八月⑫ 手紙
一
空門刃月様。
何も語らず刃月の前から姿を消した事、まずは謝罪をいたします。
ごめんなさい。
それと同時に、感謝の言葉も述べさせてください。
ありがとう。
私は刃月のおかげで、積年の願いを叶えることができました。
私が刃月の前から消えた事は、間違いではありません。これこそが私が救われた──呪いから解放された最良の結果なのです。
だから、どうかこれ以上は詮索せず、私の事は忘れてください。
私が身につけていたブレスレットと刃月に貸していたブレスレットは、刃月に譲渡いたします。刃月の信念を貫くために役立ててもらえれば幸いです。
この家の地下には、私の研究施設が残っています。もしブレスレットに不具合が生じた場合は、自動でメンテナンスをする事が出来ます。ご活用ください。
最低限伝えなければいけないことは、これだけです。
これより先は、私に関しての事が全て記されています。読むか読まないかは、刃月の判断にお任せします。
全てを知ることは、必ずしも良いこととは限りません。知らないほうが良い事もあります。私の事に関してはまさにそれで、知ればきっと後悔するでしょう。
私の願いは叶いました。もうひとつの願いは、刃月がこれより先を読まない事。
どうか、静という一人の人間が刃月によって救われたのだという事実のみに満足してください。
二
全てを知ることを望んだ場合に備え、記します。
そして、最後の警告です。
この先の真実は、刃月の心に大きな傷を残してしまうでしょう。
だから、願わずにはいられません。これより先が読まれない事を。
三
まずはじめに、呪いについて語らせて頂きます。
私は悪魔によって肉体の時間を止められ、老いること無く、傷つくこと無く、永遠に生きる事を強いられました。簡単な言葉で言うならば、不老不死というのでしょうか。
それこそが私にかけられた呪い。
死ぬことが許されず、永遠に生き続けなければいけない──そんな呪い。
私は刃月のおかげで、約四百年にも及ぶ長い人生にようやく終止符を打つことが出来たのです。
いきなりの荒唐無稽な内容に混乱しているでしょうか?
しかし、時間を止める事が出来る存在を知っている刃月なら、すぐに受け入れることが出来るのではないでしょうか。
四
私は今から約四百年ほど前に生まれました。
初めて悪魔と会ったのは、十三歳の時でした。
丑三つ時、私は不意に目が覚め、寝付けなかったので散歩でもしようと庭に出ました。
綺麗な月夜でした。月を見上げながらしばらく散歩をしていると、ふいに視界が悪くなってきました。周囲は朱い霧に覆われ、月も赤く見えました。
私は怖くなり、寝室に戻ろうとしましたが、どういうわけかなかなか辿り着けません。不安に思いつつ歩いていると、前方に人影が見えました。視界が悪くて誰か分からなかったので、声をかけました。すると、突然頭の中に声が鳴り響いたのです。
その声は私に向かって「おいで、おいで」と言ってきました。
私はその声になんの違和感も抱かず、前に進んでいきました。ただ、声に誘われるままに。
そしてその時、幸か不幸かイレギュラーな事態が起きてしまいました。木の下を通りがかった時、木の根に足を引っかけ、転んでしまったのです。その衝撃で私は我に返り、怖くなってその場から逃げました。何処に向かうでもなく、ただその場から離れたかった一心で。
覚えているのはそこまでで、次に気がついた時、私は布団の中にいました。夢だったのかと胸をなで下ろし、朝食に呼ばれるまで惰眠を貪っていました。
朝食の時、初めて異変に気がつきました。お腹が空くことはなく、食べても満足感が得られず。
ただその時は、体調が良くないのかな? といった程度の認識でした。
そんな中、町では神隠しの話題でもちきりでした。私と同じくらいの子供達が沢山行方不明になったとか。
私は昨夜の事を思い出し、怖くなってしばらくお屋敷の外に出ることが出来ませんでした。
