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ただいま

 学校の屋上でひとり佇んでいる僕の足下に、スズメが数匹寄ってくる。なにかおいしい物でも落ちているのだろうか。

 雲一つ無い真っ青な空から容赦のない強烈な日差しが降り注ぐ。エッジの姿でいる僕には関係のない暑さだが、色素を失った左目の眩しさだけはいまだに慣れない。

 僕は目を細めながら、屋上のフェンス越しにグラウンドを見下ろす。昨日の夜に静が立っていた場所では、何事もなかったかのようにサッカー部が練習をしていた。

 あれから──静が消えてからまだ半日程しか経っていない現実に心が痛む。

 もう会えない現実を僕はまだ受け入れることが出来ていない。静の家に行けば、いつものように出迎えてくれるのではないか──そんな風に思えてならない。そんな希望にすがって、僕はここに来る前に静の家に寄り、インターホンを鳴らしてみた。返ってきたのは、当然ながら静寂だけだった。

 あんな方法でしか救えなかった無知で無力な自分を改めて憎んでしまう。

 無知……そんな僕と対極に位置する我勇さん。

 この街で知らないことは無いと断言した。

 昨日の会話を思い出して、改めて思う。

 本当に僕のあきらめの悪さを知らなかったのだろうか。もしかしたら、僕がこんな無茶な依頼をすることも想定内だったのでは──

「だーれだっ!?」

 突然視界が暗くなり、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。手で目隠しをされたようだ。

 驚いたスズメ達が飛び去っていく気配がした。そりゃあ、急に人が現れたら驚きもするだろう。

「しゅ……夜凪やなぎ朱姫しゅきに一票」

 一瞬、しゅうちゃんと言いそうになった。あぶないあぶない。

「ひっかからないか〜残念」

「ひっかからない?」

「えへへ。なんでもない」

 そう言って朱ちゃんは僕の目隠しを解く。 

 振り向くと、そこには夜凪朱姫──朱ちゃんがいた。忍者として会う時の正装……と言っていいのか分からないが、見慣れた黒装束に身を包んでいる。しかし、今日はいつもと少し違った。顔を覆うフードとマフラーをしていない。つまり、顔を隠していないのだ。

