八月⑧ ボウリング勝負に賭けたもの
八月二日、日曜日。
僕と静は九尾に遊びにきていた。映画を見終えた後、ハイロー九尾店を横目に見ながらアーケードを歩く。
「映画、どうだった?」
僕の問いに、静は無表情のまま答える。
「なぜわざわざあんな大きなモニターで、しかも他人と一緒に見るのか理解できないわ」
映画の感想ではなく、映画館の感想かよ……。
夏休みに会わせてちょうど僕好みのアメコミヒーローの映画が公開されていたので、静を誘って観に来たのだ。
「内容の感想は……」
「そうね……ヒーローと呼ばれるものがどんなものかは知識としては持っていたけれど、ストーリーのあるものを観るのは初めてだったから新鮮だったわ。刃月はあんな風になりたい訳ね?」
「いや、別に……あんな明確な敵がいるわけじゃないからな。ただ、静の貸してくれているこの力で救える命があるのなら、それは素敵な事だなって思うんだ。悲しい思いをする人を少しでも減らせる事が出来ればいいなって」
「……そう」
「もっとも、そんな事を言っている僕が友達を泣かせたりもしてさ……なかなか思い通りにはいかないもんだ」
「…………」
「でも……次は失敗しない。今度は必ずうまくいくさ」
「そのことだけど……三日後に迫っている状況でこんな事をしていていいの?」
こんな事とは、遊んでいて良いのか? ということだろう。
「どのみち練習は夜しか出来ないし、必要な物は準備し終わった。問題ないよ」
「だからといって、なぜ急に映画を観る必要があるのですか」
「いや、単に僕があれを観たかっただけなんだけどさ」
「一人で観ればいいでしょうに」
こんなにリラックスしていられるのは、今日の夜までだろう。
心臓の調子も安定してきたからスーツの出力も今朝戻してもらったし、ようやく今日の夜から本番に向けての練習が可能になる。
静には僕の思いついた作戦をすでに話してある。静は納得してくれた。リベンジの日は目の前だ。
「チームワークというか、そういうのが大事になるしさ。親睦を深めないと!」
「チームワークと親睦……ね」
いまいち腑に落ちない風の静。
「チームワークさえあれば、今度こそ大丈夫だ。だから、終わったらさ……呪いの事とか全部話してくれよ。先に話せないのなら、過去形でなら話せるだろ?」
「……そうね」
静は目を伏せ、小さな声で答えた。終わってからでも話しにくい事なのだろうか。
少し気まずい雰囲気になったので、話題を変えてみる。
「よし、じゃあ次はボウリングに行くか」
そんな僕の必要以上に陽気な声に静は首を傾げる。
「穴でも掘るのですか?」
「そのボーリングじゃない……!」
「棒と輪っか?」
「妙な変換をするな! そもそもボーはそのまま漢字にしただけで、なんでリングだけ英語なんだよ」
素なのかボケなのかいまいち分からないまま、とりあえず軽くつっこみを入れつつボウリング場のある建物に向かった。受付のある四階で待ち時間を確認すると、なんと二時間待ち。さすが日曜日。
ボウリング場のバイト経験者として言わせてもらうと、二時間クラスの待ち時間は多めに表示しているものなのだ。一人一ゲーム十分で計算する訳だが、最初に聞いたゲーム数を越えて投げる人がたまにいる。そうすると大幅に時間が狂ってくるから、かなりアバウトな待ち時間と言っていい。
それに、早く呼ばれる分には抵抗が無いが、予定時間を遅れると怒る人が多い。他に遊びに行ってそのまま戻らない人もいるから、館内で待っていれば割と早く呼ばれるものなのだ。
「みんな、待つのが好きなのですね」
「好きで待ってる訳じゃないけどな……。とりあえず受付はしたから、別の階で時間を潰そうか」
「時間の浪費ね」
「そうでもないさ。予定を入れ替えればいいだけなんだから」
僕と静は上の階にあるゲームセンターに向かった。
「プリクラって知ってる?」
僕の問いに首を横に振って答える静。
「よし、じゃあ行こう」
