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ヒーローの作り方  作者: 広森千林
第四章 願いの叶え方
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八月⑩ キスの日らしいわよ

「ここに手を添えてみて」

 決戦の夜──約束の時間ぴったりに静の家の玄関先に到着すると、外で待っていた静に突然そんなことを言われた。

 スライド式の木目調の玄関。そのすぐ横にある液晶パネルに手を持って行くと、「登録完了しました」という音声が流れる。

「これで自由にこの家に出入りできます」

「なんでそんなことする必要があるんだ?」

「いちいちインターホンを押すのも面倒でしょう?」

 別に面倒だと思った事は無いんだけどな。それに、人ん家に勝手に入るってのもな……。

「静が風邪でもひいた時に利用させてもらうよ」

 とまあ、そんなのんきな会話をしている今日は、八月五日。空を見上げれば、真ん丸い月が見える。

「では、行きましょうか」

「おう」

 時刻は夜の十時前。

 僕と静は学校のグラウンドに向かって歩き出す。

 僕は布でくるんだ神葬かむはぶりを、静は鶏の入ったゴミ袋を手に持って。

 静は薄い紫に大きな花柄をあしらった綺麗な着物を着ている。いつもの白衣は着ていない。

「なあ、静」

「はい?」

「なんで歩きなんだ?」

 僕は素朴な疑問を口にする。

 お互いにスーツがあるのだから、跳んでいけばすぐだ。なのに、わざわざ徒歩で行こうと静が提案してきたのだ。

「たまには月でも眺めながらゆっくり歩くのもいいものですよ」

「残念ながら、そんな風情を満喫している心の余裕が僕には無いよ……」

「緊張でもしているの?」

「そりゃあ、な……。前は負けて死にかけたわけだし」

「やめてもいいのですよ?」

 静は笑みを浮かべる。こんなふうに自然と笑うようになったのは、いつからだったろうか。初めて会った頃の無表情な静が懐かしいと思えるほど、その頃の面影はもう無い。

「やめないよ」

「そう」

 僕の言葉に静は短く答え、しばらく無言のまま歩を進める。

 そうとも。やれることは全てやった。やりきった。これで駄目なら、本当にもうお手上げだ。

「刃月」

「ん?」

「先日見た映画……少し気になる事があります」

 急に何かを思いついたのか、映画の話をふってくる静。こんな世間話を静のほうからふってくるなんてめずらしいな。

「なんだ?」

「物語の終盤、主人公とヒロインがくちづけをしていたでしょう?」

「ああ、してたな」

「あれは……なぜあのような行動をしたのかしら?」

 あのような行動? いまいち静の質問の意図がつかめない。

「質問の意味がわからないぞ……。出会ってたった二時間くらいでそんなに仲が良くなるのかとか、そういう無粋な話か?」

「いえ。さすがに見ている時間は二時間でも、物語の中では数日経過しているくらいは理解しているわ」

「だったら別におかしくないだろ?」

「私が聞きたいのは、なぜ好きという感情を抱くと、唇を重ね合う行動をとるのかということ」

 また微妙に答えにくい事を聞いてくるな……。子供から「子供はどうやって生まれるの?」と聞かれている気分だ。

 そもそも、僕自身にそういった経験が無いから、静が納得できる答を出せる気がしない。

「んー……いつ、誰が考え出したんだろうな。僕はテレビでそういうのを見たりして、ああ、そういうもんなんだなって、特に理由もなく納得しているだけであって、起源とか理由なんてものは考えたこともないよ」

「そう。諸説あるようだけど、真相は知られていないのね」

「諸説あること自体、僕には初耳だぞ」

「動物が口移しで子供に餌を与える行為が進化したもの、自分の所有物だと主張するための、いわばマーキング的な意味合い、匂いを嗅ぐ動物的な本能が進化したもの、などなど……。刃月はどれだと思いますか?」

「なんでそんなに詳しいんだよ!?」

 質問された僕のほうが物知らずじゃないか!