「こんにちは。っと、まだおはようの時間……だったかな?」

「こんにちはでいいんじゃないかな。もうすぐお昼だし」

「そっか。お昼はもう食べたの?」

「いや……まだかな」

「ふぅん」

 朱ちゃんは僕の横に来ると、真似をするようにグラウンドを見下ろす。

 会話の続きでもあるのかとしばらく黙って待っていたが、朱ちゃんはグラウンドを見下ろしたきり、口を開かない。

 この妙な間というか、空気はなんだろう。そんなことを考えていると、不意に朱ちゃんは顔を上げた。

「ねえ」

「ん?」

「つっこみを入れてもいいかな?」

「えっ……? な、なんの……?」

 朱ちゃんの言葉の真意を測りかねた僕は首を傾げる。

「せーーーーーっかく素顔を見せたのに、スルーってひどくないかな!?」

 ああ、妙な空気は、そういうことか。

「いや、触れていい事なのか迷ってて……。もし隠すのを忘れていただけなら、スルーしといたほうがいいのかなぁとかさ……」

「わざとにきまっているでしょ? ほんとにもう……」

 そう言われても、真意なんて本人にしかわからないじゃないか。と心の中で軽く言い訳をする。

「ま、驚くふりも大変か」

「ん?」

「なんでもない」

 なんだ? よく分からないな……。感想くらいは言った方がいいのだろうか。

「えっと、か、髪は染めてるの? ちょっと赤みがかってるね」

 無難に、朱ちゃんの個性のひとつである赤毛の事にふれてみる。

「パパ譲りの地毛ですよ〜」

 朱ちゃんは不機嫌そうにつぶやく。すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。

「そ、そっか……」

 なにかまだ不穏な空気を感じる。早く撤退したほうがいいだろうか。さっさと用件を済ませてしまおう。

「あ、そうだ。刀……返そうと思って。ありがとう。助かったよ」

 僕は紺色の布で包んだ刀──神葬かむはぶりを朱ちゃんに差し出す。朱ちゃんは刀を受け取ると、鞘の上下に括りつけられた紐を頭から通して背中に背負う。

「お役に立てたのなら、良かったわ」

 朱ちゃんはニコリと笑う。

「無事、解決できたのかな?」

「ん……無事かどうかは微妙なところだけど、一段落したとは思う」

「そっか。よかった」

 フェンス越しにいた朱ちゃんは、屋上の中央に歩き出す。

「今日も暑いね」

「うん」

「夏用の忍装束をママに作ってもらおっかなぁ……」

 確かに暑そうな格好ではある。長袖長ズボン、しかも全身真っ黒。

 っと、そんな世間話をしている場合では無いか。また機嫌を損ねないうちに切り上げて──

「エッジ君」

 突然朱ちゃんは振り返り、僕の名を呼ぶ。立ち去るタイミングを逸してしまった。

「な、なに?」

「質問!」

「はい……」

「私はエッジ君に、名前とメアドと携番を教えました」

「うん」

「でも、住所は教えていません。通っている学校も教えていません」

「…………」

「前回もだけど、なんで待ち合わせ場所はこの学校の屋上なのかなーなんて。偶然、私の通っている学校だった。そういうことなのか……な?」

 なんだ……? 正体を探りに来ている? 今まで僕の素性に興味を示していなかったのに、突然どうしたんだ?

 それはともかく、今はこの学校を待ち合わせ場所にした理由を考えるのが先だ。といっても、偶然でした以外に思いつかないわけだが。

 違う学校を指定するべきだったか。なんとも迂闊だったと、いまさらな後悔をする。

「そっか、君の通ってる学校だったのか。偶然だな」

 とりあえず平静を装い、とぼけてみる。

「そっか、偶然……か」

「緑が多い学校だね。蝉の鳴き声がすごいな」

 学校のことに詳しくないよアピール。この学校は木が多いから夏になると蝉の鳴き声がすごいのだ。今も蝉の鳴き声が絶え間なく聞こえている。

「そうなの。授業中に窓を開けたら、先生の声が聞こえないのよ」

「はは……すごいな」

「蝉って地上に出てからは一週間くらいしか生きられないんだっけ……?」

 朱ちゃんは僕の無理矢理な話題逸らしにのってくれる。せっかくなので、僕の数少ない雑学を披露しよう。

「夏の昆虫なのに、夏の暑さが苦手だからそれくらいで死んじゃうらしいよ。少し暑さが和らいだ秋口に成虫になった蝉は一ヶ月前後生きるって話を最近ニュースかなんかで見たな。本当かは知らないけど」

「へぇ……そうなんだ。涼しくなってから土の中から出てきたらいいのにね」

「いつ出てくれば長生きできるとか、そういうのとは無関係に本能がそうさせるんだろうな」

「本能、か……。エッジ君の中にある本能は、正義を貫くこと?」

 突然僕自身の話に戻されて返答に窮する。

 自分の中にある本能なんて考えたこともない。

 そもそも、正義とか悪だとか、そういう事もあまり考えたことがない。

 だって──正義なんて言葉ほど曖昧なものは無いと思うから。

 我勇さんの言葉じゃないけれど、正義の定義なんて千差万別だ。人の数だけ正義があるといっても過言ではない。

 では、多数派なら絶対に正義なのか? 神の名を利用すれば正義になるのか? 正義を名乗れば、なんでも許されるのか?

 否。

 そんなことはないはずだ。

 正しいと思うことは人それぞれ。僕がやっていることは、僕自身が正しいと思う事だけだ。それはつまり、僕のエゴを誰かに押しつけ、実践しているに過ぎない。そんなものを正義だなんて言えるはずがない。

「僕は自分のわがままを通してるだけだよ。少しでも……悲しい思いをする人が少なくなってくれればいいなって……。正義を名乗ったことは無いし、これからもないよ」

 そんな僕の言葉に、なぜか朱ちゃんは笑う。

「ふふっ」

「そこ笑うとこか……?」

「あ、ごめんなさい。なんかどんどんボロが出るなぁって思ったら、我慢しきれなくなっちゃった」

「ボロ?」

「私、そんな風に考えて行動してる男の子を知ってるんだ」

「…………」

「迂闊だぞ〜。正体を隠す必要があるのなら、自分の考えなんて他人ひとに話したら駄目だよ」

 朱ちゃんは右目でウインクする。

「それじゃ、刀は確かに受け取りました。また何かあったら、いつでも言ってね!」

 バイバイ! と一度だけ大きく手を振り、朱ちゃんは姿を消した。

「確かに、迂闊だよな……」

 正体、ばれたのだろうか……?