しばらく物色していると、丁度空いた所があったので、中に入る。
「ここで何をするのです?」
「写真を撮る」
「た……魂を抜かれるわよ!」
「いつの時代の人間だよ!?」
「冗談です」
「…………」
静が冗談を言うとは……珍しいこともあるものだ。
「昔、本当に魂が抜かれるのか試したのだけど、駄目でした」
「抜かれたかったのかよ……」
「ええ」
平然と肯定する静。
「よし、分かった。魂を抜いてやる」
静は僕の言葉に首を傾げる。お金を入れ、設定もろもろをさっさと済ませていざ撮影スタート。
いろんな位置からのカメラ目線をしろという機械の指示にしたがいながら、いろんなポーズで撮っているのだが、静は微動だにせず視線をカメラに向けるだけだった。いまいち面白みが無い……。それなら、無理矢理面白みを出させてもらおう。
僕は静の後ろに回り込み、背後から両頬をつまんで引っ張る。
「ひゃ……ひゃひをふふのでうか……」
おそらく抗議の言葉を口にしているのだろうが、いまいち何を言っているのか分からない。今度は頬を手のひらで押し、ムンク作「叫び」のような表情にする。
必死で抵抗を試みる静の動きも相まって、なかなか面白い絵が撮れた。お互いにスーツを使っていない状況であれば、静の抵抗など無いに等しい。身長もだが、腕力も中学生並ではないだろうか。
その後、予想外の反撃に遭って僕も変顔にさせられ、お互いにひどい顔での撮影会となってしまった。
誰得なんだ、これ……。
「それはこっちのセリフです!」
撮影が終わり、写真を加工している時に静はずっと文句を言い続けていた。失礼な話ではあるが、そんな静のリアクションがあまりに新鮮で、面白い。
加工を終え、写真を携帯に送る。プリントされた写真を半分ずつに切り分け、静に渡した。
その中で一番大きな写真はムンク顔の静。それを見た瞬間、静は口元を手で隠して笑いを押し殺す。
その写真の静の頭部付近から魂が抜け出そうとしている落書きを白色のペンで描いたのだ。魂となった静の顔も我ながらうまく描けた気がする。僕は意外と絵の才能があるのかも知れない。
「どうだ。うまく描けてるだろ」
「た……たしかに魂が抜けているわね……」
静の笑う基準はいまだによく分からないが、それなりにツボに入ってくれたようだ。
「ちなみに、これはどうするものなのです?」
「シールになってるから、手帳に貼ったり、好きなところに貼ればいいよ」
「……そう。貼るものなのね」
静はそう言うと、おもむろに写真を一枚台紙から剥がし、僕の額に貼り付けてきた。
「いや、静……好きなところに貼ればいいとは言ったけど、人に貼るなんてのは聞いたことがないぞ」
「好きなところでいいのでしょう? 私は刃月の顔が好きだから貼ってみたのだけど」
静はいたずらっ子のような笑みを浮かべて言う。
「顔を好きと言ってもらえるのはうれしい限りだけど、それとこれとは話が別だ!」
「では、刃月はどこに貼るのですか?」
「どこって……」
よく考えてみれば、朱ちゃんや有耶と撮った写真は生徒手帳に挟んでいるだけで、どこかに貼ったことは無い。
「どこだろう……」
「フフッ」
静は軽く笑うと、自らの前髪をかきあげて額を晒す。
「貼ってもいいわよ?」
僕の顔が好きだから貼った、そんな前振りをされた以上、この状況で貼らない訳にはいかない。だって、僕も静の顔が好きなのだから。
出会った頃には想像も出来なかった、可愛らしい笑顔。怒った顔。困った顔。泣き顔。
出来ることならば、ずっと笑っていてもらいたい。
「シキナからの悪影響が垣間見られるぞ」
僕はそう毒づきながら自らの額に貼られた写真を剥がし、それを静の額に貼る。
ふと朱ちゃんの顔が脳裏によぎる。
この「顔が好き」は、どういう「好き」なのだろう。
そんな自問自答に、答えなどあるはずもなく。
「本当に額に貼られるとは思わなかったわ」
「額を晒したのは静だろ」