次に気がついた異変は、夜眠ることが出来ないことでした。どれだけ目を瞑っていても、眠ることが出来ないのです。
五
眠れない、食欲の無い日々が一週間と続いた頃、さすがにこれはおかしいと思い、お兄様に相談しました。食欲は無くとも食べることはできるのだから問題なかろう、そう言われ、その場は納得しました。子供心に相談しにくい体の不調もあったのですが、それは言えませんでした。
さらに一週間が過ぎた頃、別の異変に気がつきました。
爪が伸びていない。髪が伸びていない。
そんなことを言っても、誰が信じてくれましょうか。
誰にも言えぬ悩みを抱えたまま、新月の夜を迎えました。
眠れない私は、それでも寝たふりだけでもしようと思い、ずっと布団の中に潜り込んでおりました。ふと何かの気配を感じ、目を開けて部屋を見渡すと、朱い霧が部屋中に満ちていました。そして、部屋の片隅にひっそりと佇む白い人影があることに気がつきました。
『不老不死となった体はどうだい? 素敵であろう?』
そんな女性の声が頭に鳴り響きました。私は怖くなって悲鳴を上げましたが、誰も来てくれませんでした。
『我らの導きから逃れた罪、存分に味わうがうよい』
何を言われているのか、理解できませんでした。恐怖に怯え、震える私にその人影はまた脳内に直接語りかけてきました。
『永遠の時を生きよ。それはやがて、地獄の苦しみとなろう』
その言葉を残して白い人影は消え、朱い霧も消えていきました。
私は考えました。罪とはなんだろう。地獄の苦しみとは、不老不死とはなにか。
答えなどどこにも落ちていません。それでもずっと考え続けました。
六
それから一年ほど経ったある日、徳川家の藩主から私に結婚話が舞い込んできました。お家の再興のためです。私は喜んでその申し出を受けました。
そして数日後──満月の夜の翌日。婚約者の方が死んだ事を伝えられました。お屋敷の中にいながらにして心臓を抜き取られ絶命していたとか。
その件をきっかけにして、私の家の女中達が私を怖がるようになりました。ろくに食事も摂らない私に、奇妙な噂もつきまとい始めました。
私に狐が取り憑いている、と。婚約者も狐に殺されたのだ──そんな、今考えればそれこそ荒唐無稽な話ですが、科学技術のない当時は、理解できない事が起こればすべて超常現象として片付けられていました。
そして、お家の再興にとって大きな障害になるその噂を断ち切るため、お父様はある決断をしました。
私に自害を命じたのです。
七
私はなんの迷いもなく従いました。武将の家に生まれた者にとってお父様の命令は絶対。結婚しろと言われればするし、死ねと言われれば死ぬのが当たり前でした。
介錯はお兄様がしてくれました。
あの日の事は、今でも鮮明に覚えています。
私という人間が人として完全に死んだ瞬間だったから。
私は身を清め、髪を結い、両親へ別れの挨拶を済ませて切腹に臨みました。
自らの腹に刀を突き刺し、横に引く。しかし、痛みは不思議とすぐに消えていきました。
お兄様は涙を流し、謝罪の言葉を口にしながら私の首を切り落としてくれました。
しかし──結果はひどいものでした。
切られた瞬間、床が近づいてくるのが分かりました。そして次の瞬間には、また床が遠くなっていました。
切られた事が無かった事にされたのです。切られた私の首から上は、落ちる過程で消滅し、元の位置に何事のなく戻っていました。
兄の顔は恐怖に歪み、化け物でも見るような目で私を見ていました。刀を投げ捨て、無言のまま部屋を後にしました。
私はお腹に刺したままだった短刀を抜き、自らの髪を切ってみました。切った先は途中で消滅し、元の長さに戻っている。
なるほど、不老不死とはこういうことか──こんな状況にあって、冷静にそんなことを考えました。
私はすでに狂っていたのかもしれません。
翌日、私は姓を捨て、家を出ました。それ以外に選択肢はありませんでした。
お兄様が用意してくれたお金のおかげで、家を借りる分には困りませんでした。食費も要らない身としては、十分でした。
八