 しかし、それならそれで、含みを持たせてただけで去っていったのが解せない。気づいたけれど、気づかないフリをしてくれる──そういうことなのだろうか。

「フリも続けば本物になる、か」

 昨夜の我勇さんとシキナのやりとりを思い出す。ふと静の顔が脳裏をよぎり、僕は慌てて頭を振って全力でジャンプする。

 チクリと胸に小さな痛みが走る。それは、心臓の痛みではない。どんな医者だって治せないだろう心の痛み。こういう時は、頭を空っぽにして体を動かすに限る。

 午後からは朱ちゃんと有耶にパフェをおごる約束がある。僕は時間ぎりぎりまで空中散歩にあけくれた。



 待ち合わせ場所の成法西せいほうにし駅改札前には誰もいなかった。はて、時間を間違えただろうかと携帯を取りだしてメールを確認してみるが、あっている。十三時二十五分。約束の時間五分前だ。

 とりあえず時間になるまで待っていようと柱にもたれかかったところで携帯が着信を知らせる。有耶あやからだ。

「もしもし?」

「あ、空門? ごめん、急な手伝い頼まれちゃって、行けなくなっちゃった」

「五分前に連絡とか、どんだけ急なんだ……」

 中止にしないためにギリギリで連絡してきたな……絶対わざとだ。そう確信できるのだが、それを言うとまた怒られかねないからあえて口にしない。

「そんな訳だから、朱ちゃんの事よろしく〜。是非是非、末永く……フフフ」

 なぜそこまで気を回したがるのだろうか。仮に僕と朱ちゃんがつきあったとして、有耶になにか恩恵でもあるのだろうか。朱ちゃんには幸せになってほしいの──そんな事を有耶は言っていた。

「末永くとか言われてもな……。有耶の思惑に乗ってやれないのは申し訳ないけど、ちょっと訳があって沢山お金が必要になったんだ。そんな僕が誰かを幸せにすることなんて出来やしない。他を探したほうがいいと思うぞ」

「沢山のお金? あんた、熱でもあるの?」

「ないよ」

「ん? じゃあ、親が株でも失敗した?」

 いきなり現実的なとこをついてくるな……リアルすぎるわ!

「そういうんじゃないよ。僕自身のわがままを叶えるために必要なんだ」

「そっかそっか。なんかよく分からんけど、目標が出来たっていうのはいいことじゃないの」

「……そりゃどうも」

「でもさ。お金があれば絶対に幸せかっていえば、そうでもなくて。逆に貧乏だったら不幸なの? っていえば、そんなこと無いって言う人もいる。何に幸せの価値を見いだすかなんて人それぞれなんだから、そんなの考慮するに値しないわね」

「…………」

「それに、あんた傲慢すぎ」

「傲慢?」

「なにさま? ってこと。誰かを幸せにするとかしないとか、女はあんたに依存するだけの存在じゃないっての」

「別にそんな風に思ってないけど……」

「だったら、なんでそんな理由で引くのよ? あんたと一緒にいるだけで幸せに思える子だっているかもしれないじゃない。女は男の付属品じゃないんだ。気軽に幸せにするとか言う奴には反吐がでるね。何が幸せかくらい自分で見つけるっての」

「有耶らしいな……」

 苦笑いしつつ、そう答えるしかできない。まったくもって反論できない。反論の余地がない。

 幸せにするとかしないとか、他人ひとの人生をどうこうできると思う思考そのものが傲慢そのものだ。

 他人ひとの人生……静の人生に関与しようとしている僕──我勇さんに依頼した内容は、傲慢なのだろうか。

 静は……あんな結末に幸せを見いだしていたのだろうか。

 分からない。

 分からないけれど、これでいいなんてとても思えない。

 ちゃんと寿命のある人生の中で、幸せになるか、それとも不幸になるか。悪魔によって全ての選択肢を奪われた静に、自分で選び、決める事が出来る人生を歩んでほしい──そんな風に願わずにはいられない。その願いが叶うのなら、四十億なんて安いものだ。