「疑問に思えば調べるものでしょう? 今はインターネットのおかげで容易に調べることも出来ますしね」

「ふーん……」

「ちなみに、五月二十三日がキスの日らしいわよ」

「それも初耳だ!」

「昭和二十一年、日本で初めてキスシーンのある映画が公開されたことに由来しているらしいわ」

「なんでそんな事知ってるんだ……雑学王かよ」

「ふふっ」

 静はおもむろに笑う。

「な、なんだよ?」

「私達が初めて出会ったのは、丁度五月二十三日だったのだけど、覚えていて?」

「いや……。テストの最終日だったかなって位しか覚えてないや」

 というか、そもそも初めて会った日がキスの日だったとして、それがどうしたというのだろう。そんな僕の疑問に静はふと空を見上げながら答える。

「少し興味がわいたのです。唇を重ね合わせた時の自らの心理状態に」

「だったら彼氏でも作ればいいだろ?」

「彼氏……それは、夫と違うのですか?」

「違うな。なんだろ、それも説明が難しいけど……結婚しているかしていないか……かな?」

 僕の返答に納得いかないのか、静は口を閉ざして考え込んでしまった。しばらく無言のまま歩いていると、静は急に立ち止まる。

「刃月」

「今度はなんだ?」

「先日のボウリング勝負の約束。覚えていますね?」

「……お、おう」

 敗者は勝者の言うことをなんでも聞く……だったか。

「せっかくなので、ここで命令でもさせてもらいましょうか」

「こんなタイミングでかよ!?」

「こんなタイミングだからこそです」

 なんだそれ……意味が分からないぞ。

「わかったよ……なんでもどうぞ」

 僕はなかば呆れ気味に言う。なにを命令されるのだろうか。

「私にキスをしなさい」

「…………」

 ん? なんだ? 何を命令されたんだ、僕は。

 キスをしなさい……?

 その前はなんだっけ……私に……たしかそう聞こえたような。

 さすがに聞き間違い……だよな。

「ゴホン。よく聞こえなかった。もう一度頼む」

「私にキスをしなさい」

 表情、声、発音、すべてを誤差無く完璧に繰り返す静。

 …………。

 どういうことだ?

 聞き間違いじゃない……だと!?

 まてまて! これはきっとなにかの罠だ! 僕が真に受けて、本当にキスをしようとしたら、本気にするとは最低ねとか言われて軽蔑されるパターンだ! そうに違いない!

 僕はそんなハニートラップにひっかからないぞ。

 だからといって、どうやってやりすごす? 言うことをなんでも聞くという約束をしたのは事実だ。どんな風に断ればいいのだろうか。

 考えろ、刃月。今頭を使わないで、いつ使う!

「逃げ道をあげましょうか?」

 黙り込んでいた僕に静が助け船を出してくれた。

「に……にげみ……ち?」

 僕はおそるおそる聞く。

「今はキスをするふりだけでいいわ。その代わり、もう一度勝負をしましょう」

「……なんの勝負だ?」

「悪魔を倒した後、どちらが先に私の家の中に入るかの勝負。刃月が勝てば、前の約束を無効にする命令をすればいいし、私が勝てば、また新しい命令をすることが出来る……」

「…………」

 倒した後……?

「もしかして、その勝負を見越して、さっき僕にも静の家に自由に出入りできるようにしてくれたのか?」

「ええ。もう一度くらいはチャンスをあげようと思ってね」

「……そりゃどうも」

 つまり、僕が静の命令を素直に聞かないであろうことまで予想されていたということか。

 見透かされている感じが少しくやしいが、ここは素直にその提案を受け入れることにしよう。

 というか、他に選択肢がない。

 僕は咳払いを一つしてから言う。

「それで……、その、キスのふりってのは、具体的に何をすればいいんだ?」

「まかせるわ」

 静は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 なんというか、まかされても困るんですけど。

 しかし、ここで逃げたら、一生チキン呼ばわりされてしまいそうだ。ふり程度も出来ないのか、と。

 ……被害妄想なだけかもしれないけれど。

 …………。

 よし。いいだろう。

 ここで逃げて……いや、負けているようでは、悪魔になど勝てるものか! やってやろうじゃないか!

「よし、じゃあ静。目を閉じろ」

 僕は辺りに人がいないのを確認しながら言う。

 静はなんの抵抗もせず、素直に目を瞑った。

 …………。

 なんだ、この謎シチュエーションは。

 実は冗談でしたなんてネタばらしが行われる頃合いじゃないのか?