同じ場所に長く留まれば、私の不死性がばれてしまう。私は数年間日本各地を転々とし、無意味に生き続ける日々をおくりました。自分だけが時間に取り残される現実に耐えきれず、逃げるように住む場所を変える生活に嫌気が差し、解決策を求めて船で海外に渡りました。
清に渡り、そこから徒歩でヨーロッパに向かいました。魔女狩りの噂を聞いたからです。もしかしたら、私と同じ人達かもしれない。死ぬ方法があるのかもしれない──そんな淡い期待を持って。
寝る時間を必要としない、疲れることがない私には問題のない移動距離でした。
私はヨーロッパの主要な国を巡り、情報を集めました。結論として、魔女狩りは私の体の異変とはなんの関係もありませんでした。
次に私は北に向かいました。北欧神話に興味があったからです。
あの日私の身に起きた事は、日本では神隠しと言われている。神……その名を信じるなら、次に調べるべきは宗教や神話。
違う国に行くたびにその地の言葉を覚えないといけないのは大変ではありましたが、そういう大変な部分に楽しみを見いださないと、とても正気を保つことは出来ませんでした。永遠にある時間の中で、時間を使う術の無い状況ほどつらいものはありませんから。
北欧に着いてから数年、私は修道院や図書館を巡り、全ての書物を読み漁る日々を過ごしました。しかし、残念ながらこれといった有力な情報は得られませんでした。
九
次に何を目標にしよう。そんなことを考えていたある満月の夜でした。何十年ぶりかで朱い霧に遭遇する事ができたのです。私はより霧の濃い場所を探して無我夢中で走りました。こんな無意味な生から解放してもらうために。
しばらく走っていると、大きな人影を見つけました。それは、日本に居いた時に見た白い影ではありませんでした。
黒くて、とても大きな影。
私は黒い影に歩み寄りました。すると、脳内に声が聞こえました。
その黒い影は私の存在をめずらしがっていました。興味を示してくれたおかげか、ちゃんとした会話が成立し、私を不老不死にした者が誰なのか、元の体に戻る方法はあるのか、どうやったら会えるのかを教えてもらうことができました。
思考での会話はこういう場合にはとても便利で、呼び出すための魔法陣を直接脳内の絵で見せてもらえました。
北欧の地ではオーディンと呼ばれているその大きな黒い影は言いました。私に呪いをかけた者を滅せば、呪いから解放されると。
死ぬことができると。
その言葉に、ようやく私は生きる目的を見つけることが出来ました。人外の存在を滅する。それには強大な力が必要。
それから私は、力となる武器の知識を求め、戦のある国を転々とし、主に科学に関する研究を始めました。その頃のヨーロッパは科学革命と呼ばれる時代でもあり、良いタイミングでした。
十
その後、私は世界中を転々とし、あらゆる分野の研究を続けました。神であり悪魔でもある存在に勝てる力を求めて。
数百年の年月を費やし、ようやくたどりついたのが、今刃月が手にしているパワードスーツです。
二年ほど前に日本に戻り、教えてもらった魔法陣を使っての降神の儀を初めて行いました。これは前に話したように、ブレスレットを破壊されることでの敗北に終わりました。
その後の刃月との出会いまでは、特筆すべき事はありません。
以上が、私の人生の全てです。
呪いをかけた者を滅せば私は元に戻れる。それはつまり、止まっていた時間が正常に動き出すということ。私の存在が正されるということ。本来であれば、四百年前に死んでいる身なのですから。
おそらく私は、自然の摂理に従って跡形もなく消え去るでしょう。
でもそれは、私の積年の願いなのです。
刃月はその願いを叶えてくれた。その事実は決してゆるぎません。
言葉では言い尽くせないほどに、私は感謝しているのです。
私は確かに救われたのです。
刃月が生み出したエッジという名のヒーローに。
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