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ヒーローの作り方  作者: 広森千林
第四章 願いの叶え方
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八月⑭ 願いの対価

 ラストリゾートの事務所に入り、吹き抜けになっている大きな部屋の一番奥にあるデスク前で僕は立ち止まる。

 我勇さんはデスクに深く腰掛け、椅子の肘掛けに頬杖をついている。その横には、シキナが無表情なままひっそりと佇んでいる。シキナにしてはめずらしいスーツ姿だが、なぜか今日は様になって見える。いつもの無邪気さが無いからだろうか。

「ようこそ、ラストリゾートへ」

 我勇さんは静かな声で僕に声をかけ、デスクの上に置いてある大きな銀色のアタッシュケースの取っ手を僕の方に向ける。

「悪魔の討伐、ご苦労だった。今回の報酬だ。借金の分を抜いて、一億入っている。これで借金はチャラ……お前はもうラストリゾートに縛られる必要が無くなった。ゆえに、今のお前はただの客だ」

 そんな戯れ言を聞くために来た訳じゃない。僕はアタッシュケースを手で横に払いのける。

「なんでそんな平気な顔していられるんですか!? 悲しくないんですか!? 静が……死んだんですよ! 僕が……静を……」

 殺した──僕はそれを言葉にすることが出来なかった。

「言いたいことはそれだけか? だったらその金を持ってさっさと消えろ」

 その突き放すような言葉に僕の理性は吹き飛んだ。

「なんで止めてくれなかったんです!? 約束してくれたじゃないですか! 間違った事をしたら、止めてくれるって……なのに……こんな大事な時になんで……」

「俺に責任をかぶせて楽になりたいってか? いいぜ、全て俺が背負ってやる」

「そうじゃなくて! そういう事を言ってるんじゃないんです!」

「そうか。せっかくくれてやった逃げ道もいらないってのならお前の問いに答えてやる」

 我勇さんは無表情なまま続ける。

「お前は何も間違っちゃいない。だから止めなかった。それだけだ」

「こんなの……間違ってますよ! 間違いだらけじゃないですか!」

「いいや。間違っていない。お前は正しいことをしたんだ。道を踏み外した人間の在り方を正したんだよ」

「そんな屁理屈で……納得出来るわけないでしょ!?」

「屁理屈ねぇ……。じゃあお前はどうなったら納得できたんだ?」

「…………」

「お前は想像できるのか? 静の願いがどれほど切実なものだったのか。静がどれほど追い詰められていたのか」

「だからって、死んだらどうにもならないじゃないですか!」

「そうだよ。あいつはもう、どうにもならない状態だったんだ」

「…………?」

「あいつが俺の元に初めて来た時、なんて言ったと思う?」

 唐突な質問に一瞬思考が止まる。少し考え、思いついた答えを口にする。

「悪魔を殺して……じゃないんですか?」

 我勇さんは首を横に振る。

「あいつはこう言った。──どうすれば正気を失えますか? そんな質問をしてきたんだ」

「…………」

「少し想像してみな。たとえば、お前が不老不死になったとする。同年代の友達はみんな大人になっていき、結婚し、子供を産み、老い、やがて死んでいく。自分だけが取り残される孤独を想像してみろ。苗字を捨てなければいけないほど家族に忌み嫌われ恐れられる悲しみを。眠る事も出来ない安らぎの無い人生を。食べても、食べたこと自体が無かった事になる虚しさを。知り合う人間が皆、先に死んでいく──絶望を」

 絶望と孤独……。静の孤独。笑い方を忘れてしまうほどの長い時間の孤独。

 その深い心の闇は──僕なんかには容易に想像出来るものではなかった。

「お前は誰よりも正しかった。俺のほうが間違えた方法をとっていた。そんな俺が、お前を止められるものか」

「間違えた方法って……なんですか?」

「俺は、あいつの孤独と苦しみを理解したうえで、それでもなお生きてくれる事を望んだ。同じ不老不死のシキナがいれば、孤独とは無縁でいられるだろう。生き続けてもいいと思うようになるかも知れない。だから仲良くするようにシキナに命じた」

