お役御免
あんな話の後で休めると思うか? 無理に決まってるよな。だから、午後の仕事は、散々だった。この俺が、アン並に不注意だった。持ち上げた石が回転して落っこちるし、その時に他の石を巻き添えにして割れてしまうし。最初は怒っていたロルフ親方が、心配してくれるくらいだ。しまいには、人を殺す前に帰れと怒鳴られて、まだ早かったが帰ることにした。監督は、ちらっと俺を見て、にこやかにうなずいた。くそ、あの爽やか野郎め。
帰る道すがら、アンが心配していろいろと話しかけてくれた。
「おじちゃん、頑張って努力したのにうまくいかなかったの?」
「注意が抜けてるぞ。注意が」
「抜けてたの?」
抜けてたとは、ある意味で図星だ。ああ、俺は、ちょっと抜けてたかなあ。後悔先に立たず。教えてくれたのは、親父だっけ、お袋だっけ? いや、抜けてるの意味が違う。
「おじちゃん、上手なのに変よね。きっと風邪をひいたんだわ。もうそろそろ秋だもんね。昨夜寒かったかしら? よく眠れないの?」
最近は、よく寝ている。アンの熟睡蹴飛ばし攻撃にも慣れて、無意識に避けてるみたいなんだよな。どうやってるのか、わからない。なんせ、俺も寝てるんだから。もしかしたら、蹴飛ばされるのに慣れただけかもしれない。
「今日は何が食べたい? あたしが作ってあげる。家にあるのは、豆と干し肉と木の実だったかな。あら、パンはあったかしら?」
アンは、やさしい子だ。何とかしてやらないとな。ところで、パンなら、今朝全部食っちまった気がする。
「家に着いたら、すぐ寝ましょうね。そしたら、明日にはお仕事ができるようになるわ。あたし、子守歌を歌ってあげる。妹を寝かしつける係だったから、上手なのよ」
妹。それを思い出すと悲しいんじゃないか? つらい思い出のはずだ。だが、アンの顔を見ると、俺を気遣う表情だけが浮かんでいた。アンは、本当に強くなった。それに引き換え、俺はなあ。アンみたいに強くならないといけないな。
いや、俺のは実際的な悩みだ。アンが克服した情緒的な悩みとは違う。どうすればアンと、できれば俺の身を守れるか。具体策が必要だ。アンと自分を引き比べて落ち込んでる場合じゃない。
下宿に帰ると、ベアッテおばさんが子供たちを遊ばせていた。それを見たアンは、俺を心配していたことをあっさりと忘れて遊びに加わった。ひどい奴だ。だがまあ、いつもの通りのアンでちょっと安心した。
俺がベアッテおばさんの前を通り過ぎて建物に入ろうとしたら、後ろから襟首を掴まれた。息が詰まって、後ろ向きにひっくりかえっちまった。うーんとうなる俺の目の前に、ベアッテおばさんの迫力満点の顔がさかさまに突き出されてきた。もう一度うーんとうなって、今度は気絶したくなったけど、そう都合よく気絶できないな。
「どうしたんだい。この世の終わりみたいな顔をしてるよ」
「そんなにすごい顔をしてるか?」
「してるよ。よかったら話してみな」
ベアッテおばさんは、頼りがいがある。以前の俺の商売を誰にも言わないでくれたことからも分かるように、秘密も守ってくれる。この人に相談できたら、いい考えが出てきそうだ。そういう誘惑もあったんだが、監督に釘を刺されちまってるし、万一の場合にベアッテおばさんに迷惑がかかってもいけない。俺は、目を逸らし、首を横に振った。
「ふん、まあいいさ。必要になったら声をかけとくれ」
おばさん、感謝するぜ。そのセリフだけで、気が楽になったよ。
おばさんに向かってうなずいて、建物に入ろうとしたら、また襟首を掴まれた。おばさん、かんべんしてくれよ、言えないんだよ。
でも、おばさんは、別のことを聞いた。
「どうだい。堅気の仕事は退屈かい?」
おばさんのことを大嫌いになるくらいど真ん中の質問だ。
「退屈じゃなさすぎるよ」
そう言って、首を振りながら建物に入る俺を、ベアッテおばさんは、小首を傾げて見ていた。きっと、熊が小首をかしげるとこんな感じじゃないかと思った。
次の日の朝、監督は、俺のお役御免を発表した。
「ムスタを外すなんて、ひでえぞ、監督」
「そうだそうだ。なぜ外すんだ」
他の現場で魔術師が引き抜かれたというのは知れ渡っていて、最後に残ったこの現場でもいつかは引き抜かれるだろうと皆ピリピリしていたから、俺を外すという監督の言葉は、たちまち職人や人足の怒号に包まれた。力仕事を生業にする男たちの本気の怒号だ。並の男なら、押されて負ける。監督は、監督という立場と貴族の威光を借りて、やっとの思いで相手をしていた。