 ……安くないけど。

「そろそろ時間か。そんじゃ、デートがんばんなよ〜」

「デート言うな!?」

 からかわれているのが分かるだけに、溜息が出る。どこまでが冗談でどこからが本気なのか……いまだに掴みきれない奴だ。

 僕は時間を確認し、約束の時間がすでに過ぎてしまっている事に気がついた。真面目な朱ちゃんは、学校でも遅刻なんてしたことが無い。なにかあったのだろうか?

 心配になったので、駅の出口まで出て見渡してみるが、見あたらない。

 電話をしてみるか──そう思った時。

「だ〜れだ!?」

 突然視界が真っ暗になり、背後から声が聞こえた。つい数時間前にも同じ経験をしたような。

「朱ちゃん」

 あやうく、朱ちゃんに一票、と言いそうになった。エッジの時とは違う受け答えを意識しなくては。

「よくできました!」

 目隠しを解かれ振り向くと、はにかんだ笑顔を僕に向ける朱ちゃんがいた。髪をアップにしているせいか、少し大人びて見える。

「ごめんね。バイトの申請書類を出しに行ったら、事務の人お昼でいなくって……ギリギリになっちゃった」

「ん? バイト始めるの?」

「うん。仕送りだけに頼ってちゃ駄目かなって思って……自立への一歩! 探偵事務所っぽいところに……」

 両拳を握って力説する。

 探偵事務所っぽい……なんていう名前の所だろうか。まさかラストリゾート……さすがにそれは無いか。いや、しかし万が一……。

 気になるので聞こうと思った矢先、朱ちゃんに先を越されてしまった。

「あ、そうだ。空門くん!」

「ん?」

 朱ちゃんは少し間を開け、輝かんばかりの笑顔を僕にむけて言う。

「おかえりなさいっ!」

 その言葉を聞いた瞬間──非日常の場からようやく日常に帰ってきたんだという実感がもてた。満月の夜──忘れたくても忘れられない昨日の夜を、夢のように曖昧なものにしていた僕にとって、それはある種現実を突きつけられた格好ではあるが、それでもなぜか、僕の心には安堵の気持ちが芽生えた。

 帰ってくることが出来たという事実が──その事実こそが何事にも代え難い大切なものなのだと思える。無事だったからこそ、わずかな可能性にすがることが出来る。目標にすることができる。

 生きて戻れたからこそ、僕の無事を喜んでくれている朱ちゃんの笑顔を見ることができたのだ。

 それが、なぜかたまらなく嬉しくて──愛おしく思えて。

「あ、あれ……大丈夫!? 私、変なこと言っちゃったかな……」

 朱ちゃんがオロオロと動揺する。僕の頬に伝う一筋の涙を見たからだろう。

 今思えば、ずっと気を張り詰めていたのだろう。本当に今の今まで。その緊張の糸が切れた──ようやく切ることが許された。そんなふうに思える言葉だったのだ。だから、涙が自然と流れてしまった。

 それでも、なぜか恥ずかしいとは思わなかった。

「会っていきなりおかえりは変だろ」

 僕は涙を拭いながら冷静なつっこみを入れる。

「あ、そっか……。でも、なんか言いたくなっちゃって……」

「ははっ。言いたくなったのなら仕方ないな。それじゃあ──」

 僕は軽く首を振り、朱ちゃんに笑顔を返す。

 そして言う。

 ありったけの感謝を込めて。

「ただいま!」

これにて一度幕引きとさせていただきます。

一年前の話。

シキナの初仕事。

我勇のヴァンパイア事件。

この辺をはさんで、先の話に取り組みたいところですが、その前に少し別の作品を書いてもっと勉強してみようと思います。

いつかこの続きが書ける日が来ることを願って。

約半年かかりましたが、最後までお付き合い下さった方に感謝を。

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