「命じたって……じゃあ、あれは……懐いてるように見せてたのは全部芝居だったって言うんですか……!?」

「そうだ」

 僕は我勇さんの横に立つシキナに目を向ける。否定してくれることを期待したのだが、シキナは無表情のまま沈黙を続けていた。

「そしてもう一つ。あの日、あの時間、あの場所に行けば協力してくれそうな奴に出会えると伝えた。直接の協力はしない代わりに、ひとつの可能性を与えてやった。それがお前と静の出会いだ」

 出会わせた……と? 意味が分からない。

「ちょっと待ってください! 静に会う前は、僕は我勇さんとまだ知り合ってませんよ?」

「お前は知らなくとも、俺は知っている。この街の事で俺の知らないことは──無い」

 我勇さんは揺らぐことのない自信をその目に宿して断言する。

 その事実に僕は背筋が凍るような感覚に襲われ、身震いする。静との出会いが偶然では無かった……そんな話を信じろというのか?

 百歩譲って、その話を信じたとしよう。だが、それならなおさら納得できない。

「僕に会わせたから、こんな結果になったんですよね? なんの意味があったんです!?」

「お前が負けるところまでは想定内だった。その時の危機感やそれまでの親交で、お前となら一緒に生きてもいいと思えるようになるだろう……そんな期待をしていたんだ。女友達だけじゃ成し得ない……いわゆる愛ってやつでさらに生きることの意味を静の中に見いだしてやりたかった」

「それって……それじゃあ、僕が再戦を決意したのは……」

「そうだ。お前は初めて俺の想定を越えた。死を体験すれば、お前も諦めるだろうと思っていたんだがな。ここまで命知らずであきらめの悪いバカだとは思わなかった」

「だったら、その時に止めてくれればよかったじゃないですか!」

「邪魔はしないという約束をしていたし、そもそもお前は正しい行動をしたんだ。静が真に求める願いを叶えた。生きることを選択してくれるかもしれない……そんな甘い理想、静は最初から望んじゃいなかったのさ。それが分かっていたからこそ、尚の事……止められるものか」

「…………」

「全てをることは、必ずしも良いこととは限らないっていい例だな」

 我勇さんは自嘲気味に笑う。その表情を見た瞬間、僕の中にあったわだかまりは消え去った。

 我勇さんは全てを知っていたわけじゃない。

 少なくとも──僕のあきらめの悪さまでは知らなかった。

「どうだ、満足したか?」

「はい。自分の性格を再確認できました」

「あん?」

 我勇さんは怪訝な表情で首を傾げる。

「僕はもうラストリゾートの人間じゃないんですよね?」

「もう借金は無いんだからな」

「だったら、新しく仕事の依頼をしてもいいですか?」

「…………」

「僕は……こんな結果、絶対に受け入れません。こんなので静が救われたなんて思えません。だから──」

「だから?」

「だから……静にちゃんとした人生を送らせてあげたいんです。その方法を教えてください。これが依頼です」

 我勇さんが呆れ顔になり、突き放すように言う。

「子供の駄々につきあってるほど暇じゃねぇ。その金を持ってさっさと帰れ」

「帰りません。だって、ここはどうしようもなくなった人が最後に頼る場所なんでしょ? 僕にはその方法は思いつかない。ここしか頼る場所は無いんです。まさか、頼りに来た者を門前払いしませんよね?」