「この現場が修理の中でもむつかしい部分を担当したのは誰もが知っている。だから、他の現場の魔術師がいなくなった後でも魔術師ムスタを残しておいたではないか。しかし、すでに魔術師の助けが必要な作業は終えただろう。後は諸君だけで何とかできるはずだ。魔術師ムスタには、他の任務があるのだ。ターケットを守るためだ。聞き分けろ」
ターケットを守るためという言葉は、てきめんな効果を上げた。みんなターケットが好きなんだ。ロルフ親方は、まだ何か言いたそうだったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。俺は、唇を震わせる親方を初めて見た。
アンは、じっと俺を見ている。アンにとっては初耳だからな。次の仕事が気になるんだろう。もの問いたげだ。そんな顔をしないでくれ。俺にもわからないんだ。
監督は、そのあともしばらく職人たちをなだめていた。俺たちのところに来たのは、ずいぶん経ってからだった。
「魔術師ムスタ、では、この現場からお引き取り頂いて結構です」
「監督、昨日、俺に何かやってほしいようなことを言ってませんでしたっけ。その指示は?」
監督は、ちょっと笑った。
「何かをしてほしいとは申し上げていませんよ。魔術師部隊に入るよりもっと良い力の使い方があるはずだと言ったのです。私たちは、私たちにはわかっていない魔法の使い方を、私たちが指示するのは間違いだと考えています。ご自分でどのようにすべきか考えておいてください。ご自分の力を発揮できれば、何でもいいのです。もちろん、条件はありますけれど」
昨日の最後の脅しのことだな。
「その条件に違わない限り、私たちはあなたを支援いたします」
脅しつけたり、持ち上げたり、忙しいな。そんなことを言われても、何も思いつかないぞ。
「もしよろしければ、一つ示唆を差し上げます。これは、オレーグ男爵閣下のお考えなのですが」
「なんです?」
監督は、アンをちらっと見やって言いにくそうにした。そして、すっと俺の耳に口を近づけた。
「あなたの以前の仕事が役に立つのではないかと」
監督は、それだけ言うと、現場に戻っていった。ぞくっとしたのは、やばい話を蒸し返されたからか、監督の息が耳にかかったからか、どっちだろう。
仕事もなくなっちまったし、何かをしろとも言われない。仕方ないから、とりあえず下宿に帰ることにした。
黙りこくって歩いていると、アンが不思議そうな顔をしながら、でも、目を輝かせて、質問をよこした。
「ねえ、監督さんって貴族よね。親方にはえらい人の言葉を使ってたけど、おじちゃんには丁寧な言葉を使ってたわ。おじちゃんも貴族なの?」
もっともな疑問だな。いろいろ考え続けて煮詰まっちまったから、今は自分の問題を忘れて、アンに教えてやるとしよう。
「平民と貴族がいることは知ってるな?」
「うん」
「それ以外には何がいるかな?」
「お坊さん」
「お坊さんってのは聖職者だな。まあ、そんなもんだ。魔術師は、そのどこにも入らないんだよ」
「魔術師は平民でしょ?」
「貴族や平民と契約して仕事するから平民みたいだけど、違うんだ。聖職者と同じように、貴族と平民の区別とは関係ないんだ」
「あたしは、平民よ」
「俺の弟子になったんだから、もう平民じゃない。貴族でもないけどな」
「お坊さんになるのは嫌だな」
「どこにも入らないって言ったろ。大丈夫だ。坊主でもない」
「よかった。あたしね、神様がいい人かどうか、よくわからないの」
「俺にもわからないな」
「ねえ、なぜ監督さんは、おじちゃんに丁寧なの?」
「そういや、それが元の質問だったな。坊主は、貴族からも平民からも尊敬されてるだろ」
「うん。あ、魔術師もそうなの?」
「そうだ」
「ふうん?」
アンは、納得していないようだ。しばらく黙りこくっていた。アンも煮詰まっちまったかな?
アンは、そのまま黙って歩き続け、下宿が見えてきたときに、ようやく口を開いた。
「おじちゃんも魔術師よね?」
何が疑問なのかな?
「みんなに尊敬されてるの?」
不思議でしょうがないという顔をしている。俺は思ったね。こういうひどい弟子を持つものじゃないってな。だが、じんわりとおかしさが込み上げてきた。俺は、笑いながら答えてやった。
「あの監督は尊敬してたってことさ」
俺ごときをなあ。
アンは、また黙ってしまった。やっぱり納得しないか。