 これから命懸けの戦いが待っているというのに、こんなことをしている場合か?

 そもそも、なんで静は突然こんな事を言い出したんだろう。僕がなんの抵抗も示さず、本当にキスをするということは考えなかったのだろうか。遊びにしては、少しやりすぎだろう。

 ここは、年上としての威厳を示し、きっぱりと拒否したほうがいいのかもしれない。

 いや、まてよ。そもそも本当に僕の方が年上なのだろうか?

 たしかに見た目は静のほうがはるかに幼く見える。中学生……人によっては小学生に見えるだろう。しかし、それはあくまで外見の話であって、知識や考え方は僕よりも大人に感じる事が多い。

 そもそもの問題として、僕は静の事を知らなさすぎる。両親は? 年齢は? 学校は?

 そして……彼氏とか、好きな男とかは……?

 やっぱり、こういうのは僕じゃなく、ちゃんと好きな男とするべきだろう。

「いつまで目を閉じていればいいのかしら」

 僕の心の中で行われている長い葛藤に業を煮やしたのか、静が促してくる。

「静……その、なんだ……ふりとかもそうだけど、こういうのは好きな相手とするべきだと思う」

「刃月は私の事が嫌いかしら?」

 目を閉じたまま、静が言う。

「いや、嫌いなわけ無いだろ」

「では、好きかしら?」

 僕自身もよく分かっていない好きの定義……それを静にどうやって説明すればいいというのだろう。無理すぎる。

「そういう事じゃなくって……静自身のことだ」

「私は刃月の事は好きですよ。誰かを助けるためなら考え無しで首を突っ込んで、もういいと言うのに意地でも助けようとする。妥協の出来ない頭の固さ。自分の命よりも他人の命を大事にする愚かさ」

 なんだろう、まったく褒められていないというか、むしろけなされているだけな気がするのだけど。どこに好きの要素があるんだ?

「そんな、正しいと思う事に対してあまりに愚直すぎる所──お兄様にそっくりで、大好きですわ」

 静は目を閉じたまま、平然と言う。

 大好き──その言葉に一瞬ドキリとする。ここまでストレートに好きという言葉を言われた事が無い身としては、なにか言葉にできない不思議な気持ちがこみあげてくる。

 そしてもうひとつ気になった言葉。

 お兄様──と言ったか。

 初めて静の家族に関する言葉を聞いた気がする。

 その言葉と共に、気づいてしまった。

 静は──僕を通して、兄を見ているのだろうという事が。

 肉親への愛情。それなら、まだ納得できる。理解できる。

 そういう好きならば──これくらいはいいだろう。

 僕は軽く深呼吸をして心臓を落ち着かせ、平静を装う。静の前髪を上げ、あらわになった額に軽く──唇で触れた。

「次の勝負は絶対に負けないぞ。こういうお遊びはここまでだ!」

 照れ隠しがてら、早口でまくしたてる。

「ならば、全力で悪魔に打ち勝ち、私よりも先に家に帰りなさい」

「おう」

 分かっているさ。次は無い。勝つ以外に選択肢など無いのだから。

 静は再び歩き始める。何事もなかったかのように。僕のドキドキを返せ。

 隣を歩く静の顔を見て、僕は足を止める。

「どうかしましたか?」

 静は振り返り、僕を見る。

「いや……」

 なんでそんな──何も思い残すことが無いかのような、すべてに満足しきったような満面の笑みを浮かべているんだ?

 僕は思わず出かかった言葉を飲み込み、別の言葉を探す。

「……なんか今日は助けを求める声が一度も聞こえなかったなぁって不思議に思っただけだ。前回は声が聞こえたから約束の時間ギリギリになっちゃったけど」

「今日は平和だったということでしょう」

「ん、いいことだな」

 気のせい──か。いつもの静だ。

 柄にもない事をして、僕自身が変に意識してしまっているからそう見えたのだろう。



 最初は疑問に思った、十分ほどの徒歩移動。何故か今はとても貴重な、終わって欲しくない時間に感じる。

 それでも時間は進むのだ。

 

 少なくとも──僕の時間だけは確実に進む。

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