 僕はあえて挑発気味に言う。そんな僕に対し、我勇さんは大笑いする。

「クックック……はっはっはっはっ……はっ! 面白い奴だなぁ、お前は」

「…………」

「で……お前の言う、ちゃんとした人生ってのは具体的にどういう人生の事を言うんだ?」

「それは……」

 言葉が出てこない。僕自身にもちゃんとの定義がよく分かっていないのが正直なところだ。言葉に詰まった僕に我勇さんがさらに問う。

「ちゃんとした家に生まれ、育ち、結婚し、子供を産み、子供や孫に看取られながら静かに息を引き取る……そんな夢物語を言うんじゃないだろうな?」

「…………」

「満足のいく人生を送れたと納得して死ぬことが出来る人間のほうが稀だぜ? 世界に目を向ければ、毎日誰かが飢えで死んでいる。一見平和に見える日本でだって毎日どこかで起きている事故、病気、事件……。それを知ってなお、静にだけ特別な人生を望むのか?」

「駄目……ですか?」

「傲慢だな。他人の生き方に関与し、強要するなんざ、静に不老不死を与えた奴となんら変わりねぇぞ? 生きる事だって簡単な事じゃない。決していいことばかりじゃない。それでもお前はエゴを強要するのか?」

 確かに、生きていればつらい事だってあるだろう。楽しい事ばかりじゃない。死んだ方が楽だと思えるほどの苦しみだって無いとは言い切れない。何がおこるか分からない。それが人生だ。それでも──

「僕はただ……死を願いながら生きる、そんな人生以外ならなんだっていいと思うんです。ちゃんと命の大切さを感じながら生きる……それだけでいいんです。そんな当たり前の事さえ許してもらえなかった静に……ちゃんとした結果の保証じゃなく、生きるためのチャンスをあげたいんです」

「結果は問わない……と?」

「はい」

 僕はうなずく。無茶な依頼だというのは分かっている。だからこそラストリゾート以外では考えられない。

 我勇さんは目を閉じて考え込む。しばしの沈黙後。

「いいだろう。その依頼、受けてやる」

「本当ですか!?」

「ただし──」

 そこで我勇さんは一度言葉を切り、僕の目を睨み付けてくる。

「うちは慈善事業団体じゃない。仕事内容に見合った対価があって初めて仕事として成立する」

「分かっています。対価を教えてください」

 我勇さんは親指以外の指を広げる。

「四億……ですか?」

「四十億、先払いだ」

「…………」

 さすがに四十億という数字は想定外すぎる。しかも先払いか……。

「お前が求める事は、これだけの対価を要する。自らの人生を捨てるに等しい対価。それを払ってでも叶えたい願いであるなら、やってやろう」

「その額を用意できたら、本当になんとかしてくれるんですか?」

「お前が金を用意している間に方法を考えるさ」

 我勇さんはニヤリと笑う。

「もし用意できたとしても、やっぱり思いつきませんでしたってオチもあり得るって事ですか?」

「心配するな。俺が方法を見つける事ができない可能性より、お前が四十億稼ぐ確率の方が低い」

「どういう気休めですか、それ……」

 僕は苦笑いを返すしかできない。そんな僕に我勇さんは言う。

「逆に言えば、お前が金を用意できるなら、俺もなんらかの答えを用意できる可能性が高いという事だ」

 なんの根拠も無いであろう状況なのに、余裕な表情を浮かべている。よく分からない人だ。でもなぜか──この人なら僕のでたらめな依頼をちゃんと解決してくれそうな……そんな気がする。

 だったら、あとは僕次第……か。

 どうやって四十億なんてお金を作る?