「照れて顔を赤らめるものと思っていたわ」
「静の中にある僕のイメージって、どんだけウブなんだよ……」
「そういえば、鈍いんだったわね」
「誰から聞いた!?」
「我勇から」
確かに我勇さん以外考えられない。しかも反論できないのが悔しい。
「そういや、我勇さんやシキナとさ……それなりに仲良くやってるように見えるんだけど。なんで悪魔がらみの事には徹底して非協力的なんだろうな」
「……彼らなりの優しさじゃないかしらね」
「優しさ?」
「押しつけられる優しさに興味は無いわ。その話はもう止めましょう」
静はそう言って話を打ち切り、UFOキャッチャーのコーナーに歩き出す。
協力しない事が優しさか……。だったら、協力している僕はなんなのだろう。望む優しさと、押しつけの優しさ。
「…………」
難しいな。人の心は本当に……難しい。
僕は考えるのを止め、静の後を追う。
その後、UFOキャッチャーやメダルゲームで遊んでいると、アナウンスで名前を呼ばれた。一時間ちょっとで順番が回ってきた。
「よし、それじゃあボウリングに行くか」
「やったことがないのだけど、楽しいものなの?」
「もちろん。さらに、勝負に何かを賭けると、もっと白熱できるぞ」
「素人に賭けを持ちかけるとは、見損なったわ」
「ちゃんと教えるし、ハンデもあげるよ」
「あら、そう。では、何を賭けるのかしら?」
ハンデという言葉を聞いたとたん、乗り気になってくれた。
僕のような学生には、せいぜいゲーム代やジュースをおごる位が定番だ。そのへんの無難な所を提案しようと思ったら、静に先に提案されてしまった。
「こういうのはどうかしら。負けた者は、勝った者の言うことをなんでも聞く」
なんでそんなリスキーな提案をするのだろうか。ハンデをあげると言ったけれど、それだけで勝てるほど甘くはないのだが。
静の大胆な発案に驚きつつ、まあ遊びだしいいかと納得する。僕が勝っても、ジュースをおごれで済む話だ。
「よし、それでいこう。ハンデは百五十だ」
「その数字がハンデとして適正なのかもわからないけれど、とりあえずやってみましょうか」
普通に考えれば百五十ものハンデは有り得ないレベルだ。大盤振る舞いである。
一般男性なら平均スコアは百二十ほど、女性にいたっては百を越えればいいほうだ。僕は二百以上のスコアを出す自信があるし、静は初めてだというので、せいぜい五十くらいだろうと考えて強気なハンデをあげた訳だが。
そんなこんなでボウリング勝負は始まったわけだが、結果だけを言うと、僕は負けた。わざと負けた訳ではなく、普通に負けた。静曰く、
「なるほど、一番ピンの右を目標にしたボールを投げる角度さえ間違えなければいいのね」
最初の一ゲーム目は練習として軽く指導をした。すると本番の二ゲーム目で有り得ないことが起きた。
静はまるで精密機械のように正確にボールを同じ所に投げ、ストライクを連発。さすがにボールの軽さのせいでストライクにならない事もあったが、それでも二百近いスコアをたたき出してしまったのだ。そんな静の姿に動揺した僕は百五十ほどのスコアになってしまい、ハンデなど必要無い素のスコアで負けてしまった。
天才とは、本当に何をやっても瞬時に理解し、それをいともたやすく完璧に再現できてしまうのか。
清算を済ませ、靴を履き替えながら帰る準備をしている時に僕はおそるおそる聞く。
「えっと……静さん」
「なにかしら」
「負けた僕はどんな命令をされるのでしょうか……?」
「そうね……考えておくわ」
まさかここで焦らされるとは思わなかった。ガチで考えるつもりなのだろうか。あくまでもお遊びですよ、静さん。
「さて、何をしてもらいましょうか……ね」
静は不敵な笑みを浮かべる。
表情が豊かになってくれたのはうれしい限りではあるが……僕は苦笑いを返すことしかできなかった。
そんな──天才に勝負を挑む愚かさを学んだ、貴重な一日となった。




