ベアッテおばさん
どこかの店で飯を食わせて、そのまま自警団に引き渡そうと思ってはいたんだ。でも、店で食わせると高くつくよな。だから、家で飯を食わせることにした。質素な庶民の生活の知恵だよ。
俺の家は、まあ、あんまり豊かじゃない住民が住む地区にある。小金を持ってる奴は近づかないけど、そんなにおっかない場所じゃない。盗みにさえ気を付けていれば、問題ない。盗まれるものがないなら、気楽なもんだ。大概の奴は何の心配もなく暮らしてる。俺の家は、三階建てで、その二階に一部屋借りて住んでるんだ。その部屋を使ってるのは、俺一人だぜ。貧乏人ってのは、普通、何人かで一部屋を借りて住んでるもんだ。その方が安く上がるからな。でも、俺は、一人で一部屋を借りてるんだ。個室だぜ。豪勢だろ。ちょっと狭いけどな。行李を置いたら、一人寝るのがやっとなんだ。ああ、俺は、納戸って言葉なんか知らないよ。聞いたこともない。
部屋に帰って、昨日から水につけてあった豆と、今日手に入れた金をぱあっと使って買ったベーコンのきれっぱしを鍋に入れて、炊事場に行った。スープにして、女の子に食わせてやろうと思ってさ。そしたら、ベアッテおばさんがいた。同じ下宿の一階に住んでて、この辺には彼女を知らない奴なんかいない。
「なんだい、その子は?」
このおばさんにはあまり見られたくなかったな。面倒見の良いいいおばさんなんだが、詮索好きなんだよ。事情を知らなきゃ面倒も見られないだろなんて、もっともなことを言ってすましてるしさ。
「迷子だよ」
「ああ、やれやれ。あたしゃ、てっきり、あんたがそっちの筋の仕事に鞍替えしたのかと思ったよ」
「店のおやじにも同じことを言われたよ。そんなことしねえって」
「その子、どうすんだい」
「腹を減らしてるから、何か食わせてやる。そのあとのことは自警団に頼むさ」
「ふーん。いい心がけだね。その心がけで仕事も変えないかい?」
またそれかよ。ベアッテおばさんは、俺の仕事が気に入らないらしくて、ことあるごとにこの手の説教をする。俺がこのおばさんを苦手なわけ、分かるだろ。他のやつらにばらさないでいてくれるのには助かってるけどな。
「退屈な仕事は嫌いなのさ」
そっぽを向いて舌を出した俺を睨んで
「唇が三枚あるよ」
とか言いながら、ベアッテおばさんは、女の子の前に出た。
「ありゃまあ汚い顔だねえ」
ベアッテおばさんは、手拭いを濡らして女の子の顔をぬぐった。泥汚れが取れると、将来は美人になるぞってな顔が出てきた。今のうちに手を付けておくといいかもな。でも、俺はパスだ。まだ、ただのガキだもんな。
ベアッテおばさんは、やっと本来の顔が見えるようになった女の子に向かってふんふんと満足そうにうなずいてから、話を続けた。
「お嬢ちゃん、おうちはどこ?」
「俺には、そんな優しい声で話しかけないな。いつも怒鳴られてる気がするぞ」
「あんたも、この子みたいにかわいい顔をしたら、やさしくしてあげるよ」
「いや、いいや。あんたに顔を拭かれたくないし」
「なんだい、あんたがかわいくするところを見てみたかったんだけどね。まあいいわ。お嬢ちゃん、どこに住んでるの?」
「ロネビュー」
そんな村、このあたりにあったっけ?
「一人でターケットまで来たの?」
「ターケット?」
女の子は、首をかしげた。この子、この町の名前を知らないんだ。じゃあ、ロネビューってのはかなり遠くかな?