 どういった仕事に就いて、どれだけの年数を要するのか。まったくもって想像できない。

「ちなみに。お前が望むなら、ラストリゾートに残って仕事をしてもいいぜ?」

 予想していなかった言葉に一瞬戸惑う。

「え……いいんですか?」

「その代わり、仕事の契約金としてこの一億はもらっておく。残り三十九億だ。どうする?」

 あまりに親切すぎて逆に不気味だ。なにか裏があるのではないかと勘ぐってしまう。

「今度はなにを企んでるんですか……?」

「企んじゃいないさ。ただ、うちは常に仕事のできる優秀な人材を求めている……それだけさ」

 そう言ってもらえるのは、とてもありがたいことだと思う。なにより、今の僕には他に選択肢はない。

「ありがたい……話です。是非、お願いします」

 僕は素直に頭を下げた。ここにいれば、なんとかなるかもしれない。というか、ここ以外で残り三十九億を稼ぐなど、不可能に思えた。

「わ……私も……その貯金に協力してもいい……かな?」

 今まで無表情なまま無言を通していたシキナが突然口を開いた。我勇さんは笑いながら言う。

「クックッ。フリも続けば本物になる……か? 好きにしろ」

「やったぁ! じゃあ、えっと……静基金と命名しよう! めざせ、四十億!」

 懐いているフリ……そうは見えなかった。そんな僕の感じ方は間違っていなかったようだ。しかし、その静基金という命名はどうかと思うが。

「シキナ。ありがとう」

「でも、私にあまり期待しちゃ駄目だからね! 貯金、三万円しかないし……」

 ああ……そういえばシキナは時給制なんだったっけ。すごく現実的な数字だな……。

「あ、こいつ期待できないとか今思ったでしょ!」

「い、いや、そんなことは……無い! うん、無いぞ!」

「今の間は何! ひどい! はっつきーの馬鹿!」

 自信満々に言ったつもりだったが、うまくいかなかったようだ。

「いや、ほんとにうれしいって! ありがたいから!」

 なんとかシキナをなだめる。

 本当にその気持ちだけでもありがたいのだ。一人じゃないんだって思えるだけで、目標を見失わず進める気がする。

「あっ……」

 おもむろにシキナが声を上げる。

「なに?」

 僕の問いに、シキナは頭を振って答える。

「ん、なんでもない……」

「…………」

 気になったのでシキナの視線の先に目を向ける。すると、そこに白い人影が見えた。それは、静の家を出る時に見えた影。静の姿をした白い──影。その影は、ゆっくりと空気に溶けていくように消えていった。

「やはりお前にも見えるか」

「見える……?」

「ヴァンパイアの特性のひとつだ。ヴァンパイアの血が活性化し、隠世かくりよとの距離が縮まる満月の夜、成仏しきれていない魂を視ることが出来る」

 そういえばシキナにそんな事を教えてもらったような……。

「それじゃあ、あれはやっぱり静なんですね……」

「俺には見えないが、お前とシキナに見えているのならそうなのだろう。静は表にこそ、その名を残していないが、現代の数々の発明に裏から関与している。それは静の資金源でもあった。そういう多くの人の記憶に残っている物がたくさんある以上、成仏できるのはそうとう先だろうさ」

「それって……成仏できないって、悪いことなんですか……?」

「本来はそうだが、俺たちには好都合だ」

「好都合?」

「成仏されちまったら、もう手の打ちようがないってことだ。時間は無限にあるとは思うな。悠長に稼いでいたら間に合わないぞ」

 そうか……時間制限があるのか。望むところだ。

「わかりました。どんな仕事でもやります」

「フンッ。せいぜいがんばんな」

「我勇、私の時給上げて!」

「却下」

「あーげーてー!」

「先にじじいに許可をもらいな」

「うぅぅぅぅ! いじわるいじわるいじわる!」

「うっせぇ、あんまりしつこいと時給下げるぞ」

 そんないつものやりとりを眺めながら、僕は少し安堵する。

 微かではあるが、光明は見えた。可能性がある限り、僕は諦めない。こんな結末、素直に受け入れてやるものか。

 たとえこれが静の願いだったとしても……こんな──静しか望まない結末、僕は認めない。ただ死ぬことを望む人生なんかで終わらせない。生まれてきてよかったって心から思える──そんな人生を送らせてやる。

 それは、僕のエゴであり、ただ罪悪感と悲しみから逃れたいだけかもしれない。

 それでも僕は……願わずにはいられない。自らの人生を全て賭けてでも。

 今度は僕が願う番だ。

 何年かかるか分からないけれど……待っていろ、静。

 さんざん泣かされたんだ。デコピンぐらいのお仕置きはさせてもらうぞ。

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