔法を教えろだ。ふざけるんじゃない」
思わず怒鳴り付けちまった。でも、聞いてもらえなかったみたいだ。
「ああ、魔法が使えたらどんなに素晴らしいかしら。あんな大きな石を持ち上げられたら、きっとおうちだって作れちゃうわよね。そしたら、嵐が来たって平気だし、雪がいっぱい積もってもつぶれたりしないわ。雨が降っても、えっと、あら? 雨漏りするかしら。あ、そうだ、屋根だけ板で作ればいいのよ。そしたら、雨でも平気だわ。ねえ、素晴らしいと思わない? 何でもできるのよ」
こりゃまた、よくしゃべる奴だ。こいつの頭ってば、言葉が出ていくだけで、入ってはいかないようにできてるんだな。
「私の周りには魔法を使える人がいなかったの。だから、魔法を教えてもらうわけにはいかなかったの。教えてもらえれば、きっと使えるようになるわ。みんなが魔法はむつかしいから無理だっていうんだけど、お母さんは、一生懸命努力すればできないことはないって……」
しゃべり続けていた女の子が、そこで止まった。鈍い俺にもぴんときた。母親を思い出したからだ。自分の状況に今気づいたような顔をして、唇をわななかせている。俺、こういうの、苦手なんだ。思わずこう口走ってた。
「わかった、教えてやるから。な、頑張ってみよう」
「え?」
こいつめ、たった今俺がいるのに気付いたような顔でこっちを見た。大きな目が不安をたたえて、うわあ、俺には耐えられない。この表情から逃れるには、これしかない。
「石を持ち上げる魔法を教えてやるぞ。お前ができるようになるまでな。早速練習しようぜ。えーっと、手ごろな石はっと」
俺は、女の子の顔を見なくて済むように、不必要に熱心に練習台になる石を探した。杏の種くらいの石が手頃なんだ。いくらでも転がってそうなんだが、探すと見つからない。不思議なもんだな、と、わざと思いながら探している最中に気付いた。石が持ち上がるようにならなかったらどうするんだよ。できない奴のほうが多いんだからな。少なくとも、できるまでってのは取り消さなきゃ。
でも、手遅れだった。女の子が俺に飛びついて、服をつかんだまま踊りまわって、キスまでしてくれた。こんなガキなのが残念だったよ。五年後ならねえ。なんにしても、服が破れなくて助かった。
もののはずみでえらいことになりかけてる気はするんだが、約束しちまったものはしょうがない。ちょうど具合のいい石も見つかったことだし、教えてやるか。