「ターケットっていうのはこの町のことよ。お父さんやお母さんと来たの?」
女の子は、途方に暮れた顔をしながら答えた。
「知らないおじちゃんと来たの。おじちゃんは、いつの間にかいなかったの。お父さんとお母さんは、どこにいるかわからないの」
「そうなの」
要するに、迷子だってことだな。聞くまでもない。だが、ベアッテおばさんは、得心顔で大きくうなずいた。
「今の会話で何か分かるのかよ?」
「つまりこの子はね、ロネビューからここまで知らないおじちゃんとやってきたんだよ。でもはぐれてしまったのね。親御さんがどこにいるかも、分からないんだね」
「そんなことなら、俺でも分かったぜ」
「じゃあ、十分じゃないか」
「そうかなあ?」
ベアッテおばさんは、大変だったねえとか言いながら、女の子を抱きしめてやっている。何がわかったんだかね。女の世界のことなのかな。
そのうち豆が煮えた。ベーコンの出汁が効いたうまいスープになった。俺にしては上出来だ。子供とはいえ客に出すんだから、うまいほうがいいに決まってる。慰めるように髪を撫でてやっているベアッテおばさんから女の子を引きはがして、スープの鍋を抱えて部屋に帰った。あ、しまった、食器が一つしかないぞ。仕方がないから、女の子に先に食べさせることにした。俺は、この子が食い終ってから食べるとしよう。
何日食べていなかったのか知らないが、女の子の食欲はすごかった。食器に入れる端から口の中に消えていく。自分が凄腕の料理人になったみたいな気がする。半ば感心して、半ばあきれつつ女の子の食欲を堪能していると、ベアッテおばさんがやってきた。部屋の入り口から手招きしている。女の子に鍋を渡して好きに食えと言い、ベアッテおばさんのところに行った。
「あの子のこと、詳しく分かったかい?」
「知らねえよ。ただの迷子だろ」
「ただの迷子じゃないよ」
「おじちゃんと親からはぐれて、家に帰れないなら、迷子だろ」
「何言ってんだい。あの子は、ロネビューから来たんだよ」
「どこにある村だろうな?」
「ラガンだよ」
「ラガン村なんて知らねえ」
「ラガン王国だよ」
「村じゃねえのか。それなら知ってら。あっ」
やっと分かってきたぞ。ラガン王国は、神聖帝国と戦ってる。この子の村は、たぶんその戦いに巻き込まれちまったんだろう。で、村人たちが逃げ出したと。あの子は、逃げる途中で、おじちゃんや両親とはぐれてしまったんだろう。親とじゃなくて知らない人と来たということは、ひょっとしたら、親は死んじまってるかもしれないな。俺は、思わず黙り込んじまった。
「やっと分かったかい」
ふと気づくと、ベアッテおばさんが、こちらを見ていた。俺のことをどんくさいと思っているな。なんだよ、ロネビューがどこにあるか知らなかっただけじゃないか。
連れてきてくれたという人は、どこに行ったのかな? はぐれちまって探し回ってんじゃないだろか? 見つけてやりたいもんだが、自警団のほうが上手に見つけられるだろうな。
それをベアッテおばさんに言うと、襟をつかんで引き寄せられてしまった。ベアッテおばさんは、やたらに体格が良くて、迫力がありすぎる。力も強い。クマにでも捕まったような気がしたよ。でも、そのあとのおばさんの一言を聞いて、そんなの、吹っ飛んでしまった。
「あの子はね、そのおじちゃんとやらから捨てられたんだよ」
「そりゃあ、ひでえな」
「その男だって、必死で逃げ延びてきたんだからね。何とか安全な場所まであの子を連れてきただけで精いっぱいだったんだろうさ」
「でもやっぱりひでえ」
「戦争ってのは、そういうもんだよ」
「じゃあ、自警団に連れて行っても意味がないのか」
「そうだね。孤児院に連れていくほうがいいね」
孤児院か。自警団よりは近づきやすいかな。
「ふーん、じゃあ、そうしよう。あいつが飯を食い終ったら連れて行ってやるよ」
「ムンケボール通りの僧院がやってるところがいいよ。あそこの坊さんは、子供たちを大事にしてるから」
ほんと、よく知ってるよな。
部屋に戻ったら、女の子は、ぐっすり眠っていた。鍋の中は空っぽだ。小さいくせによく食うやつだ。俺の晩飯がなくなっちまった。
孤児院に連れていきたいんだけど、起きるかな? 試しにほっぺたをそっと叩いてみた。全然反応なし。ぐっすり寝てる。しょうがないから、寝かせておくことにした。別に急ぐわけじゃないし。
そのまま夜になった。女の子は、よく寝てる。俺も寝たいんだが、女の子が寝藁を占領していて、横になれない。無理に横になったら、女の子をつぶしそうだ。ちょっと困ったが、すぐにいいことを思いついた。女の子の背丈が、行李より短いことに気付いたんだ。抱えあげて載せてみたら、ちょうどいい感じだった。寒いとかわいそうだから上っ張りをかけてやった。これでゆっくり寝られる。